善行院 (京都市上京区)
Zengyo-in Temple
善行院 善行院 
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 善行院(ぜんぎょういん)は、妙顕寺の東北に位置する。「西陣の妙見宮」「西陣の妙見さん」と呼ばれている。山号は日洋山という。 
 日蓮宗京都十六本山の大本山・妙顕寺の塔頭のひとつ。本尊は一塔両尊。
 洛陽十二支妙見めぐり第1番札所、子(ね、北)を祀る。江戸時代には、洛陽二十八宿妙見の12番札所になっていた。
 商売繁盛、眼病平癒などの信仰がある。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 室町時代、1466年、恵眼院日富上人により建立されたという。
 江戸時代初期、1860年、妙顕寺山内に一堂を建立し、御所内の清涼殿より第111代・後西天皇が篤く信仰した妙見尊を遷す。
 近代、1868年、神仏分離令後の廃仏毀釈により洛陽十二支妙見めぐりが衰退した。
 現代、1986年、京都市内の日蓮宗寺院を中心にした「洛陽十二支妙見会」により洛陽十二支妙見めぐりが復活する。
 2003年、妙見堂は建て替えられる。
◆後西天皇 江戸時代の第111代・後西天皇(ごさいてんのう、1638-1685)。第108代・後水尾天皇の第8皇子、母は櫛笥隆致の娘隆子(逢春門院)。1647年、高松宮好仁親王の遺跡を継ぐ。1648年、親王宣下、のち式部卿。第110代・後光明天皇没後、幼少の養子・識仁親王(霊元天皇)の中継ぎとして1656年、即位した。養母は東福門院。皇后明子女王の母は将軍秀忠の養女亀姫。和歌、連歌、書など諸芸に優れた。記録類の副本作成は、京都御所東山御文庫蔵書の基になる。在位中に天変地異が相次いだ。幕府は退位を求め、1663年、譲位する。泉涌寺内の月輪陵に葬られる。
◆妙見尊 妙見堂の妙見尊は、かつて御所の清涼殿に安置されていた。江戸時代初期、1860年、第111代・後西天皇の信仰篤く、日々祈願していたという。天皇には、法華経により祭祀するようにという霊夢があった。妙顕寺山内に一堂を建立し、遷して安置したという。このため、「日本唯一天拝の妙見大菩薩」「妙見様」と呼ばれている。妙見菩薩立像は、鎧を着、右手に剣を構え、宝冠を被る。
 十二支子(ね)として黄金色の鼠(48㎝)が安置されている。
◆洛陽十二支妙見めぐり 洛陽十二支妙見めぐりは、奈良時代以来のもので、京都御所紫宸殿を中心に、十二支の方角にそれぞれ妙見宮を祀った。これらを順番に巡り、福寿開運などを祈願した。妙見菩薩は北極星、北斗七星を神格化しており、宇宙万物の霊気を司る霊験あらたかな菩薩とされている。鎮宅霊符神、玄武神として鎮護国家の守り本尊とされた。
 江戸時代には、貴族から庶民にまで広く信仰される。江戸時代初期、能勢では妙見信仰が隆盛になり、目の神、水商売の神として信仰された。江戸時代中期には、御所を中心にした妙見めぐりが盛大になり、文政年間(1818-1830)、洛陽二十八宿妙見が登場した。
 近代、1868年、神仏分離令後の廃仏毀釈により衰退する。近年、1986年、京都市内の日蓮宗寺院を中心にして「洛陽十二支妙見会」が生まれ、干支めぐりが復活する。参拝の順番は、自分の干支からでもその年の干支からでもよいという。
◆文化財 「永照講」の扁額は、江戸時代の洛陽二十八宿妙見の12番札所当時のものになる。
◆年間行事 星祭(2月節分)、お火焚(11月第3日曜日)、年越水行祭(12月31日)。
 妙見宮月例祭(月並祭)(毎月1日、15日)。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都御朱印を求めて歩く札所めぐりガイド』『京の福神めぐり』



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本堂

妙見宮

妙見宮
 善行院 〒602-0005 京都市上京区妙顕寺前町,寺之内通新町西入る    075-451-4182
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