常楽寺 (京都市中京区)
Joraku-ji Temple

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 常楽寺(じょうらくじ)は、山号を雲松山という。
 浄土宗西山禅林寺派、本尊は阿弥陀如来。
 洛陽四十八願所地蔵めぐり(京都四十八願寺)の第32番札所、札所本尊は弟児地蔵。 
◆歴史年表 創建の詳細、変遷は不明。
 室町時代、1429年、顕海相厳が創建したという。当初は油小路大炊御門大路、春日小路の間に置かれた。
 安土・桃山時代、1591年、現在地に移る。
 江戸時代、寛文年間(1661-1673)、第112代・霊元天皇の命により、僧・宝山が洛外・六地蔵以外の48か寺の地蔵尊を選んだ洛陽四十八願所の霊場のひとつになる。
 1788年、天明の大火により焼失する。
 1864年、元治の大火(禁門の変)により焼失した。
 その後、再建された。
◆墓 土佐藩士・麻田時太郎(?-1864)の墓がある。
◆麻田時太郎・明保野亭事件 1864年6月10日(旧暦)未明、東山清水・産寧坂の料亭「明保野亭」に長州浪士が多数集結しているとの情報が入る。新撰組、会津藩士、町奉行与力同心らが亭に踏み込んだ。だが、すでに浪士の姿はなかった。
 二階の奥座敷で一人の男が飲酒していた。一行の姿を見て男は、庭に飛び降り逃げようとした。会津藩士・柴司は男の背後より槍で突き、取り押さえる。捕らえられた男は、浪士ではなく、友藩の土佐藩士・麻田時太郎だった。一命を取り留めた麻田は手厚い手当てを受け、土佐藩邸に送り届けられた。
 会津藩主・松平容保は、家臣・小室金吾らを土佐藩邸に差し向け、事件について謝罪するとともに、麻田の治療も申し出た。土佐藩はこれまでの両藩の関係を慮り、この申し出を断る。
 12日、二兄の見守る中、会津藩士・柴司は過失により切腹になった。会津藩家老が土佐藩邸にその旨を告げに訪れた。土佐藩側は麻田が前夜11日、生きながらえることは藩風に背くとして、土佐武士の名にかけすでに自害したと伝えた。(明保野亭事件)
 柴司は黒谷・会津藩墓地に葬られる。麻田は常楽寺に眠る。


*非公開
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都市の地名』『新選組大事典』『旧版 京のお地蔵さん』『京都隠れた史跡100選』


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 常楽寺 〒604-0000 京都市中京区裏寺町 598   075-241-0057
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