超円寺 (京都市上京区)
Choen-ji Temple

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「天満宮 跡追 地蔵尊」とある石標。
 超円寺(超圓寺、ちょうえんじ)には、古くより知られた後追地蔵(跡追地蔵、あとおいじぞう)が安置されている。   
 浄土宗鎮西派知恩寺に属する。
 江戸時代には、洛陽四十八願所地蔵めぐり(京都四十八願寺)の第11番札所、札所本尊は後追地蔵。
◆歴史年表 安土・桃山時代、1571年、織田信長の比叡山焼き討ちに際し、近江・堅田の別院より兵火を避けて観音像が当寺に遷された。その後、地蔵菩薩像も遷されたという。(「拾遺都名所図会」)
 江戸時代、1614年、蓮公の創建によるものという。同年に再興された知恩寺を本山とした。
 寛文年間(1661-1673)、第112代・霊元天皇の命により、僧・宝山が洛外・六地蔵以外の48か寺の地蔵尊を選んだ洛陽四十八願所の霊場のひとつになる。
◆地蔵菩薩立像 観音像はかつて近江・堅田の別院に安置されていた。安土・桃山時代、1571年、織田信長の比叡山焼き討ちに際し、その兵火を避けて、蓮阿弥という僧兵の笈に背負われ当寺に遷された。同座していた地蔵菩薩像はその地に残される。後に、地蔵菩薩は近くの百姓・新左衛門に夢告し、観音像の元に遷り衆生済度を望んだ。そのため笈に入れられ当寺に遷されたという。以後、後追地蔵と呼ばれた。
 また、菅原道真(845-903)が大宰府に安置していた地蔵尊であり、その没後、北野に道真の神霊安置にともない、その跡を追ってきたものともいう。
 木彫りの等身大の立像で円頂(坊主頭)、白毫相、彫眼。胎内に室町時代後期「永禄五年 (1562)」の記載があり、この頃造仏されたとみられている。江戸時代「宝永七年 (1710)」修理の銘も見つかった。桧材、寄木造、彩色、像高160cm。彩色、白毫は後補。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都市の地名』『京都歴史案内』『旧版 京のお地蔵さん』


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本堂

地蔵堂

地蔵菩薩立像

慈母観音
 超円寺 〒602-8372 京都市上京区下竪町 156   075-462-2948
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