地蔵禅院 (地蔵院) (井手町)
Jizozen-in Temple
地蔵禅院 地蔵禅院 
50音索引  Home 50音索引  Home







文殊堂、学業成就、智慧の文殊を安置する。


本堂


橘観世音菩薩
 JR奈良線の玉水駅の東、小高い山の中腹に地蔵禅院(じぞうぜんいん)は建つ。地蔵院ともいう。山号は玉峯山。円山公園の枝垂れ桜と同株の樹齢300年近い桜が境内にある。
 曹洞宗、本尊は地蔵菩薩。
 城南西国第27番札所。
◆歴史年表 創建、変遷の不詳は不明。
 飛鳥時代、白鳳年間(661-683/672-685)、橘諸兄により創建されたという。開基は肇建上人により、当初は華厳宗だったという。
 この地は、南都・東大寺(733/728-)華厳宗の旧跡ともいう。(「綴喜郡寺院明細帳」、1883)
 その後、他宗への改宗を重ねる。
 江戸時代、1628年、関東天王院至心孝察が、東長寺の物外麟應を開祖として勧請し、曹洞宗に改めたという。(「綴喜郡寺院明細帳」、1883)
 江戸時代中期、中本山格の寺院となる。末寺18か寺を有した。
 1856年、現在の建物は18世・寶山俊棟により中興された。
 近代、1868年、神仏分離令後の廃仏毀釈により、各所での仏堂破却、仏具、経典廃棄に伴い、当院に仏具、経典などが移された。
 現代、1987年、枝垂れ桜は京都府指定天然記念物となる。雪害により枝の一部が折れる。
 1991年、枝垂れ桜が弱っていたため、有志により「シダレ桜保存会」が結成される。
 1995年、寺は再中興された。
 2007年、枝垂れ桜が樹木医による大規模な処置を受けた。
 2008年、枝垂れ桜の処置が引き続いて行われる。
◆橘諸兄 奈良時代の貴族で政治家・橘諸兄(たちばな の もろえ、684‐757)。第30代・敏達天皇の孫、曾孫という栗隈王の孫で美努王の子。母は橘三千代。光明皇后の同母兄で奈良麻呂の父。井出左大臣、西院大臣と号した。初代橘氏長者。
 葛城王と称した。731年諸司の挙により参議となる。737年天然痘の流行で藤原四兄弟など多くの議政官が亡くなるが生き残る。大納言になり、聖武天皇を補佐した。736年、臣籍に下り、母の氏姓を継ぎ橘宿禰諸兄と称することを許される。740年の恭仁京遷都の推進役となる。749年、生前にもかかわらず正一位となる。750年に朝臣姓を賜られる。755年、聖武上皇への不敬との讒言により、756年に職を辞した。『万葉集』の撰者の1人ともいい、自らも7首選ばれている。
 諸兄は、井手(井出)の里を本拠地とし、高台に館を構えていた。また付近に、橘氏氏寺の大寺、井手(井堤)寺も建立した。
◆仏像 本尊の地蔵菩薩は、奈良時代の橘諸兄の持仏であったという。(『雍州府志』、1684)。ただ、江戸時代以降の本尊という。
 脇仏は不動明王、毘沙門天を安置する。かつて、隣接していた密教寺院天台宗の西芳寺の仏像が遷されたものという。
 ほかに、千手千眼観世音菩薩、文殊菩薩も安置されている。
◆桜 境内には6本ほどの桜の大木が植えられている。鐘楼脇にある枝垂れ桜は、江戸時代、1727年に植樹された。
 1947年に枯死した円山公園の枝垂れ桜は、当院の先代の親桜から株分けしたものという。円山公園の枝垂れ桜はすでに3代目が衰微しているが、当院の桜は285年も生き続けている。手入れ次第では、今後100年は生き続けるという。府指定天然記念物、京都名木十選などに指定されている。幹周り2.4m、樹高10m、開花は例年3月末より。
 境内下の畑には、枝垂れ桜の子の桜2本の巨木があり、樹齢100年になる。また、境内には江戸彼岸桜、ソメイヨシノなども植えられている。
 シダレ桜保存会では、今後も大切に桜を育てていくという。手入れは一年を通して行われている。志納金も募っている。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『井手の里を歩く』『井手町歴史愛好ロマンのしおり』


   関連・周辺玉津岡神社       関連・周辺井手寺(井堤寺)        関連・周辺橘諸兄公旧跡・墳墓        関連・周辺六角井戸       周辺弥勒石仏       周辺小野小町の墓      関連梅宮大社            

鐘楼

鐘楼

梵鐘

地蔵

旧正法寺歴住大和尚之塔

枝垂れ桜と鐘楼


境内は高台にあり、生駒山、信貴山、葛城山、金剛山などを望むことができる。
 地蔵禅院 〒610-0302 綴喜郡井手町井手東垣内16  0774-82-2810
 Home    Home  
  © 2006- Kyotofukoh,京都風光 http://www.kyotofukoh.jp