那須野与市堂 (那須与市堂)  (亀岡市)
Nasunoyoichido Temple
那須野与市堂  那須野与市堂
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那須公園の碑




法楽寺山


本堂、法楽寺山の頂上にある。






本堂内、扁額「法楽山」
 亀岡市の国道9号線を下矢田町の交差点より府道6号線に入り、南へ向かうと田園地帯右手に小高い法楽寺山がある。丘一帯は那須野公園と呼ばれ、小堂の那須野与市堂(なすのよいちどう)、那須与市堂、与市堂が建てられている。陰陽師・安倍晴明、武士・那須与一ゆかりの地とされている。 
 正式には法楽山那須野与市堂という。地域の高齢者による奉讃会が管理している。
 無宗派、本尊は阿弥陀如来坐像。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 平安時代、960年頃、陰陽師・安倍晴明は丹波桑田郡安行山(現在地の北西、西山)において天文を極めたという。晴明は奇中神(あたることかみ)のようであるとされた。晴明は、阿弥陀如来の徳によるものとし、安行山の山麓に法楽寺(宝楽寺)を建立した。恵心僧都作という如来像を祀り信仰したという。遠近の里人で参詣する者多く、第64代・円融天皇は、晴明を従四位下に叙し、天文博士の号を贈ったという。
 また、平安時代、法楽寺山に宝楽寺という寺院があったという。その後、焼失したという。
 1185年、那須与一は、屋島の戦いで平氏を破り凱旋後、法楽寺を改修再興したという。また、仏門に入り再興したという。以後、里人の篤い信仰を集めた。
 江戸時代、1716年、堂宇は焼失する。
 その後、再建された。
 近代、1893年、柳町中村氏ほかの寄進により堂宇が再建された。
 現代、1959年、堂宇一部を拡充し、整備が行われる。
◆仏像 かつての本尊阿弥陀如来坐像は、江戸時代、1716年の火災の際に焼けた。その後、近世末期(江戸時代)には、専念寺(塩屋町)に遷されていたという。現在は炭化した状態で御堂に安置されている。延命長寿、老病平癒、屎尿の悩み軽減の功徳があるという。
 新たに造仏された阿弥陀如来像、不動明王が安置されている。弘法大師画など祀られている。
◆那須与一の伝承 平安時代、寿永(1182-1183)の頃、源平の戦いが激しくなり、平家は都から西に逃れ一の谷に布陣する。源頼朝の命により、その弟・範頼は山陽道、義経は山陰より丹波路に入る。この時、那須与市(与一)は、義経に従う。だが、与市が亀岡を過ぎる際に急病になったという。出陣も覚束なくなり、法楽寺の阿弥陀如来の霊験を聞きつけ、参籠祈願したところ平癒した。以後、阿弥陀如来を深く信仰し、霊符を身につけ出陣し戦功をあげたという。1185年、那須与一は、屋島の戦いで平氏を破り凱旋後、法楽寺を改修再興したものという。
◆安倍晴明 平安時代の陰陽師・安倍晴明(921-1005)は、摂津国阿倍野、また、大和国桜井の安倍に生まれたともいう。大膳大夫・安倍益材、また、淡路守・安倍春材の子ともいい、 諸説ある。鎌倉時代から近代、1870年まで、陰陽寮を統括した安倍氏(土御門家)の祖。
 陰陽師・賀茂家の忠行・保憲父子に陰陽道、天文道を伝授されたという。唐に渡り、帰国後、陰陽道を確立したともされる。948年、大舎人。第61代・朱 雀天皇の信を得て以来、960年、天文得業生として第62代・村上天皇に占いを命ぜられた。972年、天文博士に任ぜられる。979年、皇太子師・貞親王(後の第65代・花山天皇)の信を得、その命によ り那智山の天狗を封ずる儀式を行った。その後も、第66代・一条天皇など6代の天皇に仕え、また藤原道長の信も得る。官職として997年に主計寮の主計権 助、左京権大夫、穀倉院別当、播磨守などを歴任した。
◆源信 平安時代中期の天台宗の僧・源信(げんしん、942-1017)。恵心僧都、横川僧都。大和国に生まれた。950年/956年9歳で比叡山の良源に学ぶともいう。955年得度した。956年15歳で『称讃浄土経』を講じ、第62代・村上天皇により法華八講の講師の一人に選ばれる。だが、名声より聖人になるという母の諫言を守り横川の恵心院に隠棲し続けた。1004年公卿・藤原道長の帰依により権少僧都となる。1005年権少僧都を辞する。恵心院で亡くなる。臨終にあたり、阿弥陀如来像の手に結んだ糸を手にし、合掌しながら入滅したという。
浄土宗の基礎となり、地獄極楽観を説いた『往生要集』(985)の編者。『源氏物語 宇治十帖』中、宇治川に入水した浮舟を助けた「横川の僧都」といわれている。(良源弟子の覚超ともいう)。絵、彫刻に優れたという。源信作の和讃「極楽六時讃」がある。
◆那須与一 平安時代-鎌倉時代前期の武士・那須与一( 生没年不詳)。下野国那須の資隆(資高)の11男とされる。宗高(宗隆)、余一、与市ともいう。弓矢に優れ、1185年の源平の屋島合戦の際に、海上に浮かぶ平家の船に立てられた扇の的を馬上から一矢で射とめ敵味方から喝采をあびたとされる。(『平家物語』)。ただ、伝説上の人物ともいう。
◆供養塔 境内に那須与一の供養塔が立つ。
◆年間行事 春秋の彼岸に如来、不動明王、与市の祭典を催している。
 毎月8日、18日、28日に法要を執り行っている。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考資料 「亀岡法楽山那須野与市堂本尊略縁起」、『京都府の地名』『日本の名僧』



  関連・周辺承文字八幡宮      周辺      関連即成院〔泉涌寺〕       

本堂

本尊、黒焦げの阿弥陀如来座像

弘法大師の掛け軸

那須与一にちなむ弓、ただし江戸時代の作という。

神棚

那須与一(市)供養塔

当山霊人供養塔
 那須野与市堂(那須与市堂) 〒621-0854  亀岡市下矢田町東法楽寺  
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