青龍宮 (清瀧大権現) (京都市右京区)
Seiryu-gu Shrine
青龍宮  青龍宮
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本殿


本殿扁額「青龍宮」


 神護寺(右京区)に向かう周山街道(国道162号線)途中、御経坂峠より北へ、谷に下りる道の脇に小社・青龍宮(せいりゅうぐう)が祀られている。かつて、神護寺の鎮守社だったという。清竜(青龍)大明神、清滝権現社ともいわれる。
 祭神は清滝大権現を祀る。
◆歴史年表 創建の詳細、変遷は不明。
 平安時代、804年、唐の長安に留学した弘法大師空海は、青龍寺・恵果阿闍梨に師事し密教の秘法を伝授された。その際に、青龍寺の鎮守である密教の守護神・青龍権現(善女竜王)を日本に勧請したという。高雄山寺(神護寺)の鎮守としてこの地に祀ったという。(社伝)
 鎌倉時代、1230年、「桧社」と記されている。(『神護寺絵図』)
 室町時代、「清滝権現」とあり、楼門、社殿、鳥居なども描かれている。(『神護寺伽藍図』)
 江戸時代、1711年、青龍権現について記されている。中島村路傍にあり、また、三日坂(御経坂)麓に祀られているともいう。(『山城名勝志』)
◆清滝権現 平安時代、804年-805年に唐に渡った空海(くうかい、774-835)は、長安・青竜(龍)寺で師・恵果(えか/けいか、746-806)より密教を学ぶ。空海が帰国する際に、寺の守護だったという竜女が空海の守護のために付き、高雄山寺(神護寺)に飛来したという。竜女が紺碧の海をはるばる渡ったとして、「青」「竜」、それにそれぞれサンズイを付けて 「清滝(瀧)」とした。さらに清滝(瀧)権現と名付けたという。(『密宗血脈(脉)抄(みっしゅうけちみゃくしょう)』『山城名勝志』)
 902年、醍醐寺開祖・聖宝(しょうぼう、832-909)が上醍醐を開いた際に、清瀧権現の霊託が下り、醍醐山本宮峰に降臨したとされる。また、密教流布の請願のために清瀧宮本殿に勧請したという。醍醐寺には現在、境内には清瀧宮大権現が祀られている。
◆建築 「本殿」は覆屋内に1間社流造、その右に末社が並んでいる。
◆清瀧川 青龍権現が海渡を渡ったことから、サンズイを付け清瀧権現になり、これに因んで清瀧川(清滝川)に改名されたという。(社伝)。清滝の地名由来もこの逸話にあるとされる。
◆樹木 杉の大木がある。樹囲4.8m、高さ30mになる。
◆三日坂 当宮前に三日坂があり、御経坂峠に通じる。
 明恵は、12-13歳頃に高雄山へ出立を望んだ。だが、夢中に八幡大菩薩の使者が大蛇と化して現れた。大蛇はこの坂で行く手を遮ったために、思いを断念したという。(『山城名勝志』『明恵上人行状記』)


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考資料 当社説明板、『京都の地名 検証2』『京都滋賀 古代地名を歩くⅡ』『昭和京都名所図会 4 洛西』


  関連・周辺神護寺     周辺慰称寺    関連醍醐寺         

末社、稲荷社

近くに生えている杉の巨木
 青龍宮 〒616-8284  京都市右京区梅ケ畑御経坂町 
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