一念寺 (京都市伏見区)
Ichinen-ji Temple
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「圓光大師御旧跡」の石標


本堂




前庭


【参照】真阿ヶ淵、境内すぐ西に鴨川最下流の緩やかな流れがある。
 下鳥羽、鴨川最下流の東岸にある一念寺(いちねんじ)は、法然ゆかりの寺といわれている。
 浄土宗、本尊は阿弥陀如来。 
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 飛鳥時代、674年、法相宗の僧・道昭により開創されたという。当初は奈良・元興寺に属する法相宗だったという。(寺伝)
 鎌倉時代、1207年、建永の法難で、後鳥羽院は法然に四国讃岐への配流を命じた。法然は、鳥羽殿南門より当寺に立ち寄り、弟子達と別れを惜しんだという。その際に、熊谷蓮生房に名残の名号を与えたという。(「法然上人絵伝」「平家物語」)
 室町時代、1437年頃、永享年間(1429-1441)とも、真阿により再興され浄土宗に改宗した。東大寺浄土堂より、阿弥陀如来坐像を本尊として遷したという。
◆道昭 飛鳥時代の僧・道昭(629-700)。道照。河内国に生まれた。百済系。日本法相宗の祖。653年、入唐学問僧として渡り、長安・玄奘三蔵の弟子となり、経・律・論の三蔵、禅を学ぶ。661年、帰国し、多くの経論、仏舎利を持ち帰る。飛鳥・法興寺(飛鳥寺)に住し、禅院で唯識論を講じ、参禅した。日本への禅伝来の初例とされている。法相宗を広める。698年、薬師寺の繍仏の開眼導師になり、日本初の大僧正に任じられた。西方を向き端坐して亡くなる。
 各地に井戸を掘り、渡に船を設置し、橋を造るなどの社会事業を行う。僧侶として火葬(荼毘)の初例ともいう。宇治橋架橋については異説もある。
◆法然 平安時代末期-鎌時代前期の浄土宗の僧・法然(ほうねん、1133-1212)。勢至丸。美作国に生まれた。父は押領使・漆間時国、母は秦氏。1141年、9歳の時、父は夜襲により目前で殺される。父は出家を遺言する。天台宗菩提寺の叔父・観覚のもとに預けられた。1145年、13歳で比叡山に上り、西塔北谷の持法(宝)房源光に師事、1147年、皇円の下で出家受戒。1150年、西塔黒谷慈眼坊叡空の庵室に入り、浄土宗に傾く。法然房源空と名乗る。1156年、比叡山を下り清凉寺に参籠、南都学匠も歴訪する。再び比叡山に戻り黒谷報恩蔵で20年に渡り一切経を5回読む。1175年、唐の浄土宗の祖・善導の「観無量寿経疏」の称名念仏を知り、比叡山を下りた。善導は、阿弥陀仏の誓った本願を信じひたすら念仏を唱えれば、善人悪人を問わず、阿弥陀仏の力により必ず阿弥陀仏の浄土である極楽に生まれ変わることができるとした。西山、広谷(後の粟生光明寺)の念仏の聖・遊蓮房円照に住した。東山吉水に草庵(吉水の善坊)に移り、阿弥陀仏を崇拝し、ひたすら南無阿弥陀仏を口で唱える専修念仏の道場となる。1186年(1189年とも)、天台僧らとの大原談義(大原問答)で専修念仏を説く。1190年、東大寺で浄土三部経を講じる。1201年、親鸞が入門した。1204年、延暦寺衆徒による専修念仏停止を天台座主に要請した「元久の法難」が起きる。「七箇条制誡」を定め、弟子190人の連署得て天台座主に提出する。1206年、後鳥羽上皇(第82代)の寵愛した女官(鈴虫、松虫)らが出家した事件「承元(建永)の法難」により、専修念仏の停止(ちょうじ)となり、1207年、法然は四国・讃岐へ流罪となる。10カ月後に赦免されたが入洛は許されず、摂津・勝尾寺に住み、1211年、ようやく帰京した。草庵は荒れ果て、青蓮院の慈円僧正により、大谷の禅房(勢至堂付近)に移る。翌1212年ここで亡くなった。『選択本願念仏集』(1198)、『一枚起草文』(1212)などを著す。
◆熊谷直実 平安時代後期-鎌倉時代の武士・熊谷直実(くまがい なおざね、1141-1208)。武蔵国に生まれた。幼くして父・直貞を亡くし、兄とともに叔父・久下直光に養育された。平知盛に仕える。1180年、石橋山の戦で、平家方として源頼朝を攻め、その後、頼朝の配下となる。佐竹秀義の成敗の功により本領・熊谷郷の地頭職に補任された。1184年、義経に従い宇治川、壇ノ浦、一ノ谷と転戦、16歳の平敦盛(清盛の弟・経盛の子)を討った。1187年、鶴岡流鏑馬所役を怠ったとのかどで領地を減じられる。1192年、直光との領地争いでの頼朝裁決を不当として、吉水の法然の門に入り、出家、法力坊蓮生と改名した。1196年、鎌倉に戻り頼朝に伝道兵法を説く。その後、帰洛、晩年は武蔵国で暮らし、没したとも、東山の草庵で没したともいう。
◆真阿 室町時代の僧・真阿(しんあ、1385-1440)。第99代、南朝第4代・後亀山天皇皇子。1410年、誓願寺で出家し義恩と称した。通称は帥宮。阿弥陀仏の夢告により真阿弥陀仏の名を授けられたとして真阿と号したという。同寺住職となる。義教に請願寺を授けて十念寺を開山した。1437年頃、一念寺を再興する。
◆本尊 本堂に安置の本尊の「阿弥陀如来坐像」(府指定文化財)は丈六(224㎝)で、「鳥羽の大仏」と呼ばれている。定印。鎌倉時代作。
 室町時代、1437年頃、真阿により再興された際に、東大寺念仏堂から遷されたものという。
◆真阿ヶ淵 門前の鴨川畔は、真阿ヶ淵(しんあがぶち)と呼ばれている。1440年に没した真阿が、魚の餌食にして欲しいとの遺命に従い、遺骸は鴨川で水葬に処されたという。以後、付近は真阿ヶ淵と呼ばれ、殺生禁断の地とされたという。
◆文化財 鎌倉時代、1207年、建永の法難で四国讃岐へ配流になった法然は、弟子の一人、熊谷蓮生房に名残の名号を与えたという。その名号はいまも当寺に残されている。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都発見2 路地遊行』『京都の寺社505を歩く』『日本の名僧』『史跡探訪 京の七口』『京都の地名検証』


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