八幡宮社 (京都市右京区京北) 
Hachimangu-sha Shrine

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 京北上中町、周山街道に面して八幡宮社(はちまんぐうしゃ)の大鳥居が建っている。弓削八幡神社とも呼ばれている。  
 参道は坂道になっており、丘陵地に建てられた京北第三小学校敷地内を突き抜ける形でそのさらに西に社殿はある。弓削郷産土神として信仰を集めた。
 祭神は第15代・応神天皇(おうじんてんのう)、神功皇后(じんぐうこうごう)、湍津姫命(たぎつひめのみこと)を祀る。
◆歴史年表 奈良時代、第46代・孝謙天皇の頃(749-758)、勅願により宇佐八幡を勧請した。
 平安時代、859年、現在地に創建されたという。中道寺(京北上中町)が当社の神宮寺として別当を務めた。
 鎌倉時代初期、衰微する。
 室町時代、衰微する。
 江戸時代、1641年頃、現在の本殿が造営され再興される。
 1647年、境内社・待童社(たいどうしゃ)本殿が造営された。
 文化・文政期(1804-1830)、神領龍子(りゅうし)山林を巡り、上弓削、下弓削で争論があり、京都奉行所の裁定により上弓削村は本社を離れ熊野神社の氏子に移る。神輿1基を熊野神社に遷した。以後、上中、下中、下弓削の産土神になる。
 現代、1984年、府文化財環境保全地区、八幡宮社文化財環境保全地区に指定された。
 2006年、本殿の屋根が葺替えられた。
◆建築 境内は拝殿のある下段、本殿が建つ上段に分かれている。社殿は南面して建つ。
 「本殿」(京都府指定文化財)は大規模な三間社流造で、桧皮葺、組物は出三斗、透彫り蛙股、妻飾りに猪子扠首組(いのこさすぐみ)、海老虹梁、木鼻、実肘木などが見られる。正面の格子戸などの建具は後補。建立時期は不明だが、本殿右手に立つ石灯籠の刻銘により、本殿も江戸時代、1641年頃に建立されたとみられている。
 境内社・「待童社本殿」(京都府指定文化財)は、三間社流見世棚造。見世棚造は土台の上に社殿が組まれ、前に階段が付かない。小規模な社殿に見られ、棚状に床板が張られていることから店舗の見世棚に似ているとして呼ばれた。こけら葺。舟肘木、妻飾りは猪子扠首組。棟札により江戸時代、1647年に建立されたとみられる。近代以降に他所より移築されたとみられている。
◆文化財 「石灯籠」1基、「銅灯籠」2基、「棟札」3枚、「修理札」3枚。いずれも京都市指定・登録文化財。
 「懸仏」2面(京都市指定・登録文化財)あり、阿弥陀如来、薬師如来(左)、十一面観音(右)の三尊それぞれに天蓋、光背がある。下方に波紋、上に蓮華を挿した水瓶を添える。裏面に室町時代、「応永廿三年(1416年)」の銘がある。もうひとつの懸仏は阿弥陀如来、釈迦如来(左)、薬師如来(右)があり、中尊台座に蓮弁がある。室町時代初期作。
 「鰐口」は3口(京都市指定・登録文化財)ある。室町時代、「大永五年(1525年)」の銘あるものは鉄製による。ただ一部に割損がある。江戸時代、「享保四年(1719年)」などの銘が入るものもある。
◆大杉 ご神木の大杉(旧京北町指定天然記念物)は、京北第三小学校の校庭に取り残されるようにして1本のみが立つ。樹齢450年、幹回り6.31m、樹高32.5m。
◆弓削 近くの地名「弓削(ゆげ)」は、「弓を削る」に由来し、弓を作る部民が住していたという。弓削部名麻呂(ゆげべのなまろ)の名も記されている。 (『続日本紀』)。かつて桑田郡弓削郷といわれた。
 弥生時代の弓削遺跡があり、「弓削銅鐸」(袈裟襷文銅鐸、22㎝)が出土した。平安時代には禁裏御料地になる。杣山では、大堰川を利用して木材が送られていた。
◆年間行事 例祭(神輿2基渡御、束帯騎馬の幼稚児供奉は勅使参向の風習を伝えるものという)(10月15日)。


*参考文献 『京都府の地名』『京都市文化財ブックス第22集 杣の国-京北・文化財のしおり-』『京都府の歴史散歩 上』『京都の地名検証 3』


  関連・周辺中道寺     周辺     関連       

ご神木の大杉

手水舎

拝殿

本殿

本殿

本殿

本殿

本殿

右より、松尾神社・大山咋命(おおやまくいのみこと)、若宮八幡宮・応神天皇(おうじんてんのう)、日吉神社 ・国狭立命(くにさたちのみこと)。

本殿前の石灯籠

石灯籠

「天壌無窮」の碑。
天壌は天と地、無窮は極まりないさま、永遠の意で、天地とともに永遠に極まりなく続くこと。

土蔵

土蔵

境内近くの丘陵地からの集落の風景、茅葺の家もわずかに残っている。
八幡宮社 〒601-0532 京都市右京区京北上中町宮ノ谷5 
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