極楽寺 (京都市下京区)
Gokuraku-ji Temple
極楽寺 極楽寺 
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 極楽寺(ごくらくじ)は本塩竈町(もとしおがまちょう)にある。平安時代、この地には、源融(822-895)の邸宅・六条河原院が営まれていた。塩焼をしたことから地名に残る。山号は天照山という。 
 浄土宗、本尊は阿弥陀如来。
 洛陽四十八願所地蔵めぐり(京都四十八願寺)の第46番札所、札所本尊は手引地蔵(安産地蔵)。
◆歴史年表 室町時代、1543年、一蓮社笈誉が四条坊門東洞院(中京区一蓮社町付近)の釈迦堂跡地に創建したという。(寺伝)
 安土・桃山時代、1590年、豊臣秀吉の命により現在地に移転した。(寺伝)
 江戸時代、寛文年間(1661-1673)、第112代・霊元天皇の命により、僧・宝山が洛外・六地蔵以外の48か寺の地蔵尊を選んだ洛陽四十八願所の霊場のひとつになる。
 1788年、天明の大火により焼失する。
 1864年、元治の大火(禁門の変)により焼失した。火災後、塔頭・正明院が廃寺になる。(『坊目誌』)
◆一蓮社笈誉 室町時代の僧・一蓮社笈誉(生没年不詳)。詳細不明。1543年、極楽寺の開基になる。
◆丹後内侍 平安時代末期-鎌倉時代初期の女性・丹後内侍(たんごのないし、生没年不詳)。詳細不明。源頼朝の乳母・比企尼の長女。二条院に女房として仕え、歌人。官吏・惟宗広言との間に島津忠久を産んだともいう。離縁後、関東の鎌倉幕府御家人・安達盛長に嫁いだという。1182年、頼朝の妻・北条政子が嫡男・頼家を懐妊した際に着帯の儀式で給仕を務める。1186年、頼朝は病の丹後内侍を見舞う。風説として頼朝の間に景盛、忠久が生まれたともいう。
◆菊岡検校 江戸時代後期の地歌箏曲家・菊岡検校(1792-1847)。名は楚明一。一山検校に師事、1806年、検校。地歌三弦曲を多く作曲した。作品に「ままの川」など。京流手事物(楽器の演奏)を洗練させた。
◆地蔵 地蔵は右手に錫状、左手に宝珠を載せ、蓮華座の立像で、極楽寺地蔵、手引地蔵、安産地蔵、矢負地蔵と呼ばれている。像高60cm。
 摂津国住吉の井鼻(いばな)から遷されたものという。薩摩・島津家と関わりあるという。源頼朝の丹後局が紀州に下る際に、当寺に立ち寄り安産祈願し、武将・島津三郎忠久(?-1227)を産んだともいう。
 室町時代、島津忠国(1403-1470)が参詣に立ち寄った際に、敵と見誤られ弓を射られた。この地蔵尊が身代わりになり傷を負い、矢負地蔵と呼ばれたという。
 安土・桃山時代、天正年間(1573-1592)、迷子の手を引いて家まで届けたとして手引地蔵とも呼ばれたという。
◆墓 江戸時代後期の京都の地歌箏曲家・菊岡検校(1792-1847)の墓がある。


*一般には非公開。
*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都市の地名』『旧版 京のお地蔵さん』『新版 京のお地蔵さん』



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 極楽寺 〒600-8119 京都市下京区本塩竈町540,富小路五条下る   075-361-0041
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