西福寺・妙顕寺城跡 (京都市上京区)
Saifuku-ji Temple
西福寺・妙顕寺城跡 西福寺・妙顕寺城跡 
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付近に残る「古城町」の町名
 西福寺(さいふくじ)は、二条城の東に位置している。  
 この地には平安時代、藤原氏の邸宅跡の閑院(かんいん)が営まれた。室町時代、妙顕寺が移される。安土・桃山時代、豊臣秀吉の妙顕寺城が築造された。その後、西福寺が建立されている。妙顕寺城があったことから古城町(ふるしろちょう)、下古城町の地名がいまも残されている。
 浄土真宗大谷派、本尊は阿弥陀如来。
◆歴史年表 平安時代-鎌倉時代初期、この地には藤原氏の邸宅の閑院があった。
 室町時代、1393年頃、この地に妙顕寺が移された。妙顕寺は鎌倉時代後期、日像が京都初の日蓮宗寺院として建立している。
 1511年、二条西洞院町に本妙寺(妙顕寺)の名がある。(「宣胤卿記」同年条)
 安土・桃山時代、1583年9月、豊臣秀吉は寺を小川寺内に移転させる。跡地(現在地)に二条新邸(妙顕寺城)を築造し京都の政庁にした。(「兼見卿記」「貝塚御座所日記」)。邸宅周囲には堀があり、天守も建てられていた。
 1587年、聚楽第の築造に伴い二条新邸の政庁としての役割は終わる。秀吉は大坂城から聚楽第に移る。
 安土・桃山時代-江戸時代、慶長年間(1596-1615)、この地に西福寺が建立される。祐伝が本願寺・教如に帰依し、尾張国熱田にあった空海が開基とされる寺を次男に譲り、この地に開いたものという。真言宗より浄土真宗大谷派に改める。
◆本尊 本尊の「阿弥陀如来」は、飛鳥時代の厩戸王(うまやどのおう、聖徳太子、574-622)作ともいう。
◆妙顕寺 妙顕寺は、鎌倉時代後期、1321年、日像が第96代・後醍醐天皇より御溝傍今小路に寺領を贈られ、京都初の日蓮宗道場として建立する。寺地は各所に移されている。
 1542年、現在の西福寺付近の二条西洞院に再建された。安土・桃山時代、1583年、豊臣秀吉の都市改造により現在地(上京区押小路小川西入)へ移される。
 現在は、山門脇に「豊臣秀吉妙顕寺城跡」の石標が立つ。
◆妙顕寺城 二条新邸(妙顕寺城)は、現在の西福寺一帯にあったという。詳細は不明。現在、遺構はない。
 安土・桃山時代、1583年より1587年まで存在した。周囲に堀が巡らされ、天主閣も築かれ城郭としての機能を備えていたとみられている。後に豊臣政権五奉行の1人になる前田以玄(1539-1602)の居館になり政務にあたる。秀吉が上洛した際には宿舎に充てられたという。(「貝塚御座所日記」) 
 江戸時代、秀吉邸跡地に牢屋敷が建てられる。1708年、大火により焼失し、牢屋敷は六角獄舎に移される。


*非公開。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都市の地名』『京都大事典』『京都歴史案内』『京都府の歴史散歩 上』『続・京都史跡事典』


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西福寺 〒604-0045  京都市中京区古城町370 

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