延寿寺 (京都市下京区) 
Enju-ji Temple

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山門


「勅願所 金佛殿 延寿寺」


本堂


本堂

 延寿寺(えんじゅじ)は河原町通に面し、ゆかりある長講堂の東隣に位置している。 
 浄土宗西山派、本尊は阿弥陀如来、釈迦如来、大日如来の三尊仏。
◆歴史年表 平安時代、1163年、後白河上皇(第77代)の御願により蓮華王院(三十三間堂)を供養した際に、諸所の捧物により三尊が造られたという。
 文治年間(1185-1190)、後白河上皇の命により、丈六金銅の三尊(阿弥陀如来、釈迦如来、大日如来)を安置するため院御所六条殿内に仏堂が安置された。この時、長講堂も建立されている。また、延寿寺はこの長講堂を前身とするともいう。
 年代不詳、長講堂衰微、移転に伴い、三尊を本尊とし天台宗に改め独立した。延寿寺と改称した。
 中世(鎌倉時代-室町時代)、金の仏像を安置したことから、金仏寺(かなぶつでら、金佛殿、金仏延寿寺)と寺号を改めたともいう。
 室町時代、1528年、焼失する。本尊は金仏のため焼失を免れる。(「二水記」)
 年代不詳、寛空が中興し、浄土宗に改める。
 1591年、豊臣秀吉により現在地に移転する。旧地は中金仏町(下京区)、卜味金仏町(下京区)ともいう。
 江戸時代、1788年、天明の大火により焼失する。
 1864年、禁門の変の兵火により焼失、三体の金銅の本尊が溶解する。
 1866年以降、現在の木造本尊が造仏される。
 近代、1882年、現在の建物が再建された。
◆後白河天皇 平安時代後期の第77代・後白河天皇(ごしらかわ てんのう、1127-1192)。第74代・鳥羽天皇の第4皇子に生まれた。1155年、異母弟の第76代・近衛天皇の死により即位する。1156年、保元の乱、1159年、平治の乱後、源平対立の中で王力を維持した。1158年、第78代・二条天皇に譲位し、六条、高倉、安徳、後鳥羽天 皇の5代の歴代天皇に対して30年に渡り院政を敷いた。1159年、父・鳥羽天皇の本願だった白河阿弥陀堂を建立する。1160年、初めて熊野に参詣した。以後、本宮に34回、新宮・名地に15回参詣している。1169年、園城寺前大僧正・正覚を戒師として出家する。1169年、園城寺長吏・覚忠により 受戒し、法名行眞と称した。『梁塵秘抄口伝集』(1169)を撰した。1170年、東大寺で改めて受戒した。 1179年、平清盛の謀反により、院政を止め鳥羽殿に幽閉の身となる。1181年、高倉上皇没後、院政を再開する。1183年、木曽義仲の法住寺合戦により、六条西洞院の御所に幽閉され、この地で亡くなる。没後、法住寺法華堂に葬られる。
◆本尊 平安時代、1163年、後白河上皇(第77代)の御願により蓮華王院(三十三間堂)を供養した際に、諸所の捧物により丈六金銅の三尊(阿弥陀如来、釈迦如来、大日如来)が造られた。鋳型は運慶作という。三尊はその後、700年に渡り幾度かの戦火、大火もくぐり抜けてきた。1864年、禁門の変の兵火により溶解した。
 1866年以降、木造本尊の三尊が造仏される。
◆墓 江戸時代の歌舞伎役者、初代・尾上菊五郎(1717-1783)、2代目(1769-1787)、5代目夫人、近代の日本画家・川村曼舟(1880-1942)。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都大事典』『京都 歴史案内』『京都の寺社505を歩く』


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延寿寺 〒600-8119 京都市下京区本塩竈町588,河原町通六条上る   075-351-5978
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