天寧寺 (京都市北区) 
Tennei-ji Temple
天寧寺 天寧寺 
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山門








山門「額縁門」から望む比叡山の景色。







本堂、書院、表門、江戸時代後期の伽藍配置、曹洞宗近世寺院建築の特徴という。
 寺町通にある天寧寺(てんねいじ)は、山号を萬松山(ばんしょうざん)という。 
 曹洞宗。本尊は釈迦如来。
 道元が創建したという洛中三か寺(ほかに宗仙寺、慈眼寺)の一つとされる。
◆歴史年表 鎌倉時代、曹洞宗開祖・道元(1200-1253)が京都に創建した三か寺の一つともいう。
 南北朝時代、天正年間(1573-1592)、傑堂能勝和尚が会津城下に創建したという。現在地には、比叡山延暦寺末寺の天台宗松陰坊があった。
 安土・桃山時代、1592年、天正年間(1573-1592)とも、松陰坊跡地の現在地に、10世・祥山(しょうざん)曇吉が移す。
 安土・桃山時代、上杉氏の家老・直江兼続(1560-1619)、武将・松平乗元(1443-1537)が再興に尽力したという。
 江戸時代、初代京都所司代・板倉勝重(1545-1624)が再興に尽力したという。
 1788年、天明の大火により焼失している。
 1812年、本堂が再建された。
 1842年、書院が再建された。
 1849年、山門が再建される。
◆道元 鎌倉時代の曹洞宗開祖・道元(どうげん、1200-1253)。父・内大臣源(土御門)通親、母・太政大臣・藤原(松殿)基房(もとふさ)の三女・伊子(いし)。誕生地は、宇治木幡の松殿家山荘といわれている。その後、久我の地 に引き取られたとみられている。幼くして両親を喪った後、1208年、叔父・師家は、松殿家の養子に迎え入れようとするがそれを断る。1212年、母の弟・比叡山延暦寺の良観法印の庵に入り、横川般若谷、千光谷に住した。1213年、座主・公円のもと菩薩戒を受ける。1214年、比叡山を下り、園城寺の公胤、1217年、臨済宗の建仁寺の栄西、明全に学ぶ。1223年、明全と共に宋に渡る。天童山・無際了派、後に曹洞宗・長翁如浄に師事し、曹洞禅を学んだ。1225年、師・明全が亡くなる。1227年、帰国し、1228年、建仁寺に入る。禅は釈迦の正法としたため、比叡山衆徒による迫害を受け、1230年、深草・安養院に閑居する。1233年、深草の極楽寺に観音導利院(後の興聖宝林禅寺)を建立する。だが、天台宗からの圧力はやまず、1243年、越前に逃れ、1244年、大仏寺(後の永平寺)を開いた。1252年、病になり、 翌年、京都の俗弟子・覚念の邸で亡くなったという。
 無限の修行を成仏の本質とする「修証一如」、坐禅に打ち込むことこそが悟りに至る唯一最高の修行とする「只管打坐」(しかんたざ)などを唱えた。正法禅 は臨在禅を批判し、旧来の念仏、加持祈祷、末法思想もまた排した。仏法の正門は坐禅にあるとした『正法眼蔵』を著した。
◆傑堂能勝 南北朝時代-室町時代初期の曹洞宗僧・傑堂能勝(けつどう のうしょう、1355-1427)。楠木正成の孫に当たる。24歳の時、戦場で負傷し、和泉・高瀬大雄寺の古剣智訥により得度した。丹波・永沢寺の通幻寂霊に学び、越前・竜沢寺の梅山聞本の法を嗣ぐ。越後、常陸など各所で開山となり、会津で天寧寺を開く。曹洞五位の碩学とされた。
◆金森宗和
 江戸時代前期の茶人・金森宗和(かなもり そうわ、1657-1584)。重近。飛騨高山城主・金森可重(よししげ)の長男。母は遠藤但馬守慶隆の娘。1608年、従五位下飛騨守に叙任、1714年、所領の件で父より勘当され、母と京都に移る。大徳寺・紹印伝双に参禅し宗和の号を得る。烏丸今出川御所八幡上半町に住し、茶道を教えた。小堀遠州、古田織部に学ぶ。後水尾院、後西天皇、近衛信尋、金閣寺・鳳林承章らと親しくした。野々村仁清の御室焼を支援した。宗和流の祖。茶風は禅味の宗旦に比して上品な「姫宗和」と呼ばれた。墓は天寧寺にある。
◆仏像 本堂には、仏師春日作の本尊「釈迦如来像」が安置されている。
 観音堂には、第108代・後水尾天皇(1596-1680)の念持仏という「十一面聖観音像」、後水尾天皇の中宮・東福門院(徳川和子、1607-1678)の念持仏「薬師如来像」も安置されている。
◆文化財 元時代の絹本墨画「馬祖ろう居士問答図」(重文)(京都国立博物館寄託)。 *「馬祖ろう」の「ろう」は「广に龍」
 江戸時代の仁清作「銹絵水仙文茶碗」(重文)(京都国立博物館寄託)。 
 江戸時代、1862年の岸竹堂(きし ちくどう、1826-1897)筆、障壁画、紙本墨画淡彩「龍虎図」4面、
絹本著色「梵城泰仙禅師像」1幅 。
◆墓地 境内墓地には、江戸時代の武士で茶人の金森宗和、武術の示現流(天真正自顕流)始祖・十瀬長宗の孫弟子で安土・桃山時代の善吉和尚(ぜんきつ おしょう)、儒者・寺島俊則の墓がある。公家・神楽の滋野井家菩提寺であり、累代の宝塔が立つ。
◆樹木 本堂南西にカヤ(京都市登録天然記念物)の巨木が残されている。頂部には落雷の跡が、主幹北側の地際から地上6mに、江戸時代、1788年の天明の大火による焼痕がある。数少ない歴史的なカヤの大樹になる。樹高14m、胸高幹周は4.78m。
◆借景 山門を通して東に望む比叡山の姿は、借景になる。額縁の絵ように見えることから、「額縁門」として知られている。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都歴史案内』『京都府の歴史散歩 上』『京都史跡事典』『京都大事典』『京都の寺社505を歩く 上』『京都 神社と寺院の森』『京都市の指定文化財 第5集』


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庫裏

鐘楼

稲荷大神、まんじいなり

稲荷大神

稲荷大神

わらべじぞう

九重の石塔

五輪塔

カヤの巨木、枝は殆どない。


降り蹲踞
 天寧寺 〒603-8138 京都市北区天寧寺門前町301,鞍馬口通寺町下る  075-231-5627
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