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  長徳寺 (京都市左京区) 
Chotoku-ji Temple

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 長徳寺(ちょうとくじ)は鴨川と高野川が合流する出町柳の南、高野川の東岸に川端通に面して建つ。
 この地にある浄土宗の「砂川の三軒寺」(ほかに常林寺、正定院)のひとつとされた。砂の川がこの付近で鴨川に合流していた3か寺を呼んだものという。萩の寺であり、山門脇に植えられている早咲きのオカメサクラでも知られている。 
 浄土宗。
 四十八願寺の第23願。
◆歴史年表 江戸時代、1605年、当初は裏寺町(中京区)に創建された。開山は万愚牛廊という。開基は摂津・溝口領主の長谷川前刑部卿宗仁による。
 その後、焼失する。
 1672年、現在地に移転した。
 近代
、1918年、当寺付近、出町橋近は、西三条、柳原とともに米騒動の舞台の一つになる。
◆長谷川宗仁 安土・桃山時代-江戸時代の茶人、武将・長谷川宗仁(はせがわ そうにん、1539-1606)。京都の町衆長谷川宗昧の一族の出身ともいう。織田信長に従い、但馬生野銀山の確保などを援助する。信長没後、豊臣秀吉に仕えた。1589年、豊臣氏直轄領・伏見の代官に任じられる。秀吉のマニラ征服計画の担当者になる。1591年、名護屋城築城の作事奉行、1593年、明よりの使者の饗応役、1598年、醍醐の花見の際にも秀吉に従じた。1600年、関ヶ原の戦いで西軍に与し、戦後は徳川家康に仕え北政所の番を務めた。
 画業にすぐれ、法眼の位が許された。茶人として活躍し、古瀬戸茶入茶器の名品「古瀬戸肩衝茶入(こせと たかつき ちゃいれ、長谷川肩衝)」を所持した。
◆小林良典 江戸時代後期の公家家臣・小林良典(こばやし よしすけ、1806-1859)。父は小林元次、母は典薬頭・小森頼望の娘・叙子。鷹司家諸大夫。1844年、民部権大輔、1858年、条約勅許を主張する鷹司政通に対し勅許不可にさせた。安政の大獄(1858-1859)により捕縛、江戸の獄中で亡くなる。
◆イングラム
 イギリスの桜収集家・コリングウッド・イングラム(Collingwood Ingram、1880-1981)。育種家。桜の収集で知られた。1923年、イギリス南部サセックスの庭園で、日本で絶滅していた桜、純白で花弁が大きな「太白(たいはく)」を発見した。1947年、オカメザクラを作出している。
◆北向地蔵尊 山門右手(南)の地蔵堂に安置されている「地蔵尊」(像高6尺5寸、1.96m)は「北向地蔵尊」と呼ばれ、北面している。
 伝承が残る。地蔵尊は、かつて百済国王(346-660)の守本尊だったという。飛鳥時代、第34代・舒明天皇(在位629-641)の頃、一切教と共に百済から日本に伝わり、その後、長く宮中に安置されていたという。
 平安時代、第52代・嵯峨天皇(在位809-823)の頃、823年、西寺の守敏僧都に下賜された。西寺衰微後、物集女里の一宇に遷され安置される。安土・桃山時代-江戸時代の前関白太政大臣・鷹司信房(たかつかさ のぶふさ、1565-1658)が、像に霊験あるとして家臣・小林豊後守家定に命じ長徳寺に遷したものという。もいう。
 延命地蔵と呼ばれ、2世念誉は堂宇を建て小林庵と号し安置した。信房は94歳まで長生きしたという。
 悪事受難厄除、寿命長久、請願成就、女人安産などの霊験あるという。
◆オカメザクラ 当寺の山門脇に、オカメザクラが植えられている。早咲きで、濃い桃色の一重の花弁を下向きに付ける。
 品種は、カンヒガンザクラとマメザクラの交配種の「オカメザクラ(Prunus incamp cv. Okame)」であり、イギリスの桜研究家・イングラムが1949年に作出した。名前はお亀、阿亀(おかめ)に由来する。早咲きで2月下旬-3月上旬頃に開花する。
◆砂川の三軒寺 鴨川と高野川の合流点、川端通、かつての若狭街道沿いに浄土宗三か寺(正定院、長徳寺、常林院)が隣接して建つ。「砂川の三軒寺」と呼ばれた。付近に「砂川」という小川が流れ、鴨川に注いでおり、砂の河原に囲まれていたという。萩の生育には砂地が適しており、各境内にいまも砂地が見られる。
◆米騒動 境内周辺は、近代、1918年の京都での米騒動の舞台の一つになった。
 1918年7月23日、富山県東部の魚津町の妻たち数十人が、米の価格高騰に対して町役場に押し掛け、米屋の打ち壊しを始めた。この「細民婦女の一揆」は、8月10日に名古屋、京都に飛び火し、7月-9月に全国の1道3府39県に拡大、さまざまな階層のべ70万人が参加する事態になった。寺内内閣は騒動の責任をとり総辞職し、代わりに最初の政党内閣・原敬が誕生する。騒動の原因として、第一次世界大戦(1914-1918)中の好況により、農村から都市への労働者流動により農村労働力が不足したこと。1917年のロシア革命、日本のシベリア出兵にともない、投機目的の米の買い占めが横行し、米価急騰につながったことなどによる。
 京都では8月10日夜より翌朝にかけ、柳原の騒乱で始まり、七条通、上京区下鴨町に波及、田端町の数百名の群集は出町橋付近に集結した。市内各所で同様の群衆の動きがあり、派出所、米店などを破壊、電線を切断、市電を止めるなどの騒ぎになった。京都府知事は鎮圧のために、第十六師団(伏見)に出動を要請し、全国初の軍隊出動例になった。
◆墓 当寺開基の江戸時代の長谷川宗仁、江戸時代の公家・小林良典の墓がある。


*非公開
*参考文献 『京都大事典』、「神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ」『京都さくら散歩』『京都 神社と寺院の森』


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 長徳寺 〒606-8204 京都市左京区田中下柳町  075-781-3080
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