正行院 (さる寺・輪形地蔵) (京都市下京区)
 Shogyo-in Temple
正行院 正行院 
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「さるでら 正行院」






本堂






石像の親子猿像



仏足石
 京都駅の東、東塩小路に正行院(しょうぎょういん)がある。亀通山(きつうざん)梅蓮寺と号する。輪形地蔵(わがたじぞう)、猿寺(さるでら)の異名もある。 
 浄土宗捨世派、本尊は阿弥陀如来。
 交通安全、旅行安全などの信仰がある。
◆歴史年表 室町時代、1538年、天門年間(1532-1555)とも、円誉上人により創建された。開基は塩小路の名主・若山正行によるという。
 江戸時代、寛永年間(1624-1644)、徳川家康により与えられた伏見城の遺構により建立された。
 江戸時代後期、正行院などは上洛した武士の下宿として強制的に充てられていた。
 近代、明治期(1868-1912)初期、1872年とも、辻堂廃止令に伴い、竹田街道筋に安置されていた輪型地蔵が当院に遷されたという。
 1877年、七条ステンショ(京都駅)が設置された。翌1878年、1875年とも、鉄道敷設に伴い境内は分断、庫裏と本堂が分離した。
◆円誉 室町時代の浄土宗の僧・円誉(えんよ、1496-1584)。詳細不明。学徳兼備の名僧といわれた。諸国行脚し、応仁・文明の乱(1467-1477)後、洛中を避け、北山御室、栂尾・中川の山中に庵(後の宗蓮寺)を結ぶ。1538年、正行院を創建した。猿名号を持つ。
◆水原三折 江戸時代後期の産科医・水原三折(みずはら さんせつ、1782-1864)。近江八幡生まれ。20歳で京都の宇津木昆臺、産科を奥劣斎、蘭学、解剖を海上随鴎(稲村三伯) に学ぶ。10年ほどして郷里で開業した。鉗子の「探頷器」を創案した。1835年、京都の錦小路室町西入るに移り、開業し弟子を育てた。『産科探頷図訣』を著す。墓は正行院にある。
◆梅戸方高 江戸時代の寺子屋教師・梅戸方高(うめど まさたか、?-1774)。詳細不明。勢州菰野の生まれ。寺子屋で漢学書道を教えた。子どもを厳しく指導し、懲罰として槌を持たせたため、「横槌(よこづち)先生」と呼ばれた。59歳。
 正行院に墓がある。師没後、その遺徳を偲び、子どもらが建立したという。
◆円誉と猿の逸話 自然豊かな中川の地で円誉は、庵(後の宗蓮寺)を結んだ。ある時、上人は、猿、鹿などの野生動物の守護のために、動物の首に「南無阿弥陀仏」と記したお守り(名号)を結んでやった。
 室町時代、1571年、猟師の完又十郎は、山中で一匹の猿を見つけ、弓で狙いを定めた。その時、猿は合掌し、又十郎を拝むような仕草を見せる。胸にはお守り(名号札)が見えた。また、猿は袋を投げてよこした。又十郎は自らの殺傷を悔い、猟師をやめて円誉に弟子入りし出家したという。
◆地蔵 境内の西にある輪形地蔵堂には「輪形地蔵(わがた じぞう)」と呼ばれる地蔵尊を安置する。輪型石(車石)により造られている。
 逸話がある。安土・桃山時代、1600年、かつて村に信心深い若山という人があり、その夢告に一人の老僧が現れた。自分は牛馬の労苦を救うために長らく土中にあった。今後は衆生済度のために掘り起こして欲しいと告げた。翌朝、男が家前の道に出ると、敷石(車石)より光明が放たれていた。輪形石(輪形の石)の一つを掘り起こすと、背に輪形のある地蔵尊が出土した。このため、地蔵尊を家に遷し、輪形地蔵と名付ける。その後、竹田街道沿いの地蔵堂に安置した。近代、1868年に、当院に遷され地蔵堂に安置されたという。地蔵尊は、牛馬車の危難を助け、行路、旅人の安全守護の信仰がある。
 地蔵堂内には、かつて竹田街道の竹田口に安置されていた、西国三十三箇所の観音像も安置されている。観音菩薩もまた、旅人は道中の安全祈願をしていた。
◆輪形石
 境内がある旧東塩小路村の地名は、平安時代の六条河原院で行われていた塩竈による製塩に由来しているという。
 安土・桃山時代、豊臣秀吉によるお土居築造では村の東、南に土塁が築かれた。村の南北を通った竹田街道(七条通東洞院-伏見)は、このお土居を分断して開かれている。
 竹田街道は、東塩小路村、東九条村、竹田村、伏見・京橋間の6.8㎞ある幹線道になっていた。江戸時代、1654年以前に車道があり、いつの頃からか車石も敷設された。車石は牛車が通るための舗石であり、輪型(形)石ともいわれた。牛車が車石上を通行することで、重い車がぬかるまずに迅速に通行することができた。
 現在、地蔵堂の脇には実物の輪形石(車石)が置かれている。境内の手水鉢下の台石にも車石(橋板部分)が再利用されている。
◆猿 正行院の通称は猿寺と呼ばれている。開山の円誉は、北山の中川で念仏修行を行った。その時、猿により災難除けと仏縁結縁の「南無阿弥陀仏」と書かれた御名号のお守りを授けられた。以後、危難から救われたという。以来、悪事災難が去る(猿)寺として猿寺と呼ばれるようになる。
 本殿には猿に因み、猿を膝に乗せた円誉座像が安置されている。また、境内には猿の石像などが置かれている。
◆文化財 江戸時代の「東塩小路村庄屋要助村方諸事日記」(市登録文化財)には、牛馬の車道のことなどが記されている。
◆墓 江戸時代の産科医・水原三折、寺子屋で教えた梅戸方高(横槌先生)、文楽三味線の4代目・豊沢門造、佐川田昌俊の子孫墓がある。 


*地蔵堂は外から参拝できます。
*年間行事・は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 輪形地蔵尊護持会説明板、『日本地名大辞典 京都府 上』『新版 京のお地蔵さん』『京都市の地名』『京都 歴史案内』『京都大事典』『車石-江戸時代の街道整備』『増補版 京都の医史跡探訪』『昭和京都名所図会 5 洛中』『古都歩きの愉しみ』 『京都のご利益手帖』



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地蔵堂

地蔵堂、蟇股

地蔵堂

地蔵堂、軒丸瓦、お猿の顔?


地蔵堂、輪形地蔵

輪形石、本来は二つあり、石上を牛車が通行していた。溝は摩耗により生じた。
 正行院 〒600-8216 京都市下京区東塩小路町744   075-351-7885   10:00-16:00
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