荒見神社 (久御山町)
Arami-jinja Shrine
荒見神社 荒見神社 
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 久御山町田井(たい)、木津川の東に荒見神社(あらみ じんじゃ)がある。
 祭神は武甕槌命(たけみかづちのみこと)、別雷大神(かもわけいかづちのみこと)、倉稻魂命(うかのみたまのみこと)、第14代・仲哀(ちゅうあい)天皇、第15代・応神天皇を祀る。
 旧村社。式内社。平安時代、『延喜式神名式(延喜式神名帳)』(927)中「久世郡 二十四座 大十一座 小十三座」の「荒見神社」ともいう。
◆歴史年表 創建の詳細、変遷は不明。
 奈良時代、713年、『山城国風土記』に「荒海の社 祇社。み名は大歳の神なり」と記され、当社には大歳の神(おおとしのかみ)を祀っていたともいう。
 平安時代、927年、当社は『延喜式神名式(延喜式神名帳)』中の「荒見神社」ともいう。
 江戸時代、1630年、木津川の水害により社殿が流出する。その後、現在地に遷された。(「山城志」、本殿棟札)。伝承によれば当初は、現在地のすぐ東南、西荒見、東荒見付近に祀られていたという。
 1664年、当社号は五社大明神神社とあり、現在の本殿が再建された。(本殿棟札)
 1775年、当社(五社大明神)は、東西45間、南北26間の境内を有し、地蔵堂、薬師堂も建てられていた。(「田井村神社明細帳」)
 近代、1873年、当社が式内社とされる。(「久世郡神社明細帳」)
◆荒見神社 荒見神社の荒見とは、荒水(水害)の転訛であり、木津川の氾濫を鎮める水神を祀っていたとみられている。
 「荒海の社 祇社。み名は大歳の神なり」(713年「山城国風土記」)と記され、大歳の神(おおとしのかみ)を祀ったものという。
 1873年、「久世郡神社明細帳」には、当社が『延喜式』神名帳の久世郡荒見神社とされている。ただ、城陽市の荒見神社もまた式内社とされ、こちらが式内社比定に有力説ともいう。「荒海の社」についても、両荒見神社の名が挙げられている。
◆建築 本殿は棟札により、江戸時代、1664年に再建された。三間社流造。
◆年間行事 例祭(10月9日-10日)。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 『京都府の地名』


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「巨椋(おおくら)の入江(いりえ )響(とよ)むなり 射目人(いめびと)の伏見が田井(たい)に雁(かり)渡るらし」(「万葉集」巻九)

拝殿

拝所、玉垣、本殿

本殿

遥拝所の石標

荒見神社の石碑
荒見神社 〒613-0036 久世郡久御山町大字田井小字荒見49 
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