昌福寺 (京都市上京区)
Shofuku-ji Temple

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本堂
 昌福寺(しょうふくじ)の境内は、西に隣接する松林寺とともに聚楽第(1587-1595)の遺構といわれている。 
 黒谷浄土宗、本尊は阿弥陀仏。
 洛陽四十八願所地蔵めぐり(京都四十八願寺)の第7番札所、札所本尊は幸福地蔵。
◆歴史年表 安土・桃山時代、1603年、慶雲の開基によるという。(「蓮門精舎旧詞」)
 近世(安土・桃山時代-江戸時代)、洛陽浄家百八寺参りの一つになる。(「浄家寺鑑」)
 江戸時代、寛文年間(1661-1673)初期、華頂宮良純法親王が入寺したという。境内にその茶室があったという。(「坊目誌」)。同年間、第112代・霊元天皇の命により、僧・宝山が洛外・六地蔵以外の48か寺の地蔵尊を選んだ洛陽四十八願所の霊場のひとつになる。
◆本尊 本尊の阿弥陀仏は平安時代の僧・弘法大師空海(774-835)作ともいう。
◆華頂冨良純親王 江戸時代の知恩院初代門跡・良純入道親王(かちょうのみや りょうじゅん にゅうどう しんのう、1604-1669)。第107代・後陽成天皇の第8皇子、母は典侍庭田具子(権大納言庭田重具の娘)。5歳で知恩院門跡に治定されて入寺、1614年、親王宣下を受け直輔親王と称した。1615年、徳川家康の猶子。1619年、出家・得度し良純と名乗る。1643年、幕府への不満があり、幕府は甲斐国天目山に配流、後に甲府・興因寺に幽閉された。1659年、勅許により帰京、泉涌寺に住した。北野で還俗し隠退した。号は以心庵。 
 没後、泉涌寺に葬られ、専蓮社行誉心阿自在良尚大僧正の諡号が贈られた。1768年、名誉回復により無礙光院宮良純大和尚の諡号が贈られた。通称は八宮。
◆聚楽第南外濠跡 西に隣接する松林寺とともに昌福寺の境内は、安土・桃山時代、1587年-1595年に存在した聚楽第の南外濠跡との見方もある。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都市の地名』『旧版 京のお地蔵さん』


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本堂

玄関

「岡寺尊像安置」ともある。

庫裏

地蔵尊

五重石塔

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 昌福寺 〒602-8174 京都市上京区分銅町577,智恵光院通出水下る西側  075-841-5570
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