五社神社 (京都市西京区)
Gosha-jinja Shrine
五社神社 五社神社 
  Home   Home

社号石標







 西京区下津林にある五社神社(ごしゃ じんじゃ)境内には大楠が茂っている。茅葺の舞台、拝殿などが建ち並ぶ。境内は五社神社文化財環境保全地区に指定されている。 
 祭神は本社に天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)、萬幡豐秋津姫命(まんはたとよあきつひめのみこと)、武甕槌命(たけみかづちのみこと)、經津主命(ふつぬしのみこと)、天兒屋根命(あめのこやねのみこと)、比賣神(ひめのかみ)、底筒男命(そこつつおのみこと)、中筒男命(なかつつおのみこと)、表筒男命(おもてつつおのみこと)、大山咋命(おおやまくいのみこと)の10座を祀る。
 末社に宗像神社に市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)。稲荷神社に倉稻魂命(うかのみたまのみこと)を祀る。
◆歴史年表 創建の詳細、変遷は不明。
 少なくとも中世(南北朝時代)、成立していたとみられている。
 室町時代、1478年、応仁・文明の乱(1467-1477)の際に、兵火を免れ下津村の五社神社境内に御堂が建立され、像を安置し、法華山永福寺とした。
 江戸時代、1809年、現在の本殿が建てられている。
 近代、1879年、永福寺は長福寺と合併する。
 現代、2012年、本殿は京都市有形文化財、境内は五社神社文化財環境保全地区に指定された。
◆宇都宮頼綱 鎌倉時代の武将・歌人・宇都宮頼綱(うつのみや よりつな、1178-1259)。下野国宇都宮成綱の子。藤原姓宇都宮氏第5代当主。法名蓮生。祖父朝綱の公田掠領の罪に連座して配流される。許され鎌倉幕府有力御家人宇都宮氏の当主となり、執権北条時政の女婿になる。1205年、時政の後妻・牧の方の平賀朝雅将軍擁立事件の際嫌疑を受け出家、実信房蓮生と号した。その後、許された。弟の信生(塩谷朝業)と共に証空の弟子となり西山教団に深くかかわる。善峰往生院の再興を助け、下津林に蓮生寺を建てて住した。藤原定家と結び、娘は定家の嫡男為家の室とし、御子左家と連携した。嵯峨中院に小倉山荘を営みその障子和歌(襖障子に貼る色紙形に頼綱の依頼によって書かれた。小倉山荘色紙和歌)を定家に依頼したものが百人一首とされる。『新勅撰集』以下の勅撰集に入集。
◆建築  現在の本殿(京都市有形文化財)は棟札に江戸時代「文化六年」(1809)とあり、この年に建立された。奥行に比べ間口の広い一間社流造、また、身舎(しんしゃ、母屋)正面の柱を省略して一間とした二間社の変形ともいう。素木造、柱上の組物は柱上に肘木が載る舟肘木、内陣の正面に装飾があり、身舎側面中央柱の柱頭の斗栱(ときょう)は大斗(だいと)、妻虹梁の眉(彫り込み)を含み込んで支持するのはほかにあまり例がないという。
 茅葺の舞台と割拝殿の間は渡廊で繋がれている。
 境内に旧永福寺(長福寺と合併し廃寺)の観音堂が残されている。
◆石造物 本殿前東側に建つ石灯籠に「暦應二年願主蓮性」(北朝年号、1339年)の刻銘がある。豊臣秀吉が欲しがった石燈篭という。
 境内の西近くに平安時代末期から鎌倉時代前期の武将、僧で歌人の宇都宮頼綱(蓮生)の供養塔という宝篋印塔が立っている。
◆年間行事 歳旦祭(1月1日)、例祭(1月26日)、お當祭(3月春分日)、八朔祭(8月31日)、晦日大祓・除夜祭(12月31日)。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都御朱印を求めて歩く札所めぐりガイド』『洛西三十三所観音霊場』


  関連・周辺長福寺(西京区)     周辺     関連        

西の門

舞台

舞台

舞台

拝殿

拝殿

本殿

本殿

本殿

石燈篭

末社・宗像神社に市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)。

末社・稲荷神社、倉稻魂命(うかのみたまのみこと)。


長徳寺遺構、観音堂?



長徳寺遺構、観音堂、延命地蔵菩薩

手水舎

水石磐

役行者

楠の大木

参堂の石橋


【参照】宇都宮頼綱(蓮生)の供養塔という宝篋印塔、境内西にある。
map 五社神社 〒615-8065 京都市西京区下津林楠町103 
50音索引  Home   50音索引  Home  
   © 2006- Kyotofukoh,京都風光