双林院(雙林院) 〔毘沙門堂〕 (京都市山科区)
Sorin-in Temple
双林院 双林院 
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 山科安朱の双林院(そうりんいん、雙林院)は、毘沙門堂の西の山間にある。毘沙門堂門跡の塔頭のひとつ。1月初寅祭には毘沙門天で厄を祓い、当院で福を授かるといわれている。 
 聖天双林院(しょうてんそうりんいん)、山科の聖天さんともいう。山号は護法山。
 天台宗、本尊は大聖歓喜天。
 京の通称寺霊場32番、山科の聖天さん。
◆歴史年表 江戸時代、1665年、公海により毘沙門堂門跡の山内寺院として創建された。
 近代、1868年、聖天堂を建立し、門主・公遵法親王念持仏の大聖歓喜天を本尊とした。
◆公海 江戸時代前期の天台僧・公海(1607-1695)。父は花山院忠長、母は東本願寺教如長女。1620年に天海に師事し、その没後、寛永寺を継ぐ。比叡山、日光山を兼領、管掌した。師・天海の遺志を継ぎ、毘沙門堂を復興した。
◆公遵法親王 江戸時代後期の皇室・公遵法親王(1722-1788)。第114代・中御門天皇の第2皇子。天台座主となり、三后に准じられる。辞職し、隨自意院と号した。公啓法親王の没後再任、再び退隠して隨宜楽院と改めた。輪王寺5世。
仏像 かつての本尊は、湖東三山のひとつ西明寺(滋賀県犬山郡)より遷された藤原時代(平安時代中期-後期)の阿弥陀如来(光坊の弥陀)を安置していた。現在は阿弥陀堂に安置されている。
 近代に入り、聖天堂を建立し、公遵法親王念持仏の大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)を遷し本尊とした。歓喜天は象頭人身の双身像が抱擁する姿で、厨子内に納められた秘仏となっている。十一面観音が化身する姿を表したものという。人間に近い姿に変えることで、悩める人々に接し、その願いをかなえることができるという。
 戦国武将・武田信玄(1521-1573)を始め信徒や寺院から奉納された聖天像70数体も合祀した。
 不動堂の不動明王像は、安土・桃山時代作。比叡山の千日回峰行者・第24代住職が、近代、1883年に比叡山無動寺より勧請し安置した。脇仏は四大忿怒像を従えた五大明王になっている。
 本尊の不動明王像は、愛染明王、平安時代以前作という馬頭観音を始め、複数の仏像の300余の部材を組み合わせて造仏されている。これは、室町時代、1571年の織田信長による比叡山焼き討ちの際に、損傷した仏像の部材を集めたもので、災禍が再び繰り返されることのないようにとの仏師の祈りを込めて造られたものという。また、頭には如来のような螺髪(らはつ/らほつ、突起状の物)があり、それらの頂点には楊枝状の100本の部材が納められているという。このような造仏の例はほかにないという。
◆歓喜団 聖天さんに供える団子を歓喜団(お団、清浄歓喜団)という。奈良時代、遣唐使が仏教と共に日本へ持ち帰った唐菓子「からくだもの」の一種で、天台宗、真言宗などの密教系のお供えものとして貴族にのみ与えられた。清少納言も食したという。
 現在、和菓子屋「亀屋清永」(東山区)のみで製造されている。かつて比叡山の阿闍梨より製法を伝えられたという。米粉、小麦粉の生地を独特の金袋型に包む。八つの結び目は八葉の蓮華を表している。
 中に「清め」の7種類の香を練り込んだこし餡を入れる。これを胡麻油で揚げる。かつては、栗、柿、杏の実を、甘草、甘葛(あまづら)などの薬草で味付けした。江戸時代中期以降に小豆餡を用いたという。
◆桜楓 春の桜、秋の紅葉が知られている。
◆年間行事  節分(2月)、大般若祭(9月16日)、もみじ祭り(11月)。
 聖天尊(毎月1日、16日)、不動尊(毎月28日)。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都のお寺神社 謎とき散歩』『京都・山城寺院神社大事典』『京都の寺社505を歩く 下』



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地蔵菩薩、門前脇

聖天堂

聖天堂

聖天堂、秘仏・大聖歓喜天(聖天)を安置。

不動堂

堂内で大護摩を焚くことができる。屋根の最上部に煙出し?が付いている。

不動堂

不動堂、中央に不動明王像、右に準提観世音像、左に辧財天女像を安置する。

不動堂

稲荷大明神

正一位八ッ房龍神

正一位太郎須大明神

不動滝

お瀧不動尊
 双林院  〒607-8003 京都市山科区安朱稲荷山町18-1  075-581-0036   9:00-17:00
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