新羅善神堂 〔三井寺〕 (大津市)
Shinrazenjin-do Shrine
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新羅善神堂


新羅善神堂


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新羅善神堂



新羅善神堂
 園城寺の北の森に園城寺北院のひとつ、新羅善神堂(しんらぜんじんどう)がある。園城寺の五社鎮守のひとつに数えられる。源頼朝を初め源氏守護神として篤く信仰された。また、社頭での藤原俊成の歌合以来、歌道神としても崇敬された。 
 園城寺鎮守神の本尊・新羅明神(しんらみょうじん)坐像を祀る。
◆歴史年表 平安時代、860年、円珍、円敏、増命、康済らは新羅神社を建立する。
 971年、僧・余慶の申上げにより、新羅明神に正四位上が授けられる。
 1052年、僧・明尊は初めて新羅祭を行なう。
 1060年、大雲寺5世・成尋は宋への渡海の祈請をした。
 1062年、藤原実範『園城寺竜華絵縁起』中の新羅明神説話が文献初例となる。
 1073年、後三条上皇(第71代)は、祭文を新羅明神に奉(たてまつ)る。
 1106年、武将・源義家(八幡太郎)は、新羅明神に柏木郷の貢72石を毎年寄進するとの状を上げる。
 1109年、新羅社念仏会が始まる。
 1051年、武将・源頼義は、前九年の役出陣に際して園城寺に詣で、新羅明神に戦勝祈願する。その子・三郎義光を氏人として奉じた。この頃、新羅明神は石清水八幡宮、賀茂社に比肩した。
 1153年、僧・房覚(覚明?)は、三井新羅社に17日供花する。当社安居の初めとなる。
 1173年、新羅社頭で歌合が行われ、5題出され16人が参加した。公家で歌人・藤原俊成を判者とした。以後、歌道の神としても崇敬された。
 南北朝時代、1339年、武将・足利尊氏が社殿を再建する。
 1342年、尊氏は、粟津別保の地頭職を新羅明神社に寄進する。
 1345頃、新羅明神堂(現存)の起工となる。
 1347年、尊氏により再建となる。
 室町時代、1412年、三井新羅社護摩堂を慶する。
 安土・桃山時代、1595年 当社は武将・豊臣秀吉による園城寺破却から免れる。
 近代、1873年、大津歩兵第九連隊敷地として、北院境内十町四畝三歩を上地引渡す。
 1879年、 佐竹義堯、小笠原長守、柳沢保甲、南部利恭らは、新羅三郎義光公墓碑を建立する。
 1934年、台風により山内多くの倒木により、新羅社本地堂、拝殿か全壊する。
 現代、1953年、新羅善神堂は国宝に指定される。
 第二次世界大戦後、境内は縮小になる。
 1956年、新羅明神坐像は、国宝に指定される。
 1966年、新羅善神堂の保存修理と屋根葺替工事終る。唐門は、直営工事として修理が終る。
◆新羅明神 円珍が唐の留学より帰国した際に、船中に守護・護法神の新羅明神が顕れたという。明神は護法神と告げたことから祠が建立された。
 新羅善神堂本尊として安置されている木造新羅明神坐像(国宝)は、平安時代、11世紀(11世紀半とも)作ともいわれる。目じりが下がる異国様、痩身の神の姿をしている。頭に三山形の冠を被り、唐服(袍、袴)に長い顎ひげをたくわえた老翁で、頭上の円相内に、本地仏・文殊菩薩が描かれている。両手の持物は失われた。束帯姿の火御子、笏を持つ般若菩薩と箱を捧げる宿王菩薩を従える。彩色、金銀の切金、檜材、一木造、像高78cm。
 円珍が唐より持ち帰った441部1000巻の経典類は、この新羅明神の夢告により園城寺唐院に収蔵された。ただ、新羅明神と円珍の関わりについて、もとは大友村主氏の氏寺として信仰されていた新羅明神が、後世になり円珍帰朝潭に取り込まれたとする説もある。その大友村主氏は百済系氏族であり、園城寺が新羅系の勅願寺となり、新羅明神という新羅系の祭神を祀ったものという。(『新羅の神々と古代日本』)
◆源義光 平安時代後期の武将・源義光(1045-1127)。頼義の三男。1051年園城寺の新羅明神で元服し新羅(しんら)三郎と号した。1087年後三年の役(1083-1087)で、兄・源義家の救援に東下を乞うが許されず官を辞した。刑部丞、常陸介、甲斐守、刑部少輔、従五位上に至る。1107年常陸国で平重幹と共に甥の源義国と争う。1109年河内源氏四代目棟梁で甥の源義忠暗殺事件の謀略に関わった。義光の実弟で園城寺僧・快誉も共謀し、義忠を殺した平成幹を口封じに殺害したとされる。弓馬、笙にも優れた。
 墓は境内西方の山中にある。なお、この墓所付近に義光は金光院を建立し、長子・覚義が出家後に住し、自らも最晩年を過ごした。
◆建築 社殿(国宝)は、南北朝時代、1347年、足利尊氏により再建された。母屋前面に1間通りの庇、中央に1間の向拝。庇に格子と欄間があり正面、側面に細密な透彫りがある。三間社流造。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『新羅の神々と古代日本』『京都古社寺辞典』


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新羅善神堂

新羅善神堂

【参照】源義光の墓、境内近く西方の山中にある。

【参照】源義光の墓

【参照】源義光の墓

【参照】源義光の墓、新羅三郎義光公墓碑、1879年建立。
出羽岩崎藩の第7代藩主、出羽久保田藩第12代(最後)藩主・佐竹義堯(1825-1884)、越前勝山藩第8代(最後)藩主・小笠原長守(1834-1891)、柳沢保甲、陸奥国盛岡藩15代(最後)藩主・南部利恭(1855-1903)らにより建立された。

【参照】鳥居の近くにある弘文天皇長等山前陵

【参照】弘文天皇長等山前陵飛鳥時代の皇族・大友皇子(648-672)は天智天皇の子。伊賀皇子と呼ばれた。671年、初の太政大臣に任じられた。天智天皇没後、近江朝の政務をとる。天智天皇の弟・大海人皇子(おおあまおうじ、天武天皇)は吉野を脱出し大友皇子の近江朝廷側と対立した。672年の壬申の乱で両者は皇位継承を争う。 大友皇子が敗れ「山前」で自死した。文武に優れ漢詩集『懐風藻』に収められた。
 1870年に天皇号が追贈された。園城寺境内の閼伽井石庭付近は、皇子の邸宅跡ともいわれている。大津市に陵墓、長等山前陵がある。
 新羅善神堂 〒520-0036 大津市園城寺町246 
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