福田寺 (京都市下京区)
Fukuden-ji Temple

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「洛陽四拾八ヶ所 第四十四番 牛王身 ちぶさ地蔵尊 福田寺」の石標。
 福田寺(ふくでんじ)は母乳祈願の乳房地蔵菩薩で知られている。
 浄土宗、本尊は阿弥陀三尊(阿弥陀如来)。
 洛陽四十八願所地蔵めぐり(京都四十八願寺)の第44番札所、札所本尊は乳房地蔵菩薩。
◆歴史年表 鎌倉時代、1272年、鎌倉幕府6代将軍・宗尊親王が京都に送還され、その剃髪後、堯空と称し、東山・渋谷(しぶたに)に一宇を建立したという。当初は天台律、寺号は福田寺としたという。
 1282年、時宗に改め、汁谷道場と改称した。
 室町時代、1486年、時宗の市屋道場金光寺末になる。(「金光寺末寺帳」「坊目誌」)
 安土・桃山時代、1598年、豊臣秀吉の豊国社造営に際して、高倉五条南(下京区福田寺町)に移転した。
 その後、すぐに現在地(下京区本塩竈町)に再移転する。
 江戸時代、寛文年間(1661-1673)、第112代・霊元天皇の命により、僧・宝山が洛外・六地蔵以外の48か寺の地蔵尊を選んだ洛陽四十八願所の霊場のひとつになる。
 1788年、天明の大火により焼失する。
 1864年 元治大火(禁門の変)により焼失する。
 その後、再建された。
◆宗尊親王 鎌倉幕府6代将軍・宗尊親王(むねたか しんのう、1242-1274)。第88代・後嵯峨天皇の皇子。母は平棟子。1252年、5代将軍・藤原頼嗣の京都送還後11歳で鎌倉で征夷大将軍の宣下を受け、皇族初の将軍になる。中書王と呼ばれた。ただ、北条氏の専制により権限は無かった。1266年、正室の近衛宰子と僧・良基の密通事件、さらに謀叛嫌疑により将軍職解任、京都送還になる。1272年、二月騒動、父・後嵯峨法皇没後に出家した。鎌倉歌壇中心として自ら数多く作歌、勅撰集「続古今和歌集」にも採首。
◆本尊 本尊の「阿弥陀如来立像」は、鎌倉時代の創建寺の造仏とされる。阿弥陀様式(三尊)、三尺(0.9m)。
◆乳房地蔵菩薩 本堂の外陣右に「乳房地蔵菩薩」が安置されている。母乳祈願、乳房守護の信仰がある。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都市の地名』『京都大事典』『旧版 京のお地蔵さん』


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本堂

本堂、御詠歌の額

庫裏

玄関
 福田寺 〒600-8119 京都市下京区本塩竈町590,六条通河原町西入る南側   075-351-4895
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