山崎闇斎邸跡 (京都市上京区)
The ruins of the residence of YAMAZAKI Ansai
山崎闇斎邸跡 山崎闇斎邸跡
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【参照】山崎闇斎邸跡の石標、伊藤仁斎宅のほぼ真西(上京区葭屋町通下立売上ル)
 葭屋町通下立売上ル東側に「山崎闇斎邸跡(やまざき あんさいていあと)」の石標が立てられている。ここには、江戸時代の儒学者・神道家・山崎闇斎の開いた私塾「闇斎塾」があった。
 堀川通を隔てほぼ真東には儒者・伊藤仁斎の旧宅がある。
◆歴史年 江戸時代、1655年、山崎闇斎は闇斎塾(現在地)を開いた。
◆山崎闇斎 江戸時代前期の儒者・神道家・山崎闇斎(やまざき あんさい、1619-1682)。京都生まれ。父・山崎浄因は針医師。幼くして比叡山に上り稚児となる。妙心寺に移る。19歳の頃、土佐・吸江寺(ぎゅうこうじ)に移り、谷時中(たに じちゅう)に朱子学を学ぶ。土佐藩・野中兼山と交わる。1642年、還俗して京都に戻る。1665年、京都に儒学を講じる闇斎塾を開く。1658年以降、江戸に通い会津藩主・保科正之の侍講となる。54歳で吉川神道の吉川惟足に学び、神儒一致、垂加神道を提唱した。門下の崎門(きもん)学派は多く浅見絅斎などがある。幕末期、攘夷論に影響を与えた。
◆垂加霊社 闇斎は、生前に自らの霊社号を「垂加霊社(すいか しでます)」とした。心神と天神は同源同一として、自宅の祠に祀っていた。現在は、下御霊神社境内に遷座され垂加社と呼ばれている。 

*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『増補版 京都の医史跡探訪』『京都大事典』『京都市の地名』


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山崎闇斎邸跡 〒602-8113 京都市上京区元福大明神町,葭屋町通下立売上る    
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