天穂日命神社 (京都市伏見区)
Amenohohimikoto-jinja Shrine

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本殿覆屋


本殿、説明板より
 奈良街道沿いに建つ天穂日命神社(あめのほひみこと じんじゃ)は、古代から中世にかけて、広大な旧巨椋池の周辺水域に位置していた。万葉集の和歌の名所として知られる石田の杜(いわたのもり)にある。 
 石田社(いわたのやしろ)ともいう。かつて、田中神社(田中明神)とも称された。石田村の産土神となっていた。
 祭神は、本社に天穂日大神(あめのほひのおおかみ)、相殿に合祀された天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、大山咋命(おおやまくいのみこと)を祀る。
 式内社。平安時代、『延喜式神名式(延喜式神名帳)』(927)中「宇治郡 十座 大五座 小五座」の「天穂日命神社神社」に比定されている。
◆歴史年表 創建の詳細、変遷は不明。
 かつて、石田村集落の東方丘陵地に鎮座していたという。その後(年代不明)、西方の現在地、田中明神が祀られていた石田の杜に遷されたとみられている。
 飛鳥時代中期、第40代・天武天皇在位中(672-686)、石田社(田中明神)が現在地に勧請されたともいう。(社伝)
 平安時代、862年、6月15日、山城国天穂日命神社は6位、同月18日、続いて従5位の神階を授けられたという。(社伝、『三代実録』、901年)
 927年、『延喜式神名式(延喜式神名帳)』)中に「天穂日命神社」と記されている。
 江戸時代、「石田社、田中社、在同所」との記述がある。(『山州名跡志』、1711年)
 1783年、現在の本殿が造営された。この時、田中神社と称し、天照太神、日吉山王を合祀したともいう。
 近代、1877年、 京都府は石田村の田中明神を、延喜式内の天穂日命神社に考証し確定した。
 現代、2003年、本殿は京都市登録有形文化財、文化財環境保全地区に指定された。
◆苗塚 境内に苗塚(なえづか)がある。合祀された石田社(田中明神)勧請の来歴が伝えられている。
 飛鳥時代中期、第40代・天武天皇在位中(672-686)、この地に一夜のうちに苗が数尺積み上げられ、その上に白羽の矢が置かれていた。老翁が現れ、この地に天照太神、日吉両社を勧請すべきとして、帝都の南方は永く守護するだろうと告げて去った。その由縁により祀られたものという。(『山州名跡志』、江戸時代、1711年)
◆石田杜 境内は飛鳥時代から平安時代の和歌集「万葉集」(7世紀後半-8世紀後半)中に、「山代(やましろ、山背)の石田の杜(いわたのもり)」と歌われた。また、周辺の野を「石田小野(いわたのおの)」といい、枕詞になっている。現在も境内に小規模の鎮守の森がある。
 「山背の 石田の杜に 心おそく 手向けしたれや 妹に逢ひかたき」(12-2856、作者不詳)。山背の石田の社になおざりに、幣帛(ぬさ)を捧げたとでもいうのか。なぜあの人になかなか逢えないのだろう。
 ほかにも、、「山科の 石田の杜に 幣置かば けだし我妹に 直に逢はむかも」(9-1731)。
 「万葉集」巻13の長歌に、大和から近江への道すがらを歌い、途中に「山科の石田の杜」とあり、当社とみられている。
 「そらみつ 大和の国 あをによし 奈良山越えて 山背(やましろ)の 管木(つつき)の原 ちはやぶる 宇治の渡り 岡の屋の 阿後尼(あごね)の原を 千歳(ちとせ)に 欠くることなく 万代(よろづよ)に あり通はむと 山科の 石田の杜の 皇神(すめかみ)に 幣(ぬさ)取り向けて 我は越え行く 逢坂山(あふさかやま)を」(13-3236)
 大和の国の奈良山を越えて、山背の管木の原、宇治川の渡り、岡の屋の阿後尼の原を、千年までも欠けることなく、万代までも通い続けようと、山科の石田の杜の神に幣を手向け、私は越え行く逢坂山を。
 境内に歌碑が立つ。「ひぐらしの 涙やよそに 余るらん 秋と石田の 森の下風」、順徳院、鎌倉時代の第84代天皇・順徳天皇(1197-1242)。
 「山科の 石田の小野の ははそ原 見つつや君が 山道越ゆらむ」(1730)、宇合卿、 奈良時代の公卿・藤原宇合(ふじわらの うまかい、694-737)は、右大臣・藤原不比等の三男。
◆石田 石田は古くは「いわた」と呼ばれた。地名の由来は、山科川の砂礫の堆積地に由来するという。また、固い田の石の田による。また、この地の出雲系氏族の石田君一族に由来するともいう。なお、天穂日大神は出雲にイザナミを祀る神魂神社を建て、子・建比良鳥命は出雲国造らの祖神となったとされる。石田は、平安時代末に、醍醐寺三宝院領の石田庄に属したともいう。 
◆建築 本殿(京都市登録有形文化財)は、江戸時代、1783年に建立された。棟札と擬宝珠に銘が残る。本殿は覆屋内にあり、かなり以前より覆われていたとみられている。二間社流造、檜皮葺、桁行2間、梁行2間。身舎(もや)正面柱間が2間というのは、京都市内ではほかにほとんど例がないという。
 柱間は正面に蔀戸、東側面前方は板扉、ほかは板壁になっている。内部は棟通りに板扉、手前に外陣、奥に内陣、細部に控えめの装飾が施されている。覆屋は切妻造、桟瓦葺。
◆禰宜 伝承によれば、当社には旧来より、氏子農民の内に禰宜という家が二戸存在していたという。(京都府調査、1883年)
◆子守神社 境内の子守神社は、乳幼児の守り神であり、燈籠に石を捧げて祈願すると夜泣きが止むとされている。
◆年間行事 例祭(11月3日)。
 

*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 『京都市の地名』


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歌碑「山科の 石田の小野の ははそ原 見つつや君が 山道越ゆらむ」、宇合卿。奈良時代の公卿・藤原宇合(ふじわらの うまかい、694-737)は、右大臣・藤原不比等の三男。

歌碑「ひぐらしの 涙やよそに 余るらん 秋と石田の 森の下風」順徳院、鎌倉時代の第84代天皇・順徳天皇(1197-1242)。
 天穂日命神社 〒601-1437 京都市伏見区石田森西町66 
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