"青空文庫"のなかの鴨川、加茂川、賀茂川
近現代文学のなかの鴨川風景。青空文庫の該当ページにリンクしています。
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鴨川の水泡(うたかた)   鴨長明 『方丈記』  

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。或はこぞ破れ(やけイ)てことしは造り、あるは大家ほろびて小家となる。住む人もこれにおなじ。所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。
 鴨川

菊池寛 『身投げ救助業』
蹴上( けあげ)から二条を通って鴨川の縁 (へり )を伝い、伏見へ流れ落ちるのであるが、どこでも一丈ぐらい深さがあり、水が...先斗町( ぽんとちょう)あたりの絃歌の声が、鴨川を渡ってきこえてくる。後には東山が静かに横たわっている。 ...

原勝郎 『東山時代における一縉紳の生活』
兵乱のために京中の人屋一時ことごとく曠野と化した時、御所の東門からして鴨川原まで一望し得るようになり、したがってその荒野原で噛み合いをした犬どもが禁裏の中に紛れ込んで、しばしば 触穢( しょくえ)の原因をなしたということがあるから、 ...

濱田耕作 『異國さかな雜談』
洋々たるアリナレの流れはさすが鴨川とは違ふ。其處に住む魚もモロコやゴリの樣なものではない。併し昨年また同じ滿浦鎭へ行つて、同じ滿浦館へ行つたら、「セガレ」は一寸顏を見せただけで、後は堅い牛肉などが出て來ると言ふ有樣であつて、此の魚もさう ...

竹内勝太郎 『淡路人形座訪問 (其の現状と由來)』
この「ものよし」と云ふのは古老の談に依ると松原通鴨川橋の東詰、今稻荷の小社あるあたりから北、即ち現在宮川町遊廓のある處に天刑病者の部落があつて、彼等は平常市中に交通することを禁ぜられてゐたが、ただ一年に一度正月二日に限つて市内にもの乞ひ ...

田山花袋 『道綱の母』
鴨川のようなあんな小さな川ぢやない。もつと大きい、大きい、大きい帆がいくつも通る…。舵の音が夜中でもきこえる。それはそれは大きな河…。それに、河原の畠には瓜が澤山出來てゐるんですから…』 『もっと大きくなつたら、二人きりで行かうね。 ..

中里介山 『大菩薩峠 壬生と島原の巻』
世は混乱の時といえ、さすが千有余年の王城の地には佳気があって、町の中には 険呑 ( けんのん ) な空気が立罩(たてこ)めて、ややもすれば嫉刀(ねたば)が走るのに、こうして、朧月夜に、鴨川の水の音を聞いて、勾配(こうばい)の ...

泉鏡花 『海異記』

津々浦々到る処、同じ漁師の世渡りしながら、南は暖(あたたか) に、北は寒く、 一条路 (ひとすじみち ) にも 蔭日向 ( かげひなた) で、房州も西向(にしむき)の、館山(たてやま)北条とは事かわり、その裏側なる前原、 鴨川..

中里介山 『大菩薩峠 山科の巻』
轟の源松は再び提灯の火を入れようとして、何かの物の気に感じて、三条橋の上から、鴨川の河原の右の方、つまり下流の方の河原をずっと ... 前に言う通り、 残 (のこ)んの月夜のことですから、川霧の立てこむる鴨川の河原が絵のように見えます。 ...

佐藤垢石 『魔味洗心』
私は、京都では鴨川上流で漁( と )れたどんこの飴煮、金沢ではごりの佃煮、最上の小国川では鰍の煮こごりを食べたが利根川の鰍の味に勝るはなかった。 形は、鯰やぎぎうに似ているけれど、利根川の鰍は、それほど大きく育たない。 ...

中里介山 『大菩薩峠 畜生谷の巻』
もしお雪ちゃんが、一度京都あたりを見て来た人であるならば、この宮川のほとりへ来て、鴨川を思い起さずにはおられないはず、そうして周囲の光景がなんとなく、 山城 (やましろ)の王城の地を想わせて、詩人でなくとも、これにまず「小京都」 ...

中里介山 『大菩薩峠 鈴慕の巻』
それを高部と、三戸谷が知って、鴨川原へ逃げ出したところを、北村北辰斎が追いかけて、川原で斬合ったが、なにしろ相手が相手ですから、北辰斎も不覚を取って、小手を斬られて太刀( たち)を取落したが、それでも片手で脇差を抜いて受留め受留めし ...

中里介山 『大菩薩峠 無明の巻』
大菩薩峠. 無明の巻. 中里介山. 一 温かい酒、温かい飯、温かい女の情味も 畢竟 ( ひっきょう ) 、夢でありました。 その翌日の晩、 蛇滝 ( じゃだき ) の参籠堂に、再びはかない夢を結びかけていた時に、今宵は昨夜とちがってしとしとと雨です。 ...
中里介山 『大菩薩峠 勿来の巻』

飛騨の高山には「小京都」の 面影 ( おもかげ ) があるということは、ちょうど、この橋が五条の橋で、三条四条を控え、この川が鴨川そっくりの情趣を 湛 ( たた ) えていないではない。この城山つづきを東山一帯に 見做 ( みな ) すことも決して ...


 賀茂川

佐藤垢石『瀞』

賀茂川
の上流の、放流鮎を釣ってみたいと思ったからである。上賀茂にある姪夫妻の家へ足をとどめ、そこから一里半ばかり上流の賀茂川の峡を探ったが、その年は放流鮎僅かに二万尾、既に釣り尽くしたあとで、土地の若い者が一人。小さい瀬の落ち込みで、 ...

泉鏡花 『伯爵の釵』

梶原申しけるは、 一歳 ( ひととせ)百日の旱 ( ひでり)の候いけるに、賀茂川 (かもがわ)、桂川 ( かつらがわ )、水瀬(みなせ)切れて流れず、筒井の水も絶えて、国土の悩みにて候いけるに、―聞くものは耳を澄まして袖を合せ...

折口信夫 『貴種誕生と産湯の信仰と』
稚雷の神の出現の日に、毎年賀茂川を斎川として、稚雷神の用ゐ始めた後、諸人此水に浴したのがみあれまつりの本義である。だから、平安朝以後、賀茂の磧が禊ぎの瀬と定つた。御禊( ゴケイ ) は元より、御霊会( ゴリヤウヱ )の祓除「夏越 ...

太宰治 『右大臣実朝』
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で、仙洞御所への絶対の御心服のほども、事あるごとにいよいよ歴然としてまゐりまして、そのとしも御朝廷からの御言ひ附けにより京の賀茂川堤の修築に取りかかりましたが、七月に幕府のその賦役の割当に就いてごたごたが起り、そのとき御朝廷のはうで ...

薄田泣菫 『艸木虫魚』
お前たちも聞いてるだろうが、むかし阪田藤十郎は、大阪の芝居へ勤める折には、わざわざ京の賀茂川の水を樽詰にして送らせたものだそうだ。ちょっと聞くと大層贅沢なようだが、藤十郎の考えでは、芝居に出ているうちは、自分の身体は銀主方と見物衆のもの ...

坂口安吾 『街はふるさと』
賀茂川
が洪水ごとに山に向って逆流して、河原一面にすてられた屍体を山へ運んでまきちらし、山々だけがいつまでも変らぬ緑を悲しくとどめているような気がする。その骨の一本が自分だという気がした。 「京都の山の木の一本が、オレだったのさ。...

三木清 『消息一通 一九二四年一月一日 マールブルク』
今日も私は賀茂川の堤を思ひ出し、数年前の幼稚な詩を思ひ起しました。憧れいでて野に来れば草短くて 涙すによしもなけれど遥かなるもう思ふゆゑ嘆かるる。×あかつき光薄うして寂しけれども 魂のさともとむれば川に沿ひ道行きゆきて還るまじ。...
 加茂川

森林太郎 『高瀬舟』

さう云ふ罪人を載せて、入相の鐘の鳴る頃に漕ぎ出された高瀬舟は、黒ずんだ京都の町の家々を兩岸に見つつ、東へ走つて、加茂川を横ぎつて下るのであつた。此舟の中で、罪人と其親類のものとは夜どほし身の上を語り合ふ。いつもいつも悔やんでも還らぬ繰言 ...

與謝野晶子 『私の生ひ立ち』
「そして家(うち)の左の方は加茂川(かもがは)なのです。綺麗(きれい)な川なのですよ、白い石が充満(いつぱい)あつてね、銀のやうな水が ... 私は継母に叱られますから、何でも拾はうと思つてね、ずん/\加茂川の岸を走つて追つかけたのです。...


森鴎外 『高瀬舟』
そういう罪人を載せて、入相(いりあい)の鐘の鳴るころにこぎ出された高瀬舟は、黒ずんだ京都の町の家々を両岸に見つつ、東へ走って、加茂川( かもがわ)を横ぎって下るのであった。この舟の中で、罪人とその親類の者とは夜どおし身の上を ...

與謝野晶子 『舞姫』
春のかぜ加茂川こえてうたたねの簾 (すだれ ) のなかに山 吹(ふ) き入れよ 五六人をなごばかりのはらからの馬車してかへる山ざくら花 森ゆけば 靄 (もや)のしづくに花さきしすみれ摘むとぞ名をのる子かな ...

中里介山 『大菩薩峠 安房の国の巻』
源を嶺岡(みねおか)の山中に発し、東に流れて外洋に注ぐ加茂川がまさにこの国第一の大河であって―その源から河口までの長さが実に五里ということは、何となく滑稽の感を起すくらいのものであります。 さればにや、昔の物の本にも、この国には鯉が ...

紫式部 與謝野晶子訳 『源氏物語 夕顔』
十七日の月が出てきて、加茂川の河原を通るころ、前駆の者の持つ松明 (たいまつ)の淡い明りに 鳥辺野( とりべの ....加茂川堤に来てとうとう源氏は落馬したのである。失心したふうで、「家の中でもないこんな所で自分は死ぬ運命なんだろう。 ...

織田作之助 『神経』
通されたのは三階の、加茂川に面した狭い三畳の薄汚い部屋だった。鈍い裸電燈が薄暗くともっている。...そこからは加茂川の河原が見え、靄に包まれた四条通の灯がぼうっと霞んで、にわかに夜が更けたらしい遠い眺めだった。私はやがて汚れて行く自分へ ..

山川登美子・増田雅子・與謝野晶子 『恋衣』
加茂川に小舟(をぶね) もちゐる 五月雨( さつきあめ)われと皷 (つゞみ)をあやぶみましぬ鎌倉や御仏(みほとけ)なれど釈迦牟尼は美男( びなん)におはす夏木立かな おもはれて今年(ことし)えうなき舞ごろも 篋 ( は ...

夏目漱石 『京に着ける』
春寒(はるさむ)の夜(よ)を深み、加茂川(かもがわ)の水さえ死ぬ頃を見計らって桓武天皇(かんむてんのう)の亡魂でも食いに来る気かも知れぬ。桓武天皇の御宇(ぎょう)に、ぜんざいが軒下に赤く染め抜かれていたかは、わかりやすからぬ歴史上の ...

坂口安吾 『道鏡』
加茂川のほとり、城門の外は言ふまでもなく、都大路も投げすてられた屍体によつて臭かつた。藤原の四兄弟も、一時に病没したのである。藤原四家の子弟たちはまだ官暦が浅かつたから、亡父の枢機につき得なかつた。橘諸兄が大臣となり、吉備真備 ( き ...

夏目漱石 『虞美人草

私はね、そうね―裏二階がいいわ―廻(まわ)り椽(えん)で、加茂川がすこし見えて―三条から加茂川が見えても好いんで...加茂川の岸には柳がありますか」「ええ、あります」「その柳が、遠くに煙(けむ)るように見えるんです。 ..

芥川龍之介 『芋粥』

それから、四五日たつた日の午前、加茂川の河原に沿つて、粟田口(あはたぐち)へ通ふ街道を、静に馬を進めてゆく二人の男があつた。一人は濃い 縹 (はなだ)の狩衣(かりぎぬ)に同じ色の袴をして、打出(うちで)の太刀を佩(は...

佐藤垢石 『桑の虫と小伜』
昨年の夏は、大井川から天龍川へ、京の加茂川の上流へ。四国へ渡って仁淀川、新荘川、吉野川へ。さらに、紀州の熊野へ入って熊野川の 日足 ( ひたり ) で、一ヵ月を鮎の友釣りに釣り暮らした。父子づれの釣り旅は、まことに楽しいものである。 ...

芥川龍之介 『偸盗』
見渡す限り、重苦しいやみの中に、声もなく眠っている 京 ( きょう ) の町は、加茂川の 水面 ( みのも ) がかすかな星の......それにつれて、加茂川にかかっている橋が、その 白々( しらじら) とした 水光 (すずびか)りの上に、いつか暗く ..

太宰治 『雌に就いて』
「夕刊には、加茂川の洪水の記事が出ている。」 「ちがう。ここで時世の色を 点綴( てんてい ) させるのだね。動物園の火事がいい。百匹にちかいお猿が 檻 ( おり ) の中で焼け死んだ。」 「陰惨すぎる。やはり、明日の運勢の欄あたりを読むのが自然 ...

芥川龍之介 『邪宗門』

何しろ折からの水が 温 ( ぬる ) んで、桜の花も流れようと云う加茂川へ、大太刀を 佩 ( は ) いて 畏 ( かしこま ... その中に私の甥は、兼ねて目星をつけて置いたのでございましょう、 加茂川 ( かもがわ ) の細い流れに臨んでいる、 菰 ..

近松秋江 『黒髪』
私はそのあたりから頼信紙をとり出して、十一時までには必ず 加茂川 ( かもがわ ) べりのある家に行き着いているから ...... はじめて彼女を知ったのが五年前のちょうど今の時分で、 爽 ( さわ ) やかな初夏の風が柳の新緑を吹いている加茂川ぞいの ...

芥川龍之介 『俊寛』
吾(つわ)を摘(つ)みに行ったら、ああ、わたしはどうすれば 好( よ )いのか、ここには 加茂川 ( かもがわ ) の流れもないと云うた。おれがあの時吹き出さなかったのは、我立つ 杣(そま)の地主権現 ( じしゅごんげん )、日吉 ...

幸田露伴 『風流仏』

珠運 ( しゅうん ) 素 ( もと ) より 貧 ( まずし ) きには 馴 ( な ) れても、 加茂川 ( かもがわ ) の水柔らかなる所に 生長 ( おいたち ) て 初 ( はじめ ) て野越え山越えのつらきを覚えし 草枕 ( くさまくら ) 、露に 湿 ( しめ ..

竹久夢二 『砂がき』
それにしても世が世なれば、四條橋の下には、一臺十五錢と言ふ安い床が出來て、なんのことはない「夜の宿」の背景のやうな所なれど、河原の夕涼の面影を殘した唯一のもの、風は叡山おろし、水は加茂川、淺瀬をかちわたるよきたはれめもありといふ。 ...

木下杢太郎 『南蛮寺門前』
菊枝 加旃 ( それに ) また加茂川の 大水 ( おほみづ ) 。―― 妾 ( わらは ) が隣の 祖母様 ( ばばさま ) は、きつい朝起きぢやが、この 三月 ( みつき ) ヶ程は、毎朝毎朝、一番鶏も啼かぬ 間 ( あひだ ) に 怪 ( けし ) い鳥の啼声を空に ...

織田作之助 『土曜夫人』
加茂川
のせせらぎの単調なあわただしさは、何か焦躁めいた悔恨の響きを、陽子の胸に落していたが、やがてそれがエンジンの騒音に消されて、トラックが動き出した。橋を渡ると、急にカーブした。途端に陽子は茉莉を想い出した。 ..

與謝野禮嚴 『禮嚴法師歌集 與謝野寛編輯校訂』
伏見山梅さく頃は加茂川の流れかをりて風吹きのぼる 打むれて蝶のしたふや梅が香を吹きゆく風の流れなるらん.....根は水に洗はれながら加茂川の柳の梢 (うれ) はけぶり青めり うすぐもり風もにほひて霞むかな六田(むつだ)の淀の青柳の原 ...

九鬼周造 『「いき」の構造』
江戸褄 (えどづま) の下から加茂川染の襦袢 ( じゅばん ) を見せるというので「派手娘江戸の下より京を見せ」という句があるが、調和も統一も考えないで単に 華美濃艶 ( かびのうえん ) を衒う「派手娘」の心事と、「つやなし 結城 ( ゆうき ..

岡本かの子 『食魔』
席は加茂川の堤下の知れる家元の茶室を借り受けたものであった。彼は呼び寄せてある指導下の助手の料理人や、給仕の娘たちを....加茂川は、やや 水嵩(みずかさ )増して、ささ濁りの流勢は河原のを八千岐(やちまた)に分れ下へ落ちて行く、 ...

折口信夫 『大嘗祭の本義』
致斎の方は、昔は絶対な物忌みであつたらうが、令の規定以来、少しく軽くなり、十月の末日と定められて、山城の京都では、加茂川の某地点で、御禊を行はせられた。かうした御禊は、伊勢の斎宮・加茂の斎院を定められる時も、予めなされる。 ..

正岡子規 『墨汁一滴』
固(もと)より加茂川附近といふ事だけは明かなれどこの舞姫なる者が如何なる処に居るか分らぬなり。舞姫は、河岸に立ちて居るか、水の中に立ちて居るか、舟に乗りて居るか、河中に置ける縁台の上に居るか、水上にさし出したる桟敷( さじき...

島崎藤村 『夜明け前 第二部上』
川上の橋の方から奔(はし)り流れて来る 加茂川(かもがわ)の水に変わりはないまでも、京都はもはや昨日の京都ではない。人心を鼓舞するために新しく作られた「宮さま、宮さま」の軍歌は、言葉のやさしいのと 流行唄(はやりうた) の調子 ... 
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