来迎寺 (京都市中京区) 
Rraigo-ji Temple

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「洛陽南巡 第三十三番」の石標

 来迎寺(らいごうじ)は二条城の間南に位置している。山号は紫雲山という。
 浄土宗西山禅林寺派。本尊は阿弥陀如来。
◆歴史年表 江戸時代、1630年、詮空が開山した。当初は現在地の南東、油小路六角(中京区越後突破町)にあり、来迎庵と称された。
 慶長年間(1648-1652)、現在地に移る。
 1788年、天明の大火により焼失する。
 嘉永年間(1848-1854)、現在の本堂、観音堂などを再建した。
 1864年、禁裏御守衛総督に任じられ入洛した15代将軍・徳川慶喜に従い、二条城を警護した侠客・新門辰五郎らの宿舎にあてられる。
◆詮空 江戸時代の西山浄土宗の僧・詮空(生没年不詳)。詳細不明。
◆熊谷直実 平安時代後期-鎌倉時代の武士・熊谷直実(くまがい なおざね、1141-1208)。武蔵国に生まれた。幼くして父・直貞を亡くし、兄とともに叔父・久下直光に養育された。平知盛に仕える。1180年、石橋山の戦で、平家方として源頼朝を攻め、その後、頼朝の配下となる。佐竹秀義の成敗の功により本領・熊谷郷の地頭職に補任された。1184年、義経に従い宇治川、壇ノ浦、一ノ谷と転戦、16歳の平敦盛(清盛の弟・経盛の子)を討った。1187年、鶴岡流鏑馬所役を怠ったとのかどで領地を減じられる。1192年、直光との領地争いでの頼朝裁決を不当として、吉水の法然の門に入り、出家、法力坊蓮生と改名した。1196年、鎌倉に戻り頼朝に伝道兵法を説く。その後、帰洛、晩年は武蔵国で暮らし、没したとも、東山の草庵で没したともいう。
◆新門辰五郎 江戸時代後期-近代の侠客・新門辰五郎(しんもん たつごろう、1792-1875)。町田辰五郎。武蔵国江戸下谷山崎町の職人の子、上野輪王寺の寺僧、浅草「を組」頭・町田仁右衛門の養子。1824年、「を組」を継承。1845年、ほかの組との乱闘の責により江戸所払、佃島人足寄場に送られる。1846年、本郷丸山火事で囚人を指揮、消火し赦免。 娘・芳が15代将軍・徳川慶喜の妾になり、1864年、禁裏御守衛総督に任じられた慶喜の上洛に従い、子分300人を連れて上洛、二条城の警備などを行う。1867年、大政奉還、鳥羽・伏見の戦い後、慶喜が大坂より江戸へ逃れ、大坂城に残された家康以来の金扇の大馬印を取り戻した。上野戦争で伽藍の防火、慶喜の水戸謹慎に際し甲州金を輸送、徳川家の駿府移住にも従う。勝海舟、清水次郎長も知る。
◆仏像 観音堂に安置の十一面観音像は武士・熊谷直美の念持仏という。
◆碑 江戸時代、1864年、蛤御門の変(禁門の変)で犠牲になった新門辰五郎の子分の墓がある。


*参拝自由要挨拶
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都大事典』『新選組と幕末の京都』


 
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「熊谷蓮生坊守護本尊」の石標

観音堂
 来迎寺 〒604-8371 京都市中京区神泉苑町通姉小路下る瓦師町61  075-841-2153
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