宗像神社・小一条院 (京都市上京区) 
Munakata-jinja Shrine
宗像神社 宗像神社 
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本殿拝所


本殿拝所


本殿拝所


本殿


少将井社、櫛稲田姫神。



繁栄稲荷社
 京都御苑内南西に宗像神社(むなかた じんじゃ)はある。平安時代、この地には小一条殿があり、第56代・清和天皇が殿内で誕生した。「小一条の宗像」とも呼ばれた。 
 社は花山院家の鎮守神であり、また、御所西南(裏鬼門)を鎮座する方除けの信仰も集めたという。
 主祭神は、宗像大神の多紀理比売命(たごりひめのみこと)、多岐都比売命(たぎつひめのみこと)、市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)。倉稲魂神(うがのみたまのかみ)と天岩戸開神(あめのいわとあけのかみ)の2柱を合祀する。旧府社。
 方除け、交通安全、産業安全・繁栄、海産・生産・運送・建築の守護、出産、京都観光神社は観光客の無病息災、観光業界の発展などの信仰がある。
◆歴史年表 創建の詳細、変遷は不明。
 平安時代、795年、延暦年間(782-806)とも、第50代・桓武天皇の勅命により、藤原冬嗣は東西両市の守護神として筑前宗像神を勧請した。その後、自邸・小一条院(小一条第、東京一条第、東京第)(平安左京一条三坊十四町)内に遷し祀ったという。
 850年、第56代・清和天皇が小一条院に誕生する。(『三代実録』『帝王編年記』)
 859年、宗像神社3座は従二位勲八等、同日正二位へ神階が昇る。(『三代実録』)
 864年、三女神は従一位となる。(『三代実録』)
 865年、邸内社天石戸開神にも従三位が授けられという。(『三代実録』)
 866年、東京第社(宗像社)に、楯桙鞍などが寄せられ、告文が奉じられた。(『三代実録』)
 藤原時平(871-909)により、倉稲魂神を勧請する。
 第65代・花山天皇(在位984-986)の頃、内裏を一時当社に移したという。(『枕草子』『花山院家記』)
 1131年、藤原(花山院)家忠が花山院家を開き、天岩戸開神を合祀し守護神とした。以後、近代まで花山院家が別当に就く。
 鎌倉時代、1275年、卜部兼文の勘奏により、四度官幣(祈年、月次、新嘗4祭の頒幣)に預かることが定められた。(『諸神記』)。官社に列したという。
 室町時代、応仁・文明の乱(1467-1477)により焼失する。その後、再建される。
 江戸時代、安政年間(1854-1859)、現在の社殿が建立される。
 近代、1869年、東京遷都に伴い、この地にあった花山院家邸宅が廃される。社殿のみは現在地に残された。
 1875年、府社に列した。
 1936年、御所紫宸殿前の左近の桜を境内に移植する。
 太平洋戦争(1940-1941)中、神社本庁に属した。
 現代、1969年、京都観光神社を境内に創建し、猿田彦大神を勧請する。
◆藤原冬嗣 平安時代初期の公卿・藤原冬嗣(ふじわら の ふゆつぐ、775-826)。内麻呂と女孺百済永継の子。飛鳥部奈止麻呂の娘とも。贈太政大臣。第52代・嵯峨天皇の信厚く、810年、薬子の変後に蔵人頭に任じられる。中納言、大納言、右大臣、825年、左大臣。娘順子と仁明天皇の婚姻など皇室と関係を深める。氏寺・興福寺に南円堂、勧学院(平安左京三条一坊)を設けた。『弘仁格』などの選集に携わり、詩は『凌雲集』などに収められた。墓は後宇治墓(宇治市)とされたが確定していない。
◆藤原時平 平安時代前期の公卿・藤原時平(ふじわら の ときひら、871-909)。父は基経、母は人康親王(第54代・仁明皇子)の娘。第58代・光孝天皇の信篤く、890年、参議となる。だが、891年、基経没後、第59代・宇多天皇は菅原道真を厚遇する。899年、左大臣、902年、「延喜の治」を推した。901年、道真を大宰権帥に左遷させる。その後、39歳で亡くなり、道真の怨霊による死と噂された。宇治陵(宇治市)中に時平塚の伝承がある。
◆藤原家忠 平安時代後期の公卿・藤原家忠(ふじわら の いえただ、1062-1136)。藤原師実の次男、母は源頼国の娘。1082年、参議。1131年、左大臣・従一位。花山院邸を継ぎ、花山院左大臣と称された。花山院家の祖、花山院家忠ともいう。
◆小一条院 小一条院は、平安時代時代初期の公卿・左大臣・藤原冬嗣の屋敷で、現在の京都御苑内下立売御門東北に位置していた。邸は次男・義房が継ぎ、「東京一条第」「東京第」ともいわれた。その後、忠平、師尹と継がれ「小一条」と称された。この頃、敷地が小一条と花山院とに東西二分されたとみられている。
 850年、院内で良房娘・藤原明子(829-900)は、第56代・清和天皇を産む。済家の娘・中の君(宮敦道親王正妃)は、親王の和泉式部との関係により院に出戻っている。1017年、敦明親王(994-1051)が院に入り、小一条院と呼ばれた。親王は第67代・三条天皇の第一皇子、母は藤原済時の娘・皇后藤原せい子(「せい」は表記できず)。邸宅の坤角(西南)に宗像社が祀られていた。
◆建築 「本殿」は一間社流造、檜皮葺。江戸時代、安政年間(1854-1859)に再建された。
◆摂末社 少将井(しょうしょうい)社は櫛稲田姫神(くしなだひめのかみ)を祀る。かつて少将井・少将井御旅町(中京区少将井町)の間にあった八坂神社の御旅所を、近代、明治期(1868-1912)に遷した。旧地には少将井という井戸があり、名水とされ『枕草子』にもその名がある。現在、祇園祭の後祭(7月24日)には、八坂神社神職が当社に参向する習わしがある。幣帛供進、祇園祭斎行報告をする。流見世棚造、檜皮葺。
 
繁栄稲荷社は、命婦稲荷神(みょうぶいなりのかみ)を祀る。一間社流造、檜皮葺。
 金刀比羅宮は、 大物主神(おおものぬしのかみ)と第75代・崇徳(すとく)天皇を祀る。江戸時代、1806年、讃岐丸亀第5代藩主、丸亀藩京極家7代・京極高中(1754-1811)が、金刀比羅宮を勧請したものという。旅行安全、海産の信仰がある。春日造、檜皮葺。
 花山稲荷社は、倉稲魂神(うかのみたまのかみ)を祀る。花山院家の守護神であり、クスノキの霊木稲荷であり、屋敷神になる。伏見稲荷山より命婦社を勧請した。花山院家の屋敷神として祀られていたのを始まりとする。(『山城名勝志』)。楠木の巨木をご神木とした。火難除け、商取引円滑の信仰を集める。春秋に大祭がある。一間社流造、檜皮葺。
 
京都観光神社は、猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)を祀る。1969年、観光関係者により業界と市民の家運隆昌のために勧請された。一間社流造、銅板葺。
◆樹木 1936年に京都御所紫宸殿前の左近の桜植替え時に、旧左近の桜が境内に移植された。
 境内南の鳥居付近にあるクスノキの大木は、樹齢600年ともいわれる。三幹に分かれている。京都御苑内でもっとも古いという。木の洞では例年、アオバズク(フクロウ目フクロウ科アオバズク属)が繁殖している。1997年の京都府「京都の自然200選 歴史的自然環境部門」に「宗像神社の森」として選定された。
 センダン、タラヨウがある。
◆花暦 水仙(1-2月)、桜(4月上旬)、カリンの実(10-11月)、紅葉(11月中旬-下旬)。
◆年間行事 初詣(白酒接待)(1月1日-1月2日)、例祭(9月15日)、神楽舞奉納・ミニコンサート(例祭日後の日祝日)。


*年間行事は中止、日時変更の場合があります。
*参考文献 『京都市の地名』『京都大事典』『京都古社寺辞典』『京都御所・仙洞御所』『お稲荷さんの起源と信仰のすべて 稲荷大神』『稲荷信仰と宗教民俗』『平安の都』『京都の地名検証 2』『京都まちかど遺産めぐり』『京都歴史案内』『京都の寺社505を歩く 上』『京都 神社と寺院の森』『京都のご利益めぐり』


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繁栄稲荷社、命婦(みょうぶ)稲荷神

金刀比羅宮、大物主神と崇徳天皇を祀る。

金刀比羅宮の千木

花山稲荷社

花山稲荷社

花山稲荷社、倉稲魂神、花山院家の守護神。

京都観光神社

京都観光神社、猿田彦大神

手水舎

クスノキの大木、樹齢600年ともいわれ、京都御苑内でもっとも古い。木の洞では例年、アオバズク(フクロウ目フクロウ科アオバズク属)が繁殖している。
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 宗像神社 〒602-0881 京都市上京区京都御苑9   075-231-6080
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