万福寺 (京都市南区)
Manpuku-ji Temple 
万福寺 万福寺
 Home  Home







本堂
 久世大薮町に万福寺(まんぷくじ)がある。境内は白壁・板塀に囲まれている。山号は慈眼山(じげんざん)という。  
 西山浄土宗、本尊は聖観音を安置する。
 京都洛西観音霊場(洛西三十三所観音霊場)第17番札所。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 平安時代、円仁(794-864)がこの地を訪れた際に、親切な村人のために観音像を刻み、後に一宇が建てられ、本尊が安置されたという。
 その後、兵火により焼失する。
 現代、1978年、廃れていた洛西三十三所観音霊場めぐりが再興された。
◆円仁 平安時代前期の天台僧・円仁(えんにん、794-864)。慈覚大師。下野国に生まれた。9歳で大慈寺・広智に師事、808年15歳で唐より帰国した比叡山の最澄に師事、最期まで14年間仕えた。815年東大寺で具足戒を受ける。比叡山で12年の籠山行に入る。だが、5年後、法隆寺、四天王寺での夏安吾(げあんご、修行僧の集団生活による一定期間の修行)講師、東北への教化を行う。一時心身衰え、829年横川に隠棲した。常坐三昧、法華経書写などの苦修練行を続け、夢中に霊薬を得て心身回復し、法華経書写を始め、小塔(如法堂)を建て写経を納めたという。首楞厳院(しゅりょうごんいん)を建立した。836年、837年と渡唐に失敗、838年最後の遣唐使として渡る。その後、遣唐使一行から離れ、840年五台山・大花厳寺を巡礼し国清寺で学ぼうとしたが許可が下りなかった。長安などにも行き、天台、華厳、密教などを学んだ。現地では仏教弾圧があり、日本と新羅はこの間に国交断絶していた。山東半島、赤山新羅坊の新羅寺・赤山法華院で新羅仏教を学ぶ。847年帰国、仏典、金剛界曼荼羅など多数を持ち帰った。848年比叡山に戻り、円珍に密教を教えた。854年第3世・天台座主に就く。862年東塔に天台密教の根本道場・総持院を建立した。『顕揚大戒論』、9年6カ月の唐滞在記である『入唐求法巡礼行記』(全4巻)を著す。東京・瀧泉寺、山形・立石寺、松島・瑞巌寺など多くの寺を開いた。没後、日本初の大師号(慈覚大師)を贈られた。入唐八家(最澄・空海など)の一人。
◆本尊 本尊の聖観音は、幾たびの火災にも難を逃れたことから、「火除け観音」として信仰を集めている。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都御朱印を求めて歩く札所めぐりガイド』『日本の名僧』


  関連・周辺      周辺      関連      

玄関

境内
 万福寺 〒601-8206 京都市南区久世大薮町319    075-921-5269
50音索引  Home   50音索引  Home  
  © 2006- Kyotofukoh,京都風光 http://www.kyotofukoh.jp