出雲大神宮・御影山 (亀岡市)
Izumo-daijigu Shrine
出雲大神宮 出雲大神宮 
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「国幣中社 出雲神社」の社名標、揮毫は千家尊福(せんげ たかとみ、1845- 1918)による。出雲大社宮司の出雲国造家に生まれた。教派神道出雲大社教を創始した。貴族院議員、司法大臣などを歴任。


「丹波之国一ノ宮 名神大社、元出雲 出雲大神宮」の石碑












拝殿


御神体山の御影山


本殿拝所


本殿


本殿


本殿



 神体山の御影(みかげ)山西麓に、出雲大神宮(いずも だいじんぐう)は位置している。本殿背後には、二つの巨大な磐座と磐座群が祀られている。
 「丹波国一之宮」と呼ばれる。また、周辺の江島里、中、出雲、小口、馬路の産土神として「出雲さん」とも呼ばれてきた。 
 戦後は単立神社になった。式内社(名神大社)、旧社格は国幣中社。
 祭神は、大国主命(おおくにぬしのみこと)、その后・三穂津姫尊(みほつひめのみこと)を祀る。三大御神徳(長寿、縁結び、金運)の信仰を集めている。
◆歴史年表 創建の詳細、変遷は不明。
 古来より、背後の御影山を神体山として祟める祭祀信仰があり、山麓には古墳も築かれた。古代出雲国杵築神(きづきのかみ)を祀ったともいう。
 古墳時代、第10代・祟神天皇(前148-前29)の丹波平定の際に再興されたともいう。
 奈良時代、709年(711年とも)、社殿が建立されたという。
 平安時代、818年、出雲社が「名神に預る」の記述がある。(『日本紀略』)
 845年、無位より従五位下の神階を授けられる。( 『続日本後紀』)
 872年、従四位上となる。(『日本三代実録』)
 880年、正四位下となる。(『日本三代実録』)
 910年、正四位上に叙せられる。(『日本紀略』)
 927年、『延喜式神名帳』中、「名神大社(みょうじんたいしゃ)」に列している。名神大社とは、古来より霊験著しい神の称号とされている。
 1025年、領家職・西園寺家は雨乞いのために当社で、大般若経を転読し慈雨があったという。(『左経記』)
 1184年、源頼朝は、院宣(いんぜん)により玉井四郎資重の濫行(乱暴な行い)を停めた。
 平安時代末期、すでに神宮寺が存在したとみられている。
 
 鎌倉時代、1234年、北条泰時は社領安堵する。
 1292年、正一位に進む。(『西園寺相国実兼公日記』)
 鎌倉時代以降、争乱により、愛宕山、飛び地の小塩山の神領を失う。
 1305年、足利尊氏は社殿を修造した。
 1345年、尊氏は本社、末社、神宮寺の修造のために御教書を出す。
 1354年、尊氏の社領安堵のための御教書が出された。
 室町時代、1476年、室町幕府は社殿修造料として段銭課腑(幕府が費用に充てるため、臨時に諸国の田地から段数に応じ徴収した金銭)を認める御教書を出す。
 1477年、細川政元の修造の願文が出される。
 1508年、丹波守護代・内藤貞正の願文が出される。
 近代、1868年、神仏分離令後の廃仏毀釈により、境内の神宮寺は廃された。
 1871年、国幣中社に列せられた。
 1871年以降、神宮寺安置の木造十一面観音立像は極楽寺へ遷された。
 現代、戦後、出雲大神宮と改称し、単立神社となる。
 1965年、社殿の修復を行う。
◆祭神 祭神は、天津彦根命(あまつひこねのみこと)、天夷鳥命(あめのひなどりのみこと)を祀るともいう。(『丹波国風土記』逸文)
 また、首座に国常立命(くにとこたちのみこと)、両座に大国主命(おおくにぬしのみこと・かみ)、三穂津姫尊が鎮座しているとの記述もある。(『富士古文書』(宮下文書)。
 当社に由れば、丹波国は出雲・大和の両勢力の接点する地にあり、国譲りの所由によって社が祀られたものという。天地開闢の際に出現した神、国常立命は、田場(たにば)の真伊原におり、桑田の宮(出雲の宮)を築いたという。国の半分を農業を主として統治した。亡くなった後に、田羽(田場、御神体山)に葬られた。その後、出雲毘女皇らにより麓の祠に遷され祀られた。出雲毘女皇がその後も祠を守る。その没後、出雲毘女皇は御神体山に葬られる。後、三穂津毘女と諡(おくりな)され、祠に祀られ出雲大神と呼ばれるようになったという。(当宮案内、『富士古文書』(宮下文書)
◆神体山・磐座 境内の東に神体山が聳え、古くより祭祀信仰の対象となってきた。山は、国常立尊が鎮座する聖地とされ「出雲の大神」と崇められてきた。山は御蔭山(みかげやま)、御影山、千年山(ちとせやま)ともいわれ、いまも禁足地になっている。この神体山は、霊峰・愛宕山の真西に位置している。
 本殿の北後方に、一つの巨大な磐座がある。さらに、本殿北東の御影山参道脇、森中に複数の大岩が露岩しており、磐座群として祀られている。
◆社名・出雲大社 古来より、さまざまな社名が使われていた。「出雲大神宮(いずもおおかみのみや)」、古くは「出雲神社」、「千年宮(ちとせのみや)」、「大八洲国国祖神社(おおやしまのくに くにのみおやのじんじゃ)」とも称された。この出雲とは、口丹波が濃霧で知られたことから、千歳の神体山(御蔭山)より昇る陽光が霧に射し、あたかも雲わき出るようであると形容された。
 太平洋戦争以前は、「出雲神社」と呼ばれた。戦後、現在の「出雲大神宮」と改称する。島根の出雲大社は古代より近代、1871年まで「杵築大社(きづきたいしゃ/きづきのおおやしろ)」と呼ばれていた。
 また、島根の出雲大社より古く、当宮では大国主命を祀っていたともいう。「奈良朝のはじめ元明天皇和銅年間(708-715)、大国主命御一柱のみを島根の杵築の地に遷す。すなわち今の出雲大社これなり。」(『丹波国風土記』逸文)と記されており、大国主命を当社より島根に分霊したともいう。また、島根の出雲大社の分霊を当社に勧請したとの伝承もある。俗称として「元出雲(もといずも)」と呼ばれた。この地より、山陰の出雲、京都の出雲に出向いたからともいう。
◆神宮寺 かつて境内に神宮寺が存在していた。
 平安時代末期には、すでに神宮寺が存在したとみられている。近代、1868年の神仏分離令後の廃仏毀釈により、神宮寺は廃される。1871年以降、当宮に安置されていた平安時代の木造十一面観音立像(重文)は、北西近くの極楽寺へ遷されている。また、社蔵の観音像は、江戸時代には社域内にあった観音堂に安置されていた。
 神宮寺に関わるとみられる祭事として、平安時代、1025年、当社で雨乞のために大般若経を転読している。(『左経記』)。現在、当社で催される鎮花祭(花鎮祭)(4月18日)は、かつて観音菩薩の縁日となっていた。室町時代、1459年以前より現在まで続く、雨乞の風流踊り(雨乞風流事、雨悦風流事、花行事神賑)も当社に奉納されていた。また、現在も催されている秋祭り(8月18日)の際の法会も、神宮寺祭礼の名残という。
◆建築 本殿(重文)は、三間社流造、檜皮葺。建坪14坪弱。鎌倉時代、1305年に足利尊氏により改修され、さらに室町時代、武将・細川勝元(1430-1473)により修造されたものという。1346年修造ともいう。
◆神像財 本殿内陣三間に安置の「木造男神坐像」2体(附、木造男神坐像1体)(重文)がある。
 平安時代(9世紀末-10世紀初)作の主神となる「男神像(大国主命とも)」は、カヤの一材で丸彫りし、素地に彩色している。足を組んで坐り、頭部の方形の冠を戴く。
 もう一体は一回り小さい異形の「男神坐像」で、カヤ材を用い二材を矧ぎ寄せる。彫り口は荒く、衣文線や石帯は墨描で表す。主神像造立にやや遅れるが、ほぼ同時期の作とみられている。
 附の一体は、クスノキとみられる一材により、主神像に倣ったような丸彫り像になっている。本殿建立の南北朝時代、1345年以降の作とみられている。
◆摂末社 かつて、36社の摂末社があった。その後、兵火により失われたという。現在は上の社、黒太夫社、笑殿社、春日社、稲荷社、崇神天皇社の6社が祀られている。
◆徒然草 鎌倉時代末期、吉田兼好の『徒然草』(1330-1331?)、第236段に、出雲神社にまつわる逸話が出てくる。
 「丹波に出雲と云ふ所あり。大社を移して、めでたく造れり。しだの某とかや しる所なれば、秋の比、聖海上人、その他も人数多誘ひて、『いざ給へ、出雲拝みに。かいもちひ召させん』とて具しもて行きたるに、各々拝みて、ゆゝしく信起したり。御前なる獅子・狛犬、背きて、後さまに立ちたりければ、上人、いみじく感じて、『あなめでたや。この獅子の立ち様、いとめづらし。深き故あらん』と涙ぐみて、『いかに殿原、殊勝の事は御覧じ咎めずや。無下なり』と言へば、各々怪しみて、『まことに他に異なりけり』、『都のつとに語らん』など言ふに、上人、なほゆかしがりて、おとなしく、物知りぬべき顔したる神官を呼びて、『この御社の獅子の立てられ様、定めて習ひある事に侍らん。ちと承らばや』と言はれければ、『その事に候ふ。さがなき童どもの仕りける、奇怪に候う事なり』とて、さし寄りて、据ゑ直して、 去にければ、上人の感涙いたづらになりにけり。」
 出雲大社が移転、新造され聖海上人の一行が参拝した。拝殿前の獅子と狛犬が背中合わせになっていたため、何か深い謂れがあると思い神官に尋ねた。神官は単に子供の悪戯であるといい、狛獅子・狛犬を向き合うように置きかえて去って行った。
◆遺跡 本殿後方北の山中の森に、古墳時代、5世紀から6世紀初頭の「横穴式墳墓」が保存されている。盛土も残り、石室の入口は南に開口している。
 境内の西にある国指定史跡、「千歳車塚古墳」(亀岡市千歳町千歳車塚)は、亀岡盆地最大の前方後円墳といわれている。築造は古墳時代、6世紀前半とみられている。当宮との関わりがあるともいう。詳細は不明。
 境内、付近の山麓より、平安時代から鎌倉時代の古瓦が出土している。
◆神水 御影山よりの湧水は、「真名井の水」と呼ばれる中硬水で、長寿・万病、痛み止めの効験ある名水という。
◆鎮花祭 祭礼、鎮花祭(花鎮祭)(4月18日)は、かつて3月18日に催され、当日は観音菩薩の縁日となっていた。一時断絶し、昭和初期に復興した。無形文化財に指定されている。
 室町時代、1459年以前より、雨乞のための風流踊り(花踊り、雨乞風流事、雨悦風流事、花行事神賑)も当社に奉納されていた。雨乞いの願掛け、願解き(雨悦)が起源とみられている。
◆自然 1997年に京都府「京都の自然200選 歴史的自然環境部門」に「出雲大神宮」として選定された。社殿背後の御影山は神体山であり、「千年山」とも呼ばれている。落葉広葉樹を中心にしている。
 オガタマノキがある。
◆結婚式 神前結婚式が挙げられる。
◆年間行事 歳旦祭(1月1日)、元始祭(1月3日)、粥占祭(1月15日)、節分祭(2月3日)、紀元祭(2月11日)、祈年祭(2月17日)、祖霊社(3月節分)、鎮花祭(花鎮祭)・出雲風流花踊奉納(無形文化財)(4月18日)、夏越大祓(6月30日)、秋祭(法会)(8月18日)、祖霊社祭(9月節分)、例祭(10月21日)、新嘗祭(11月23日)、天長祭(12月23日)、大祓・除夜祭(12月31日)。
 月次祭(毎月1日、15日)。
 

*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 『出雲大神宮』出雲大神宮、『京都府の地名』『京都古社寺辞典』『京都の地名検証』『京都 神社と寺院の森』


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夫婦岩

真名井の水

舟岩(ふないわ)

絵馬、祭神の三穂津姫命は天祖・高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の娘神で、大国主命国譲りの際に、天祖の命により后神となったことから天地結びの神、縁結の神となったという。

絵馬

崇神天皇社(第10代・祟神天皇)

磐座(武甕槌命 天児屋根命)

磐座、巨岩、本殿裏に祀られている。

稲荷社

稲荷社(宇迦之御魂神)、月次祭は毎月14日

みかげの滝

上の社(素戔嗚尊、櫛(奇)稲田姫尊)、月次祭は毎月14日

御神体山の参道、国常立尊を祀る。月次祭は毎月25日

磐座群

笑殿社(事代主命、少那毘古名命)、月次祭は毎月14日

弁財天社、神池

弁財天社(市杵島姫命)、美容、財運、芸能神、月次祭は毎月23日 

黒太夫社

黒太夫社(猿田毘古神、大山祇神)、月次祭(毎月8日)

祖霊社

横穴式墳墓、古墳時代、5世紀から6世紀初頭

横穴式墳墓の石室内

神池

御神体山
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 出雲大神宮 〒621-0002 亀岡市千歳町千歳出雲後田   0771-24-7799 
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