長講堂 (京都市下京区) 
Choko-do Temple

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本堂


本堂


本堂




玄関


御影殿(御影堂)門
 本竈町の南寺町通に面して長講堂(ちょうこうどう)はある。平安時代後期の後白河法皇ゆかりの寺として知られている。正式には、法華長講弥陀三昧堂(ほっけ ちょうこう みだ さんまいどう)という。
 西山浄土宗、本尊は阿弥陀三尊像。
 四十八番寺の第36願。
◆歴史年表 平安時代、1184年頃、1183年、1183年-1184年頃とも、後白河法皇(第77代)は院御所のひとつ、六条殿(御所六条殿、現在地の東、六条大路北、西洞院西、天使突抜4丁目・子柳町・卜味金仏町の一部)を創建する。長講堂はその持仏堂として建立され、当初は天台宗だった。
 1185年、持仏堂の文献初出になる。(『山槐記』)
 1188年、六条殿、持仏堂は焼失したという。同年末、上皇により再建されたともいう。
 1190年、源頼朝により再建され、頼朝は六条殿で法皇を拝した。
 1191年、1192年とも、法皇は多年にわたり領掌してきた庄園を長講堂に寄進した。法皇は「長講堂起請」を作り、遺詔を残して六条殿で没した。以後、六条殿は宣陽院艦子内親王の御所となる。
 鎌倉時代、1208年、六条殿は焼失する。
 1222年、六条殿は焼失する。
 1245年、土御門東洞院長講堂(新長講堂、代替所)とある。(『百錬抄』)
 1273年、六条殿は焼失した。修理されている。
 1277年、六条殿は焼失した。
 1279年、正親町高倉の長講堂(新長講堂、代替所)とある。(『勘仲記』)
 1304年、新長講堂について有事の際の代替施設として置かれたと記されている。(「後深草上皇処分状」)
 室町時代、1401年、土御門内裏、新長講堂も焼失した。
 1444年、土御門油小路東南に再建され、上長講堂と呼ばれた。(『康富記』)
 1451年、六条油小路の長講堂の名がある。(『康富記』)
 1463年、毎月13日の供養のうち、4月分は山科家が受け持つ。(『山科家礼記』)
 近世(安土・桃山時代-江戸時代)、寺領は朱印地27石を領した。
 安土・桃山時代、1578年、天正年間(1573-1592)とも、豊臣秀吉の都市改造により現在地に移転させられた。天台宗から律宗に改宗する。その後、堪岳が浄土宗に改めた。
 江戸時代、1864年、禁門の変で焼失した。その後、現在の建物が再建される。
 現代、1991年、勅封の後白河法皇御真影が50年ぶりに開扉される。
◆後白河天皇 平安時代後期の第77代・後白河天皇(ごしらかわ てんのう、1127-1192)。第74代・鳥羽天皇の第4皇子に生まれた。1155年、異母弟の第76代・近衛天皇の死により即位する。1156年、保元の乱、1159年、平治の乱後、源平対立の中で王力を維持した。1158年、第78代・二条天皇に譲位し、六条、高倉、安徳、後鳥羽天皇の5代の歴代天皇に対し、30年に渡り院政を敷いた。1159年、父・鳥羽天皇の本願だった白河阿弥陀堂を建立する。1160年、初めて熊野に参詣した。以後、本宮に34回、新宮・名地に15回参詣している。1169年、園城寺前大僧正・正覚を戒師として出家する。1169年、園城寺長吏・覚忠により受戒し、法名行眞と称した。『梁塵秘抄口伝集』(1169)を撰した。1170年、東大寺で改めて受戒した。1179年、平清盛の謀反により、院政を止め鳥羽殿に幽閉の身となる。1181年、高倉上皇没後、院政を再開する。1183年、木曽義仲の法住寺合戦により、六条西洞院の御所に幽閉され、この地で亡くなる。没後、法住寺法華堂に葬られた。
◆宣陽門院 鎌倉時代の女性・宣陽門院(せんようもんいん、1181-1252)。名は覲子。父は後白河法皇、母は寵妾丹後局(従二位高階栄子)。1189年、内親王、1191年、院号宣下を受ける。同年に亡くなった法皇より寵愛を受け、六条殿、長講堂、長講堂領を譲られる。その後、1200年、女院は後鳥羽の子雅成親王、その後も関白近衛家実娘・長子(後堀河天皇の中宮)を養女とした。
◆院尊 平安時代後期-鎌倉時代の仏師・院尊(いんそん、1120-1198)。仏師・院覚の子。院派仏師。興福寺講堂大仏師。1183年、興福寺本僧綱補任では、唯一最高位の法印にあった。1180年、東大寺焼討ち後の復興時、大仏光背造立などを指揮した。近江に源氏調伏のための毘沙門天を造立した。
◆寺名 寺名の「法華長講弥陀三昧堂(ほっけちょうこうみださんまいどう)」の扁額が本堂に掛けられている。
 当初、天台宗であったことから、「法華経を長期にわたって講義し、阿弥陀仏を念じて三昧の境地に至る道場」を意味しているという。長講寺の名はほかにも存在した。やがて、後白河法皇の当寺のみを意味するようになる。
◆六条殿 後白河法皇の御所だった六条殿は、現在地の東、六条大路北、西洞院西、現在の天使突抜4丁目・子柳町・卜味金仏町の一部付近にあった。
 かつて、北面の武士・平業忠(1160-1212)の邸宅だった。業忠は、後白河法皇に仕え、左馬権頭、大膳大夫を務め正四位下に進んだ。1175年、六条殿は焼失したともいう。法皇は1183年に邸宅へ移る。1188年、六条殿は焼失する。1190年、源頼朝により再建され、一町に拡張されている。頼朝は殿内で法皇を拝した。法皇は1192年に六条殿で亡くなる。(「百練(錬)抄」同年の条)。
 その後、六条殿は宣陽院艦子内親王の御所になる。さらに第89代・後深草天皇に引き継がれた。鎌倉時代、1208年、六条殿は焼失した。1222年にも焼失する。1273年、修理されている。南北朝時代、六条殿は、持明院統(北朝)に引き継がれた。
◆仏像 本堂に「阿弥陀仏三尊像」が安置されている。
 平安時代作、丈六の本尊「阿弥陀如来坐像」(重文)(174.8㎝)は上品上生印を結ぶ。色鮮やかな光背は後補による。
 向かって右、左脇侍に蓮を手に掲げる「観音菩薩像」(重文)(105.1㎝)は、截金の宝冠を被り、右足を曲げて片足のみで胡坐をかく半跏坐をとる。蓮台から左足を踏み下げるのは、衆生救済の姿を表す意味があるという。
 右脇侍に蓮華合掌印を結ぶ「勢至菩薩像坐」(重文)(96.1㎝)が安置されている。左足を曲げる半跏坐で、右足を踏み下げる。これらは、天平彫刻から範をとったという。また、天衣正面は、両肩から胸部にかかる縁に沿い、肉身、条帛に重なるように彫られている。
 これら阿弥陀仏三尊立像は、江戸時代、長講堂の塔頭だった法光庵の旧本尊であり、光背裏に江戸時代の安永元年(1772念)の大火についての記述がある。いずれも平安時代後期-鎌倉時代の仏師・院尊の作による。脇侍は鎌倉時代作という。
 「善導大師立像」、「法然上人立像」には、それぞれの腹部に長形の祠が開けてある。胎内に阿弥陀仏と勢至菩薩の小さな化仏が刻まれ、仏は外部より見せるために彫られている。
 1995年の阪神淡路体震災の際の本堂損壊補修工事で、厩戸王(うまやどのおう、聖徳太子)立像胎内より、江戸時代、元禄十五年(1702)の経文、古文書(胎内文書)が多数発見された。
◆文化財 法体の「後白河法皇御真影」(重文)は、画竜点睛の自画像とされる。北朝第3代・崇光天皇勅封で櫃内に納められている。50年に一度の大遠忌にのみ、宮内庁からの勅使立会いにより開櫃される。真野満筆の「後白河法皇御真影」(複製)がある。
 「後白河法皇御尊像」(重文)(58.5㎝)は、江戸時代、1658年に「後白河法皇御真影」(重文) を摸刻した。仏師は江戸時代の幕府御用仏書の京仏師・康知による。木造、彩色、玉眼。
 『過去現在牒』は、後白河法皇直筆ともいう。初代・神武天皇から第81代・安徳天皇までの歴代天皇の名の後に、武将・源為朝(1139-1170)、源為義(1096-1156)、白拍子の閉、妓王、妹の妓女、御前らの名が記されている。これらは、後白河法皇ゆかりの人々の名とされ、『平家物語』に記されたものとされる。ただ、不確定。
 鎌倉時代の「長講堂領目録」がある。(別掲)
 「百万遍大念珠」は、1864年の蛤御門の変の際に伽藍が焼失し、1866年に再建された余材で造られた。数珠の玉中に阿弥陀三尊像、33番札所の観音像などが刻まれている。
◆長講堂領目録 鎌倉時代中期の書写によるとされる「長講堂領目録」2巻(重文)は、 2000年に重要文化財に指定された。当時の皇室領庄園の中で最大の規模だった長講堂領の88か所の目録であり、平安時代以来の実務官人・島田家に伝わっていた。領地は、山城国では願徳寺、下桂荘、伏見御領、そのほか尾張、駿河、肥前、肥後など全国各地にわたり記されている。
 1191年10月、後白河法皇は多年領掌してきた庄園群を長講堂に寄進している。法皇没後、長講堂の堂宇ともに法皇皇女・宣陽門院に譲与された。1221年の承久の乱後、第89代・後深草天皇に相続され、以後、持明院統の有力な経済的基盤となる。
 本文は、五畿七道の順に、各庄園名、課役の品目や数量を記している。目録の末尾には不所課の庄園が記されている。長講堂の年中行事、課役のあり方もわかる。
 目録の体裁は、巻子装で現状上下二巻からなる。楮紙打紙に墨横罫を施した料紙を用いる。管理台帳として実際に使用されていた目録の綴りとみられている。
◆年間行事 法皇忌法要(御影堂に安置の木造後白河法皇像が公開される。)(4月13日)。 


*普段は非公開。大部分の建物、建物内の撮影は禁止。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 案内書、『京都・山城寺院神社大事典』『京都大事典』『京都の寺社505を歩く 上』『京都古社寺辞典』『京都府の歴史散歩 上』『京都 歴史案内』『洛東探訪』『京都の地名検証 3』『仏像めぐりの旅 4 京都 洛中・東山』 


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御影殿(御影堂)門

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 長講堂 〒600-8119 京都市下京区富小路六条本塩窯町528,富小路通六条東北角   075-351-5250
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