円福寺 (京都府八幡市) 
Empuku-ji Temple
円福寺  円福寺
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「達磨堂円福禅寺」の石標


切り通しの参道


西国三十三ヵ所巡拝所、参道脇にある。


西国三十三ヵ所巡拝所





山門


山門扁額「江湖道場」
 八幡市の最南端、京阪国道(国道一号線)、洞ヶ峠(ほらがとうげ)の西、参道の石畳の坂を下った林の中に、円福寺(えんぷくじ)の伽藍建ち並ぶ。 
 達磨堂円福寺、円福禅寺、だるま寺、達磨堂ともいう。現在も禅僧、研修者の修行道場として開かれている。山号は雄徳山という。
 臨済宗妙心寺派、本尊は釈迦如来(十六善神とも)を安置する。
◆歴史年表 江戸時代、1785年、1783年、天明年間(1781-1788)とも、妙心寺の斯経恵梁禅師が臨済宗最初の禅道場として開いた。宗派を問わず禅修行の場とされる。
 1807年、妙心寺の海門禅格は、南山焼の祖・浅井周斎より現在地に土地の寄進を受け、禅学専門道場の江湖道場を建てた。石清水八幡宮社家・田中家より円福寺の寺号が贈られ、達磨大師坐像が遷される。
◆斯経禅師 江戸時代の臨済宗の僧・斯経禅師(しきょうぜんし、1722-1787)。履霜軒斯経慧梁禅師。姫路に生まれる。白隠四天王(四哲)のひとり。白隠禅師に師事、妙心寺海福院の住職。茶人でもあり『茶事訣』を著す。京都で亡くなる。
 没後、第119代・光格天皇に扶宗大綱禅師の禅師号を追贈された。
◆浅井周斎 江戸時代中期-後期の陶工・浅井周斎(あさい しゅうさい、1720?-1800)。短賢、鳳州園と号した。大坂で河崎屋源兵衛と称し鉄を扱い、財をなした。宝暦年間(1751-1763)、八幡鳩ヶ峰南山に窯を開き、器の底に「無」の字を刻した。南山焼きの祖。法華信者であり、漆器、茶の湯、詩吟、書にも秀でた。貧民救済も行い、土地は円福寺に寄進した。
◆仏像・木像 鎌倉時代作(室町時代作とも)の「達磨大師坐像」(重文)(82cm)が達磨堂に安置されている。目を見開き、頭から法衣をまとい定印を結ぶ。日本三大達磨の一つとされ、写実的な表現で日本最古の達磨像ともいわれている。
 かつて、奈良・片岡山達磨寺(北葛城郡王寺町)にあり、その後、片山家に遷された。室町時代、1460年、片山光次が武将・畠山政長に敗れた際に、光次は八幡に逃げ延び、この時像も遷された。江戸時代、1665年、石清水八幡宮社家(別当)・田中要清が社殿修造の際に、像は田中家に託され遷された。その後、1807年に円福寺の海門が禅の江湖道場を開いた際に、当寺に遷され安置されたものという。檜材、寄木造、彩色、玉眼嵌入。
 本堂に、「身代わり観音」と呼ばれる摩耶夫人像が安置されている。病平癒祈願の信仰がある。
◆文化財 奈良時代前期、天平期(729-749)の写経本、紙本墨書「大般若経」577巻(重文)は、主に天平時代からなる。さらに平安時代-室町時代のものが加わる。天平時代の写経で全巻ほぼ揃うのは珍しい。薬師寺の印があり、かつて奈良・薬師寺にあった。以前は巻子本(かんすぼん/けんすぼん、最も古い形の装丁であり、紙を横に長くつなぎ、末端に軸をつけた巻物。)だったが、その後、折本に再装丁された。
◆建築 境内は3万坪(99173.6㎡)あり、山門、長屋門、本堂、達磨堂、坐禅堂、有栖川宮家旧御殿、庫裏、鐘楼などの伽藍群が南面して建つ。
◆洞ヶ峠 要衝地の洞ヶ峠(ほらがとうげ)は山城、河内国を結び南峠とも呼ばれた。戦乱の舞台にもなり、南北朝時代、1353年、八幡合戦(正平戦役)でも陣が敷かれた。安土・桃山時代、1582年の本能寺の変後の舞台の一つにもなった。
 6月2日、明智光秀が織田信長を討った本能寺の変後、光秀は、縁戚であり、友人でもあった大和郡山の大名・筒井順慶(藤勝、藤政、1549-1584)に味方に付くように要請した。だが、順慶は辰市(奈良市東九条町)近隣に陣を敷いたものの、積極的には動かなかった。他方、順慶は羽柴秀吉になびき、光秀方の再度の誘いも追い返した。光秀は順慶への牽制の意味を含め、洞ヶ峠に布陣したが順慶は兵を進めず静観する。13日、光秀は山崎の戦いで秀吉に敗れ討たれる。14日、順慶は大和より醍醐の秀吉に拝謁した。秀吉は順慶の参陣が遅れたことを叱責したという。その後、秀吉の家臣に付くが、3年後に病死している。36歳。
 順慶は洞ヶ峠に兵を進めていない。後世、順慶は光秀と秀吉の間で日和見を決め込んだとされ、「洞ヶ峠」は、日和見主義の代名詞としても使われた。
◆年間行事 万人講(まんにんこう)(4月20日、10月20日)では、境内が一般公開になり、達磨大師坐像が開帳される。
 例年、12月19日、僧が托鉢により集めた大根2000-3000本を、境内のイチョウの大木の枝に吊るす。その後、一か月間は天日干し、3年ほど沢庵に漬け込む。万人講当日、これらの沢庵は参拝客に振舞われる。供される赤膳(朱膳)の精進料理は、開運、厄除け、中風除けになるといわれている。


*普段は非公開
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都府の地名』『京都の仏像』『京都府の歴史散歩 下』『京都大事典』


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山門

山門、「碧巖録提唱」とある。碧巌録(へきがんろく)は、宋代、1125年に臨済宗楊岐4世・圜悟克勤によって編された仏教公案集であり、禅文学の代表典籍で10巻ある。仏果圜悟(えんご)禅師碧巌録、仏果碧巌破関撃節とも呼ばれた。禅宗五家の一派、雲門宗4世の雪竇重顕(せつとうちようけん)が、釈迦の問答100則を選び頌をつけたものにもとづく。

「創開施雄峰圓福江湖道場」

「示現於片岡初祖達磨霊像」

山門、金剛力士像、阿形

山門、金剛力士像、阿形

長屋門

長屋門

長屋門、「不許葷酒入山門」、葷(くん)酒の山門に入るを許さずとは、匂いを発する野菜を食べ、を飲んだ者などは、修行の場に相応しくないため立ち入りを禁ずるとした戒めの意味。

玄関

庫裏

鐘楼

十三重塔
円福寺 〒614-8056 八幡市八幡福録谷  075-981-0142
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