山ノ内念仏寺 (水子供養寺) (京都市右京区)
Yamanochi-nembutsu-ji Temple
山ノ内念仏寺  山ノ内念仏寺
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本堂


水子地蔵尊







 山ノ内宮前町の山ノ内とは、古く比叡山延暦寺の飛地境内であり、「山ノ内」と呼ばれた。三条通の北に南面し、山ノ内念仏寺(やまのうち ねんぶつじ)が建つ。 
 日本天台宗の開祖である最澄の母・妙徳夫人ゆかりの寺とされている。通称は「水子供養寺(みずこくようでら)」、「山ノ内根元地水子供養寺」、゜念仏(佛)寺」とも呼ばれている。山号は紫雲山という。
 浄土宗西山禅林寺派。本尊は阿弥陀如来(秘鉄仏)。
 京の通称寺霊場第38番、水子供養寺。
 古くより水子供養の菩提所として篤い信仰を集めてきた。
◆歴史年表 創建の詳細、変遷は不明。
 古くより、山之内(山ノ内)の地は、比叡山延暦寺の山門所領地(飛地境内)になっていた。また、伝教大師最澄の母・妙徳夫人の里方、正四位下河辺備前守正雄の歴代が住していたという。 
 奈良時代、747年、妙徳がこの地に生まれたという。
 平安時代、811年、妙徳の夫・百枝が亡くなる。住居が凶族に焼かれたことから、妙徳は山之内の里方に身を寄せる。
 812年、妙徳は山之内の正雄宅で夫の一周忌法要を行う。
 817年、妙徳はこの地で亡くなる。最澄は、延暦寺で法要した。亡母の追憶と冥福を祈念した。当寺を菩提寺とし、延暦寺をかたどり寺塔を建立したという。自作の利剣名号の阿弥陀如来(秘鉄仏)を安置し、この地を比叡山山内(さんだい、山之内、叡山の内の意)と称し、百僧供養を営んだという。開山は妙徳尼による。(寺伝、『太秦村行記』)
 江戸時代、1830年頃、妙徳の菩提寺だったという普賢寺は、念仏寺(山ノ内)と合併されたという。
 現代、1973年、50年毎の妙徳尼1150年忌の百僧供養が修された。
 1997年、妙徳尼1250年生誕の百僧供養大法要が執り行われる。涅槃像納骨堂が建立された。
◆妙徳 奈良時代-平安時代の女性・妙徳(747-817)。藤原藤子。山城国山ノ内に生まれたという。祖先は藤原鎌足とされる。河辺左大臣魚名の孫、父は藤原鷲取、母は宇気合田早良女。757-764年、江州滋賀郡・三津首百枝(みつのおびとももえ)と結婚した。765頃、夫妻に子供がなく、比叡山八王子山の奥(後の神宮寺)に草庵を結び、男子生誕を祈願した。766年/767年、広野(最澄)が生まれたという。767年、妙徳と改名する。790年、母、798年、父が亡くなる。800年頃、最澄は両親報恩のために生源寺、東南院を建立する。811年、夫が没し、住居が凶族により焼かれたため、妙徳は里の山ノ内へ身を寄せる。812年、山ノ内の兄・正雄宅で夫の一周忌法要を行う。また、多くの水子の冥福を祈ったという。山ノ内で没したという。
 比叡山延暦寺は、かつて女人禁制の霊峰とされた。妙徳は、山ノ内の地で子・最澄の身を案じ続け、最澄が刻んだ観音像に昼夜、給仕していたという。
◆最澄 平安時代前期の僧・最澄(さいちょう、767/766‐822)。近江(坂本の生源寺付近)に生まれた。幼名は広野、父は中国からの渡来系豪族の子孫で三津首百枝(おびとももえ、浄足)、母は藤原藤子という。12歳の時、近江・国分寺で行表(ぎょうほう)に師事し、780年、得度し最澄と名乗る。785年、19歳で東大寺で受戒(具足戒・小乗戒)するが、同年、比叡山大嶺山中(本願堂付近)に草庵を結び、願文を作る。禅を修め、12年間にわたり修行を積んだ。天台三大部摩訶止観、法華玄義、法華文句を修めた。788年、草庵の近くに小堂「一乗止観院」を建て、薬師如来を祀った。797年、内供奉十禅師に任命される。798年、比叡山で法華十講を修する。802年、和気弘世主催により、神護寺で5カ月にわたる天台の教え「天台三部」を説いた。第50代・桓武天皇の信任、帰依を受ける。803年、短期の還学生(げんがくしょう)として、唐に渡航することが認められた。804年、遣唐使として留学僧・空海(774-835)らとともに唐に渡る。霊地・天台山で、天台大師智顗(ちぎ)直系の天台山修禅寺・道邃(どうずい、?-805)より天台教学と大乗菩薩戒、仏ろう寺・行満座主より天台 教学を、越州(紹興)の龍興寺で、順暁阿闍梨より密教を、しゅく然禅師より牛頭禅を学び、天台、密教、禅、戒を修した。805年、多数の天台典籍、密教の教えを持ち帰る。宮中で日本初の護摩供を行う。請来された天台密教経疏500巻、護摩の器具を桓武天皇に献上した。天皇は、双林寺を建立し、最澄は開山になる。806年、日本天台宗が公認される。811年、弟子・泰範が空海の弟子となる。最澄は空海から経本を借り密教を学ぶ。812年、空海により灌頂を授けられた。その後、空海とは決別する。814年、九州巡化、815年、東国巡化、822年、没後7日後に、大乗戒壇設立の許勅が下りた。以後、奈良の南都仏教から独立して、延暦寺において独自に僧を養成することができるようになった。比叡山中道院で没後、866年、日本最初の大師号、伝教大師の諡号が贈られた。通称は叡山大師、根本大師。天台宗の祖。
◆仏像 本堂安置の秘仏、「阿弥陀仏」は鉄仏であり、他の例は少ない。
 本堂内の壁一面に、金色の小さな「仏像(母子尊像)」が並び、水子の霊を供養する。
 「地蔵菩薩」、「妙徳夫人母子尊像」が安置されている。
 「石の涅槃像」(6m)が安置されている。
◆水子供養 藤子(後の妙徳夫人)は江州滋賀郡、三津首百枝に嫁いだ後も、山之内(山ノ内)の里方、河辺備前守の館に度々里帰りしたという。慈母神地蔵菩薩を篤く祈願し、その後、子を授かり、後の伝教大師最澄に成長する。妙徳尼と改め、多くの水子の冥福と、最澄の将来を祈念した。余生をこの地に過したという。
 本堂に、妙徳夫人母子尊像、妙徳ゆかりとされる水子地蔵尊を安置する。水子の冥福とともに、残された親兄弟の七難消滅、万病平癒の守護があるという。
◆普賢寺 普賢寺の詳細不明。山之内(山ノ内)はかつて延暦寺、山門領内だったという。山内(さんだい、叡山の内の意)と呼ばれた。平安時代、この地に第36世天台座主・良真(源通輔子、1022-1096)が建立したという西ノ京禅房があり普賢寺と号した。堂舎、僧房が建てられていた。良真は1093年、山門内部対立により座主を辞し、山を下りて京都に移る。
 普賢寺は妙徳の菩提寺でもあったという。江戸時代、1830年頃、普賢寺は念仏寺(山ノ内)と合併したという。
◆修行体験 女性対象の一日尼僧修行がある。剃度式、勤行、昼食(精進料理)、講演、写経、講習(華道、茶道)など。毎月1日10:00-16:00。
◆年間行事 修正会(1月1日-3日)、節分星祭(2月2日)、彼岸永代水子総供養(3月24日)、妙徳夫人開山忌(5月母の日)、地蔵盆永代水子総供養(8月24日)、彼岸永代水子総供養(9月24日)、御十夜会(11月24日)。
 功徳日(水子総供養)(弥陀四十八願万灯籠供養会、千古の秘鉄仏御開扉)(毎月24日)。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考資料 『京都市の地名』『京のご利益めぐり』、当院のサイト、駒札、瀬戸畑町内会駒札、『日本の名僧』『京都の地名検証 3』『史跡探訪 京の七口』



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 山ノ内念仏寺(水子供養寺) 〒615-0093 京都市右京区山ノ内宮前町12  075-821-2732  10:00-15:00
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