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  観音寺 (京都府長岡京市)
Kannon-ji Temple
観音寺  観音寺
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観音寺の石碑、境内に至る途中の道に立てられている。江戸時代、1845年建立で「観音寺 右に當所氏神子守勝手大明神 左に千手観音開山行基菩薩作」とある。


境内に続く石段の参道



石段途中にあるお不動さんの水
 畑地、竹林の広がる丘陵地帯に観音寺(かんのんじ)は建つ。境内は子守勝手神社と隣接している。山号は粟生山(あおさん)という。 
 京都洛西観音霊場(洛西三十三所観音霊場)第8番札所。
 天台宗、本尊は十一面千手観音菩薩。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 奈良時代、創建されたという。行基開山によるともいう。
 南北朝時代、1340年、寺は「都名所図会」に描かれている。
 江戸時代、参詣者も多かったという。
 元禄年間(1688-1704)、信者300人により参道脇にお不動さんの水が整備された。
 現代、1978年、廃れていた洛西三十三所観音霊場めぐりが再興された。
行基 奈良時代の僧・行基(ぎょうき/ぎょうぎ、668/667-749)。河内国の人。父は高志才智、母は蜂田古爾比売。681年/682年、出家、官大寺で法相宗などを学ぶ。691年、高宮寺で具足戒を受ける。畿内に道場、寺を建立、溜池、溝・堀、架橋、困窮者の布施屋建設などの社会事業を行う。704年、生家を家原寺とし住した。717年、民衆煽動と僧尼令に反した寺外活動の咎で詔により弾圧を受ける。731年、弾圧を解かれる。732年、河内国狭山下池の築造に関わる。734年、東大寺大仏建立の詔が発布、勧進の任を務めた。736年、インド出身の僧・菩提僊那一行来日に際し大宰府で迎えた。738年、朝廷より行基大徳の称号が授与される。740年以降、東大寺大仏建立に協力する。741年、聖武天皇と恭仁京郊外の泉橋院で会見する。743年、東大寺大仏造営の勧進になる。745年、朝廷より日本初の大僧正位を授けられる。菅原寺(喜光寺)で亡くなる。地図の行基図を作成したという。東大寺「四聖」の一人。
◆本尊 普段は無住のため、粟生地区の「十人衆」と呼ばれる長老の奉仕により維持管理されている。本堂の本尊は行基作によるともいう。本尊は普段、7番札所の光明寺、観音堂に預けられ、納経受付も光明寺で行われている。本尊は正月など祭事の際には当寺に戻されている。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都御朱印を求めて歩く札所めぐりガイド』『洛西三十三所観音霊場』『日本の名僧』


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本堂

本堂

御詠歌

境内よりの景色、手前は柿の畑
 観音寺 〒617-0811 長岡京市粟生清水谷27  
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