元慶寺・花山 (京都市山科区) 
Gankei-ji Temple
元慶寺 元慶寺 
  Home   Home



山門




参道


本堂


本堂、寺号扁額「元慶寺」


本堂、菊花紋


本堂









「人皇六拾五代花山院法皇御落飾道場」の石標
 山科御陵のより南、北花山の地に、元慶寺(がんけいじ)がある。平安時代の第65代・花山天皇ゆかりの寺として知られる。花山寺(かざんじ/くわさんじ)、花山とも呼ばれる。山号は華頂山という。 
 天台宗、本尊は薬師瑠璃光如来。
 西国三十三カ所番外札所。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 平安時代、868年、貞観年間(859-877)、869年とも、遍昭が貞明親王(第57代・陽成天皇)の誕生に際して発願、創建したものという。天皇の母・藤原高子の開基による。定額寺となる。(「三代実録」、877年の条)。「元慶(がんぎょう/げんけい)」の年号寺として元慶寺(がんけいじ)と称した。当初は華山寺と称したともいう。旧地は、現在地の北西の山上、また、街道北の山際の寺内田ともいう。(『山城名勝志』)
 869年、伽藍が建立される。当年に建立ともいう。(『元亨釈書』)
 877年、勅願寺となり、年号「元慶」に因み元慶寺と改めたともいう。年分度者3人を得た。(『三代実録』)
 884年、伝法阿闍梨が置かれた。(『類聚三代格』)
 892年、花山元慶式が定められる。(『類聚三代格』)
 957年、僧房など7宇を焼失する。(『九暦』)
 986年、花山天皇を退位・出家に追う「寛和の変」にともない、天皇らは当寺で出家する。
 1013年、藤原道長は寺地を定めた。(「御堂関白記」)
 室町時代、応仁・文明の乱(1467-1477)により罹災した。その後、寺域を縮小する。
 江戸時代、安永年間(1772-1781)、現在の建物が再建される。
 1789年、妙法院宮真仁法親王により再興される。現在の本堂が再建されたともいう。
◆遍昭 平安時代前期の天台宗の僧・遍昭(へんじょう、816-890)。良岑(よしみね)宗貞。遍照とも。父は大納言・良岑安世。第50代・桓武天皇の孫。846年、左近衛少将、849年、蔵人頭として第54代・仁明天皇に仕えた。850年、天皇没後出家し、大徳寺・雲林院、山科に元慶寺を創建し、花(華)山僧正とも呼ばれた。第58代・光孝天皇にも仕えた。885年、元慶寺座主、花山僧正と号した。
 歌人としても知られ、六歌仙、三十六歌仙のひとり。小野小町と清水寺で歌でやりとりをした。『古今集』入集。元慶寺南西に墓がある。
◆藤原高子 平安時代前期の女御・藤原高子(ふじわら の こうし/たかいこ、842-910)。父は藤原長良、母は藤原総継の娘乙春。東五条第に住んだという。866年、第56代・清和天皇女御、868年、貞明親王(第57代・陽成天皇)を産む。877年、親王即位に伴い皇太夫人(のち皇太后)となる。878年、東光寺を建立。884年、陽成天皇退位後、二条院に移転し二条の后と呼ばれた。897年、東光寺僧・善祐と密通し、皇太后の号を廃される。没後、943年、復号した。後宮歌壇の中心となり『古今集』に入集。歌壇の在原業平の恋人ともいわれた。
◆花山天皇 平安時代中期の第65代天皇・花山天皇(かざん てんのう、968-1008)。第63代・冷泉天皇第1皇子、母は藤原懐子。969年、立太子。比叡山、熊野などで修行する。正暦年間(990‐995)帰京、東院(花山院)に住んだ。984年、円融天皇譲位後に17歳で即位。986年、寛和の変により右大臣・藤原兼家・道兼父子が退位を画策した。寵愛した身重の女御・忯子(よし子)が亡くなり、元慶寺で出家し入覚と称した。996年、花山法皇襲撃事件では、法皇がし子の妹のもとに通う中、誤解が元で中関白家の内大臣・藤原伊周・隆家に矢で射られる。
 和歌に優れ「拾遺和歌集」を編した。建築、絵画、工芸、造園に造詣深かった。書写山、比叡山、熊野などの霊場を巡歴した。天皇の観音巡礼により西国三十三箇所巡礼が中興されたとの伝承が生まれる。墓所は紙屋上陵(北区)にある。花山院とも称された。 
◆藤原忯子 平安時代中期の女御・藤原忯子(ふじわら の しし/きしこ、969-985)。藤原為光の娘、母は藤原敦敏の娘。984年、入内、花山天皇の女御。弘徽殿(こきでんの)女御と呼ばれた。天皇に寵愛され懐妊した。17歳。贈従四位上。
 986年、藤原兼家らの謀略にかかり、花山天皇はし子の死を嘆くあまり内裏を出奔、元慶寺で出家、退位した。 
◆寛和の変 平安時代、986年に第65代・花山天皇を退位・出家に追う寛和の変が起きた。
 984年に即位した花山天皇は即位後、外戚・藤原義懐らの補佐を受けた。右大臣・藤原兼家は外孫・懐仁親王の皇太子即位、自らの摂政就任を画策する。
 985年、天皇寵愛の女御・し子の死を契機とし、蔵人の兼家次男・道兼は天皇に出家を勧める。6月23日明け方、天皇は内裏より山科・元慶寺に向かう。兼家はすぐに、清涼殿の三種の神器を皇太子の居所・凝華舎に移し門を閉ざした。天皇とそれを追った義懐、側近・藤原惟成は、ともに元慶寺で出家し、復することはできなかった。出家を約束していた道兼は前言を翻している。同日、懐仁親王は第66代・一条天皇に即位、兼家は摂政に就いた。
 当時の皇統は、第62代・村上天皇皇子の第63代・冷泉天皇系(花山天皇)と第64代・円融天皇系(一条天皇)の兄弟に分裂しており、寛和の変の背景にはその対立の構図があった。兼家五男・藤原道長は、円融系の一条天皇、第69代・後朱雀天皇、第70代・後冷泉天皇に継承させて決着させた。
◆慈徳寺 元慶寺の向かいに、かつて慈徳寺という天台宗の寺があった。
 平安時代、987年に阿闍梨五口が置かれている。(「日本紀略」)。999年、第64代・円融天皇女御・東三条院詮子は落慶法要を行う。(「小右記」)。以後、御斎会(ごさいえ、天皇が僧を集め斎食<とき>を与える法会)も催された。1013年、藤原道長により元慶寺との寺境が定められる。(「御堂関白記」)。その後、荒廃し、1096年、藤原師通により修造が行われている。(「後二条師通記」)。後に廃寺になった。
◆仏像・木像 本堂の本尊「薬師瑠璃光如来」は、遍照作という。脇檀に 遍照作という本人木像、花山法皇の宸影などが安置されている。
 山門の「梵天」と「帝釈天」は、京都国立博物館に寄託。
◆建築 「本堂」は江戸時代、安永年間(1772-1781)、また1789年の再建ともいう。方形造。
 「山門」は、江戸時代、安永年間(1772-1781)の再建による。唐風の竜宮造。ほかに毘沙門堂、納経所がある。
◆文化財 遍昭自刻の肖像がある。
◆鎮守社 境内に鎮守社の六所神社が祀られている。
◆花山 地名の花山(かざん)について、かつてこの地が、花の名所だったことに因むという。平安時代、1107年、女房たちが花見に訪れている。(『中右記』)。鎌倉時代以降は、「花山(はなやま/はなのやま)」が歌枕になる。
 元慶寺は「花山寺」(『延喜式』)、「花山元慶寺式」(『類従三代格』)と記されている。花山とは元慶寺の別号だった。また、元慶寺の山号は「華頂山」という。室町時代に、この地、花北山は天台宗の青蓮院領だったという。
 現在の青蓮院(左京区)は華頂山麓にあり、かつて華頂山北麓に、天台宗寺門派園城寺別院の花頂院(かちょういん)という寺院があった。寺院の創建、変遷の詳細は不明という。中世には粟田口華頂町付近にあり、大寺だった。鎌倉時代、1230年に五重塔が焼失し、廃寺になる。東山三十六峰の一つである華頂山(かちょうざん、210m)の名も、この寺号に由来する。山は、花頂山、花鳥山とも書かれる。華頂山には上の台(頂上に将軍塚)、中の台、下の台があり、古くより花の名所として知られた。
 元慶寺(花山寺)と青蓮院・将軍塚、花山、華頂山(花頂山)、花頂院は関連があるともいう。
 歌枕の花山は、「はなやま」「はなのやま」と詠まれる。「待てといはばいともかしこし花山にしばしと鳴かむ鳥の音も哉」(『拾遺集』雅春、僧正遍昭、一〇四三)。
◆修行体験 写経(毎月8日の本尊・薬師如来の縁日、9:00-16:00、随意)。
◆年間行事 本尊薬師如来の縁日(毎月8日)。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『洛東探訪』『続・京都史跡事典』『京都大事典』『京都府の歴史散歩 中』『平安の都』『京都の寺社505を歩く 下』『京都の地名検証』『週刊 日本の仏像 第8号 浄瑠璃寺 吉祥天と九体阿弥陀』


  関連・周辺福應寺       関連・周辺花山神社       周辺      関連将軍塚・将軍塚大日堂・華頂山           

納経所


勅願所華頂山元慶寺再興碑記の石碑、江戸時代、1789年亮雄により建立。

素性法師(そせいほうし)歌碑「今こむと 言ひし許(ばかり)に 長月の ありあけの月を 待ちいでつる哉」(『古今和歌集』『小倉百人一首』)。
素性法師(?- 910?)は、平安時代前期から中期にかけての歌人・僧侶。遍照(良岑宗貞)の子。第50代・桓武天皇の曾孫。俗名は良岑玄利(よしみねのはるとし)ともいう。 三十六歌仙の一人。

遍昭の歌碑、 「五節舞姫(ごせちのまいひめ)を見て よめる」「天津風 雲の通い路 吹きとじよ 乙女の姿 しばしとどめむ」(『古今和歌集』『小倉百人一首』)、空吹く風よ、天女の通る雲の通い路を閉ざしておくれ。天女の姿をしばらくこの地上にとどめおこう。新嘗祭の豊明節会(とよあかりのせちえ)で舞った童女について詠んだ。

【参照】「桓武天皇皇孫遍昭僧正御墓」の石標
【参照】遍昭僧正墓
 元慶寺 〒607-8476 京都市山科区北花山河原町13   075-581-0183
    遍昭僧正墓 京都市山科区中道町

より大きな地図で 元慶寺 を表示
 Home    Home  
   © 2006- Kyotofukoh,京都風光