西蓮寺 (京都市下京区) 
Sairen-ji Temple
 

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 西蓮寺(さいれんじ)は、西市屋道場(にしのいちや どうじょう)とも呼ばれる。南隣の松尾大社西七条御旅所との関わりが深い。山号は松尾山(まつおざん)という。 
 時宗。本尊は地蔵菩薩。
◆歴史年表 平安時代、939年、10世紀(901-1000)後半とも、空也が市で布教し、松尾大社に参籠した際に、松尾神は衆生済度の方便を示したという。このため、松尾大社御旅所(現在の松尾大社西七条御旅所)社頭に創建されたという。以来、当寺住職は御旅所の社僧(供僧)を務め、松尾神社の神幸祭、臨幸には踊念仏を行っていたという。御旅所領145石のうち、3石5斗を知行していた。(「西蓮寺文書」)
 中世(鎌倉時代-室町時代)、当寺は祈祷寺院として東寺の葬儀に関与していた。
 近代初頭まで、神仏混淆期には、西蓮寺と南隣の松尾大社西七条御旅所は同じ境内地にあった。
◆空也 平安時代中期の浄土教の僧・空也(903-972)。詳細不明。第60代・醍醐天皇の第2皇子として生まれたともいう。寺を持たず常に市井にあったことから、市聖(いちのひじり)、弘也、阿弥陀聖、市上人とも呼ばれた。幼少より在家の優婆塞(うばそく)として全国を遍歴した。919年、17歳で市中の遺骸を念仏を唱えながら埋葬した。924年、尾張・国分寺で出家し沙弥空也と名乗る。播磨、奥州、四国で修行し、934年、奥羽にも布教した。938年以来、京都で念仏を広める。939年、空也堂を開く。948年、比叡山・天台座主延昌から受戒し、光勝の法名を得たが、終生空也と名乗った。951年、都に流行していた悪疫退散のために、自ら十一面観音を刻み、車に乗せ市中を曳き廻した。病人に茶を授け、歓喜踊躍の念仏踊で病魔を鎮めた。病人は平癒したという。その典茶・皇服茶(おうぶくちゃ、王服茶)は、身分の隔てなく分け与えられた。その時の踊躍は六斎念仏として今も伝わる。963年、金泥『大般若経』600巻の書写事業を完成させている。鴨川河原に一寺(のちの西光寺、六波羅蜜寺とも)を建て供養会を行う。東山の西光寺(六波羅蜜寺)で没した。墓は全国に複数ある。
 各地で橋を架け、道路や井戸の整備、遺棄された骸を火葬して荼毘にふすなどの社会事業も行った。空也の菩薩行は行基につながる。称名念仏により、既存の国家、権勢、知識層の仏教から庶民の仏教を唱えた。後の法然、親鸞の専修念仏に影響を与える。一遍は空也を崇敬した。
◆西光 平安時代後期の官人・僧・西光(さいこう、?-1177)。藤原師光(ふじわら の もろみつ)。麻植大宮司家(麻植郡忌部神社祠官)・麻植為光の子、信西(藤原通憲)の乳母の子とも。中納言・藤原家成の養子、乳兄弟とされる。阿波国の在庁官人、信西の家来となり、左衛門尉に昇る。1159年、平治の乱で信西没後、出家し西光と称した。後白河法皇(第77代)に仕え、「第一の近臣」と呼ばれた。1177年、平氏打倒の鹿ヶ谷の陰謀に加わり、密議首謀者となる。1177年、子・師高、師経が比叡山と争い比叡山大衆が強訴した。2人は処罰されるが、西光が後白河法皇に讒訴(ざんそ、落し入れの陰口)し、明雲の天台座主職を停止、拷問、伊豆流罪にさせた。同年、行綱が鹿ヶ谷の陰謀を平清盛に密告、西光は捕縛、拷問の末、五条西朱雀で斬首された。
 西光は、都の六道の辻(七道の辻とも)に自身と一族を弔うために地蔵を安置した。寺地の西七条もその一つになる。(『源平盛衰記』)。
◆市屋道場 七条堀川の「市屋道場」(金光寺)に対し、西蓮寺は「西市屋道場」とも呼ばれ市屋派に属した。金光寺末だったという。
 市屋とは平安京の「東の市」「西の市」の屋舎の意であり、市神が祀られた。東市には市姫社(市比売神社)、西市には松尾神内の宗像社(松尾大社西七条御旅所)が充てられた。
 西蓮寺はかつて西本願寺辺にも寺領を有した。祈祷寺院として、東寺の僧の葬送に関与した。官寺の東寺の僧は、没後も死の忌みに触れるとして葬送に関わらなかった。このため、西蓮寺が代ったとみられている。
◆松尾神  松尾大社、松尾神と西蓮寺の関わりも深い。
 平安時代、939年、10世紀(901-1000)後半とも、空也は松尾大社に参籠した。松尾神は衆生済度の方便を示したという。また、松尾神が空也に法華経の回向を頼んだという。
 以来、松尾大社御旅所(現在の松尾大社西七条御旅所)社頭に西蓮寺は創建されたという。住職は御旅所の社僧(供僧)を務め、松尾神社の神幸祭、臨幸には踊念仏を行った。御旅所領145石のうち、3石5斗を知行した。(「西蓮寺文書」)
 松尾神社の御旅所のご神体の一つに宗像神があり、市の神が祀られている。御旅所に衣手社も祀られ神輿もあるという。空也は松尾神に衣の袂を与えられたという。
◆仏像・木像
 本尊の「地蔵菩薩」は鎌倉時代作、脇本尊の「地蔵菩薩」は平安時代末期作という。
 本尊が二尊の地蔵菩薩なのは、現在の六地蔵信仰以前の古い信仰によるという。
 派祖(時宗)の「作阿上人像」は、国立京都博物館に寄託されている。
◆六地蔵 西光は、平清盛に拷問の末、斬首され晒された。京の六道の辻(七道の辻とも)に地蔵尊を祀り、寺地の西七条もその一つだった。(『源平盛衰記』)
◆文化財 中・近世の文書、書跡などがある。
 室町時代、1510年、「沼田上野介寄進状」。1540年、足利義晴臣・山本兵庫助秀家の「市屋西蓮寺」宛寄進状など。


*要事前連絡。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 当寺由緒、『京都・山城寺院神社大事典』『京都大事典』


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 西蓮寺 〒600-8876 京都市下京区西七条南中野町55  075-313-2261
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