三福寺 (京都市左京区)
Sampuku-ji Temple
三福寺 三福寺 
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 三福寺(さんぷくじ)の山門脇には「少林寺拳法」の大きな石標が立てられている。
 浄土宗西山深草派、本尊は地蔵菩薩像(夢見地蔵)。
 江戸時代、洛陽四十八願所地蔵めぐり(京都四十八願寺)の第26番札所になる。札所本尊は地蔵菩薩像(夢見地蔵)。
◆歴史年表 創建の詳細、変遷は不明。
 当初(年代不明)、東山の六原に創建されたという。
 その後、各所に移転を繰り返す。
 江戸時代、1708年、宝永の大火後、現在に移ったという。
 寛文年間(1661-1673)、第112代・霊元天皇の命により、僧・宝山が洛外・六地蔵以外の48か寺の地蔵尊を選んだ洛陽四十八願所の霊場のひとつになる。地蔵尊は上下広く信仰を集めた。
◆本尊 本尊・地蔵菩薩像(夢見地蔵)は秘仏とされている。右手に錫状、左手に宝珠を載せる立像になっている。
 平安時代、一条天皇中宮・上東門院彰子(988-1074)が懐妊中、病になる。地蔵尊に祈願すると夢告を受けた。病平癒したため仏師・定朝(?-1057)に彫らせたものという。また、この地蔵尊に祈念すると皇子(第68代・後一条天皇)が無事に誕生した。以後、宮中に安置され、夢見地蔵とも呼ばれ安産地蔵として安置された。その後、当寺に遷されたものという。非公開。
◆上東門院
 平安時代後期の第66代・一条天皇中宮・上東門院(じょうとうもんいん、988-1074)。父は藤原道長、母は源倫子。彰子と称した。999年、入内、1000年、中宮。道長の一帝二后への介入により中宮定子(1001年死去)とともに史上初の皇后並立となる。1008年、敦成親王(第68代・後一条天皇)を出産。1009年、藤原伊周らによる中宮と親王が呪詛される事件が起こる。敦良親王(第69代・後朱雀天皇)を出産。1011年、一条上皇が死亡し、1012年、皇太后になった。1018年、後一条天皇元服により太皇太后となり後見をする。1022年仁和寺に観音院を建立、1026年、出家し上東門院と号した。1037年、前年に亡くなった後一条天皇の火葬所に菩提樹院を建立する。1039年、法成寺で剃髪、受戒した。宇治木幡の藤原北家累代墓所、宇治陵に埋葬された。
 土御門第(上東門第)で敦成親王(後一条天皇)を出産した際の様子は、彰子に仕えた女房・赤染衛門作とされる『栄花物語』、また、紫式部の『紫式部日記』などにも記されている。ほかに和泉式部、伊勢大輔などが仕え歌壇・文壇を形成した。

*一般には非公開。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『新版 京のお地蔵さん』『旧版 京のお地蔵さん』


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本堂
 三福寺 〒606-8353 京都市左京区正往寺町463,仁王門通新高倉東入上る  075-771-8749
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