新徳寺(新徳禅寺) (京都市中京区)
Shintoku-ji Temple
新徳寺 新徳寺 
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本堂


「第二番 屋根葺地蔵尊 万年寺」の石標

 壬生寺の東向かいに新徳寺(しんとくじ、新徳禅寺) はある。幕末には上洛した浪士組の清河八郎が隊士を前に尊王攘夷の演説を行っている。山号は鳳翔山という。 
  臨済宗永源寺派。本尊は准胝観音菩薩、脇壇に客仏・地蔵菩薩(屋根葺地蔵)を安置する。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 江戸時代、永源寺113世・天巌文聡の開基によるという。大智寺の末寺の寺号を譲られ、摂津・瑞岩山、現在地の北隣にあった万年寺などを併合し「鳳翔山新徳寺」と称して建立された。
 1863年、2月23日(旧暦)、夜、江戸より京都・壬生村に入った浪士組の清河八郎は、新徳寺に本部を置く。本堂に隊士を集め尊王攘夷の演説を行った。その後、浪士組の鵜殿鳩翁、清河八郎ら取締役、山本仙之助らが当寺に分宿する。
 3月13日、清河らは江戸に出立する。
◆天巌文聡 江戸時代の僧・天巌文聡(生没年不詳)。詳細不明。永源寺113世、京都・新徳寺開基。
◆清河八郎 江戸時代後期の尊攘派志士・清河八郎(きよかわ はちろう、1830-1863)。庄内藩郷士、酒造家の斎藤豪寿(ひさとし)と亀の長男。1847年、江戸の東条一堂、安積艮斎に師事。1851年、千葉周作道場に入り、免許皆伝を得る。昌平黌に学び、1854年、私塾を開く。近畿、中国、九州を遊歴する。1860年、尊王攘夷の虎尾の会を結成し盟主に就く。発起人は山岡鉄太郎ら15名だった。だが町民の殺傷事件で追捕され、東北、九州へ逃れ遊説する。1862年、薩摩の島津久光上洛を機に挙兵を企てるが久光による薩摩藩尊皇派などの鎮撫事件・寺田屋の変で挫折した。1863年、将軍警護の名目で、幕府の資金により浪士隊を結成する。江戸・小石川の伝通院で初の会合を持ち、取締役に山岡鉄太郎、松岡万が就く。2月23日(旧暦)、上洛の夜、京都・新徳寺に浪士組を集め「真の目的は将軍護衛ではなく、尊王攘夷の先鋒のためである」との演説を行う。翌24日、朝廷に上奏文を提出した。江戸幕府は驚き、浪士組を江戸に呼び戻す。だが、芹沢鴨、近藤勇らは京都に残留、壬生浪士組(のちの新撰組)を結成する。清河は江戸に戻り、横浜外人居留地焼打ちの企てを進めるが、4月13日、幕府見廻組・佐々木只三郎らの手により暗殺、斬首された。旅行記『西遊草』を著す。34歳。墓所は東京伝通院にある。清河神社(山形県庄内町)に祀られた。
◆本尊
本尊の地蔵菩薩は、かつて、星光寺(せいこうじ)の本尊という。屋根葺(やねふき)地蔵とも呼ばれている。室町時代、洛陽六地蔵巡りの一つとし知られていた。かつては石造坐像だったとみられる。現在は江戸時代作とみられる木造で、右手に錫杖、左手に宝珠、左足を下げた半跏趺坐像。像高34㎝。
 屋根葺地蔵といわれる所以がある。鎌倉時代、建長年間(1249-1256)、六角櫛箪笥町(くしげちょう、中京区)に貧しい筆売りの老女がおり、地蔵尊を信仰していた。ある時、大風で家が倒壊する。老女は地蔵尊のご加護がなかったとして恨んだ。
 翌日、老女が家を留守にしている間に、若い法師4、5人が訪れ、家を修復し、屋根を葺き替えて帰って行った。その夜、老女の夢枕に地蔵尊が立ち、さらに信心するように諭した。以後、老女は地蔵尊への篤い信心を重ねる。臨終の際、地蔵尊が来迎し極楽往生したという。以後、帰依する者も多く、屋根葺地蔵と呼ばれるようになったという。 (「星光寺縁起絵巻」2巻)。
◆星光寺 星光寺は、鎌倉時代、1230年、山城守・平資親(たいらのすけちか)が亡き母の追善のために建立したという。かつて六角通猪熊(中京区)にあり、三間四面の御堂には東山の別業、草地から感得したという地蔵尊、星宿(せいしゅく/(しょうしゅく)12体を安置していたという。(「星光寺縁起絵巻」2巻)。星宿とは、かつて古代中国で天球上の28の星座を意味していた。仏教の尊像として月の周期を基にした日本の占星術・宿曜(しゆくよう)があり、28宿、12宮の12尊など星や星座を神格化した諸尊を総称した。
 星光寺は、鎌倉時代、1274年、1326年に焼失している。江戸時代、現在地の北隣りにあった万年寺(壬生)が寺を継ぎ、この時に地蔵尊も遷された。以後、洛陽地蔵二十四か寺巡り第2番霊場として信仰を集めた。近代に入り廃寺になり、その後、地蔵尊は新徳寺に遷される。いまは、本堂本尊の脇壇に安置されている。
◆星光寺縁起 東京国立博物館所蔵の「紙本著色星光寺縁起」2巻(重文)は伝土佐光信筆
、室町時代・15世紀作。現在は、光信制作直後の模本とみられている。絵巻には、星光寺の草創記、本尊・地蔵菩薩の霊験譚をまとめている。平資親の邸内、牧谿様の竹林図、猿猴図の襖、寝所なども描かれている。
◆浪士組分宿 入洛時、新徳寺は浪士組の取締役旅宿に充てられた。内訳は世話役並目付方19人、五番組10人、七番組9人の38人が分宿する。そのほか周辺の各家、村会所所に隊士が分宿した。
◆年間行事 元旦に本堂見学、本尊拝観ができる。

*非公開  

*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 『京のお地蔵さん』『新選組辞典』『京都新選組案内』『新選組大事典』『新選組と幕末の京都』


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 新徳寺 〒604-8811 京都市中京区壬生賀陽御所町48  075-811-6569
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