春長寺 (京都市下京区)
Shuncho-ji Temple
春長寺 春長寺 
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本堂
 寺町四条、東に春長寺(しゅんちょうじ)はある。山号は松林山という。 
 浄土宗、本尊は阿弥陀如来。
◆歴史年表 安土・桃山時代、1574年、武将・村井貞勝が、当初は三条京極の邸内(中京区)に創建した。(『坊目誌』)。開山は貞誉寿林による。
 1582年、本能寺の変により貞勝は討死した。
 1583年、貞勝の菩提を弔うために現在地(下京区)に堂宇を移し、春長寺と改めた。寺号は貞勝の号「春長軒」による。
 江戸時代、1788年、天明の大火により焼失した。
 1802年、説誉により現在の本堂などを再興する。(『坊目誌』)
◆村井貞勝 室町時代-安土・桃山時代の武士・村井貞勝(むらい さだかつ、1520?-1582)。近江国生まれ。1549年以来、織田信長の家臣として信長の信も厚かった。1556年、織田信勝による兄・信長への叛旗に対し、島田秀満(秀順)とともに信勝・柴田勝家らとの和平交渉を行う。1568年、信長が義昭を擁して上洛後、日乗朝山とともに御所の修理を監督した。明智光秀と京都の民政に携わる。民部少輔に任じられた。朝廷との折衝などに当たる。1573年、信長より京都所司代(天下所司代)に任ぜられた。1575年、信長による公家旧領返還の徳政令に関わる。正六位下・長門守に叙任された。1576年、石山本願寺攻めに加わる。1576年-1587年、信長に二条殿の普請を命じられる。1580年、信長居住のための本能寺普請を命じられた。1581年、出家し春長軒と号し、家督を子・貞成に譲る。1582年、本能寺の変で、信長嫡男・信忠の宿所・妙覚寺に駆け、明智軍に抗し二条新御所に立て籠もることをすすめた。信忠、子の貞成・清次らとともに討死した。安土城、南蛮寺の建設、四条の橋の架橋した。ルイス・フロイス『日本史』にその人物を評された。号は春長軒という。墓は春長寺にある。
◆建築 本堂は、江戸時代、1802年の再建による。屋根にむくりが見られる。
◆文化財 村井貞勝の画像がある。
◆墓 開山・貞誉寿林、村井貞勝の五輪塔がある。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都 歴史案内』 『京都大事典』

 
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 春長寺 〒600-8031 京都市下京区貞安前町610,寺町通四条下る  
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