阿弥陀寺 (京都市左京区大原)  
Amida-ji Temple
阿弥陀寺 阿弥陀寺
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中国風の山門、寄進した山口玄洞の趣向 












木立の中、急坂の参道が600m(徒歩20分)ほど続いている。







 大原のさらに北、旧若狭街道沿いの谷あいの里は、古知谷(こちだに)と呼ばれている。古くは、鴛谷(おしだに)といわれていたという。  
 岩山の焼杉山(710m)の中腹に、高野川上流に注ぐ沢川が流れる。谷筋のせせらぎに沿う参道を登りきると、光明山法国院阿弥陀寺(こうみょうざん ほうこくいん あみだじ)に到る。一心帰命決定光明山阿弥陀寺と号し、俗称として大原古知谷阿弥陀寺(古知谷阿弥陀寺)とも呼ばれている。
 浄土宗知恩院派、本尊は阿弥陀如来坐像を安置する。開祖・弾誓仏も本尊としており、「一流本山(いちりゅう ほんざん)」と呼ばれている。
 京都洛北・森と水の会。古くより安産守護の信仰篤い。
◆歴史年表 江戸時代、1609年、木食上人弾誓(たんぜい)により、妙法念仏の道場として開かれた。当初は宗派に属さなかった。
 1613年、弾誓は即身仏(ミイラ仏)となる。
 享保年間(1716-1763)、近江国平子山より澄禅(ちょうぜん)も、弾誓の行跡を追い当山に入る。
 1721年、澄禅は即身入定を果たした。
 安永年間(1772-1780)、入江御所より掛幡、打掛、閑院宮より掛幡、御追資料を贈られる。
 1801年、本堂(開山堂)が建てられた。
◆弾誓 室町時代-江戸時代の浄土宗の僧・弾誓(たんぜい、1552-1613)。尾張国に生まれた。9歳で出家し、美濃国塚尾の観音堂での100日の参籠を経て、木食(もくじき)僧として、各地で修練苦行を重ねた。木食とは、木食戒という穀断ちにより、木の実、草のみを食する行を受けた僧をいう。佐渡ヶ島の壇持山で、生身の阿弥陀仏を拝し、他力念仏の深義と「帰命十方西清法国光明満正弾誓阿弥陀仏」の尊号を授かったという。また、五条大橋で北の空に紫雲たなびき光明が見えたため、この地に赴いたともいう。幡随意(ばんずいい)の法を嗣ぐ。信濃諏訪、箱根塔之沢など多くの寺を開く。
 古知谷で、山中深い岩穴での念仏三昧の修行を行う。松の木陰を庵にして、鉦鼓を枝に掛け、岩上に坐して西の山に向かい、明け暮れて念仏したという。現在地に寺を建立した。自らの像を草刈鎌で彫り、その木像に自らの頭髪を植えたという。貴賤が集い名号書写は400万枚に及んだという。その後、伽藍が建立された。石廟の開山窟には、弾誓の遺骸を納めた石棺がある。
◆澄禅 江戸時代の僧・澄禅(ちょうぜん、?-1721)。詳細不明。近江国平子山で念仏三昧を続けた。弾誓の行跡を追い当山に入る。「弾誓の再来」といわれ、実相の滝奥の岩穴(弾公窟)で、常坐不臥称命念仏を5年にわたり続けた。1721年、即身入定を果たす。境内上に、澄禅上人庵がある。
◆小野蘭山 江戸時代の本草学者・小野蘭山(おの らんざん、1729-1810)。職博(もとひろ)。京都桜木町(上京区)に生まれる。姓は佐伯。家は朝廷に仕える地下(ぢげ)で、父は主殿大丞兼伊勢守職・茂。13歳で父の師・松岡恕庵に本草学(薬用植物学)を学ぶ。5年後、師が没し、以後、独学で本草学を学ぶ。虚弱により仕官を諦め、25歳で私塾・衆芳軒(しゅうほうけん、夷川通河原町上ル)を開く。本草学、後に博物学を教えた。塾は4度移転し、1788年、天明の大火により焼失、西の門人・吉田立仙宅(間之町通丸太町下ル大津町西側)に移る。1766年、東山・也阿弥で物産会(薬学会)を開く。1799年以降、10年間、幕命により江戸・医学館で講義した。御納戸格、30人扶持となる。1801年-1805年、諸国で6回の植物採集をした。1802年、一時京都に戻り、1803年、『本草綱目』を講義した。日本本草学の集大成『本草綱目啓蒙』全48巻(1803-1806)を刊行した。 島田充房との共著、植物図譜『花彙』(1759-1765)は海外でも高い評価を受けた。
 午後8時就床、午前1時に起床し机に向かった。植物採取以外に外出せず、庭に珍草異木を植え、春秋に塾生ら山野で採薬した。江戸で死去、墓は浅草・誓願寺・迎接院にある。
 門人は全国に1000人あり、文人画家・本草学者・蔵書家・木村蒹葭堂(きむら けんかどう、1736-1802)、本草学者・岩崎灌園(いわさき かんえん、1786-1842)、本草家・水谷豊文(1779-1833)、16歳より蘭山に師事した京都の本草家・医師・山本亡羊(1778-1859)、「リンネ」の植物分類法を初採用した草木図説出版の医家・本草学者・飯沼慾斎(いいぬま よくさい、1782-1865)、津山藩医・蘭学者・宇田川榕庵(うだがわ ようあん、1798-1846)、「雄しべ」「花粉」などを造語した理学博士・伊藤圭介(1803-1901)らがいる。
 ドイツの医師・博物学者・シーボルト(1846-1911)は蘭山を「東洋のリンネ」と賞賛した。蘭山の私塾は阿弥陀寺の山門近くにあったという。
◆仏像・木像 ◈本尊「阿弥陀如来坐像」(70.6㎝)(重文)は本堂に安置されている。平安時代(鎌倉時代とも)の造立という。結跏趺坐、弥陀定印を結ぶ。木造、金箔。
 本尊仏「植髪(うえがみ)の木像(開山弾誓仏立像、弾誓仏)」(74.24㎝)が本堂正面の宮殿内に安置されている。江戸時代初期の作という。弾誓が自らの像を草刈鎌で彫り、その木像に自らの頭髪を植えたものという。(『弾誓上人絵詞伝』『古知谷弾誓上人絵詞伝翼賛』)。頭髪は両耳辺りの両揉み上げに、いまもわずかに残る。黒色に彩色、木造。
 ◈「阿弥陀如来立像」(72.73㎝)は、平安時代-室町時代作とされ、詳細は不明であり、仏師作ではないという。「感得本尊」(『弾誓上人絵詞伝』)、「開山上人於當山感得」(『古知谷弾誓上人絵詞伝翼賛』)と記されている。江戸時代、創建時の本尊仏ともいう。後背、台座は江戸時代の後補。黒色に彩色、桜材ともいう。木造。
 ◈「鎌仏弥陀立像」(9.7㎝)は、江戸時代初期作という。弾誓作ともいう。ある時、樵夫が岩窟に詣でると、弾誓が持っていた鎌で弥陀の像を刻み与えた。これを「鎌仏」と称した。当初は近在の民家にあり、その後、当山に寄進されたという。(『弾誓上人絵詞伝』)。厨子は江戸時代、1777年に絵詞伝編者・宅亮(安蓮誓信阿宅亮)が母の50回忌に造立したという。赤茶色に彩色、木造。
 ◈「地蔵菩薩坐像」(33.33㎝)は、鎌倉時代作になる。制作者は不明。衣に顔料で模様が盛られている。
 薬師堂に「薬師如来坐像」、観音堂に「十一面観音像」を安置する。
建築 本堂(開山堂)、阿弥陀堂、山門、鐘楼、書院などが建つ。
 本堂(開山堂)は、江戸時代、1801年に建立された。
◆文化財 宝物殿には、皇族との関係も深かったため、有栖川宮、閑院宮などの寄贈品が展示されている。 
 弾誓ゆかりの法衣、仏具などもある。
◆開山窟 石廟の開山窟がある。ここに、弾誓の遺骸を納めた石棺がある。
 江戸時代、1613年、弾誓は、松の実と皮のみを食し、自らの体質を樹脂質化させた。その後、石棺の真下に掘った二重の石龕(せきがん)に入り、即身仏(ミイラ仏)と化したという。
 全国の即身仏において、最南端に位置するという。
◆禅公窟
 書院の背後の山の頂(300m)に「禅公窟(ぜんこうくつ)」がある。
 江戸時代、享保年間(1716-1763)、近江国平子山より澄禅(ちょうぜん)が、弾誓の行跡を追い当山に入る。山の石窟で参禅したという。
◆聖水 かつて、境内には、「御杖(おづえ)の水」といわれる聖水が滝となって落ちていた。御杖水(ごじょうすい)とも呼ばれた。
 飲み水に人々が苦しんでいた際に、弾誓が鉄の杖を岩に穿ったところ、水が流れ出した。水は、病も治した。その後、滝は洪水により埋められたという。
◆古知谷 地名の古知谷(こちだに)の「こち」は、「此方(こち)」、「彼方(かち)」の此方に由来するともいう。
◆樹木 600mの参道は高野川の支流の谷川に沿う。境内一帯は紅葉の名所として知られている。
 古知谷イロハモミジ(イロハカエデ/モミジ、タカオカエデ/モミジ)(京都市指定天然記念物)の巨木がある。1997年の「京都の自然200選」に「古知谷のカエデ」として選定された。樹齢800余年ともいう。江戸時代、1609年の阿弥陀寺の創建時に、すでに大木だったという。白蛇が棲むとの伝承も残る。幹に多数の支根が絡む。渓流に近く、土壌は砂礫質、腐植に富む。樹高19.2m、胸高幹周3.70m。周囲にはリョウメンシダ、ヤマアジサイなどが見られる。本堂前にも1本のカエデがある。
 境内には300本のカエデも植栽され、紅葉の名所として名高い。
◆年間行事 開山忌(産前産後の女性の参詣が多い。)(5月23日)。


*京都市内には複数の阿弥陀寺があります。冬季は積雪などにより拝観中止の場合があります。
*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『仏像めぐりの旅 5 京都 洛北・洛西・洛南』『古都歩きの愉しみ 京都』『京都大事典』『昭和京都名所図会 3 洛北』『平成29年度 春期 京都非公開文化財特別公開 拝観の手引』『週刊 日本の仏像 第14号 三千院 国宝阿弥陀三尊と大原』『京都の寺社505を歩く 上』『京都 神社と寺院の森』『若冲の花』『古代地名を歩くⅡ』


  大原     高野川          

開山堂(本堂)

寺は深山幽谷の地に開かれている

開山窟、上人入廷の一年前に掘らせたという石窟。石棺は1882年に納められた。ミイラ仏は現在、この石棺の中に納められている。


茶室「瑞雲閣」

カエデの巨木、樹高20m。京都市指定天然記念物


境内、参道脇を流れる谷川
 阿弥陀寺 〒601-1235 京都市左京区大原古知平町  075-744-2048
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