東丸神社・荷田春満旧宅 (京都市伏見区) 
Azumamaro-jinja Shrine,Former Residence of KADANO Azumamaro
 東丸神社・荷田春満旧宅  東丸神社・荷田春満旧宅 
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荷田社


春葉殿


春葉殿


春葉殿

 東丸神社(あずままろ じんじゃ)は、伏見稲荷大社の外拝殿南に祀られている。現在は伏見稲荷大社との関係はなく羽倉家が管理している。
 祭神は江戸時代の国学者・荷田春満(かだの あずままろ)を祀る。 
 学業成績上達の篤い信仰を集める。呆気払いのお守りが授与される。
◆歴史年表 江戸時代、1615年、荷田春満旧宅が建てられたとみられる。
 1669年、荷田春満が現在の旧宅に生まれる。
 1725年、安田親夏、大西親友、羽倉信元が春満宅での夜飯に招かれた。現存建物かどうかは不明。
 1736年、春満が旧宅で亡くなる。
 1760年、羽倉信郷邸で春満25回忌の追慕和歌の会が催された。
 1780年、羽倉家屋敷らしき建物が描かれている。(『都名所図会』)
 近代、1883年、春満への正四位追贈があり、その際に春満の学徳を讃え稲荷社宮司ら有志により東丸神社創立の議を起こす。
 1890年、春満旧宅(御殿預家)内東に、伏見稲荷大社の摂社として東丸神社が創建された。建立遷霊祭が斎行される。宮内庁より下賜金が贈られる。以後、神社は羽倉家が管理している。
 1903年、府社に昇格した。
 1922年、旧宅は国の史跡に指定される。
 戦時中、解体保存される。
 現代、2011年、旧宅内に庭園が作庭された。
◆荷田春満 江戸時代の国学者・歌人・荷田春満(かだ の あずままろ、1669-1736)。羽倉信盛、号は春満。父は稲荷社(伏見稲荷大社)正官五職のひとつ、御殿預職の荷田姓羽倉(東羽倉)氏47代・信詮(のぶあき)の次男、母は細川忠興家臣・深尾長兵衛源盛定の娘・貝子。現在の荷田春満旧宅に生まれる。幼少より歌、書に嗜む。1683年、15歳で元服、羽倉斎信盛と名乗る。祠官職に就かず、神道、歌道を学ぶ。1697年、妙法院門跡尭延法親王(霊元天皇第5皇子)に家頼として出仕し、歌道を教えた。1699年、辞して、1700年、徳川家光50年忌勅使・前右大臣大炊御門経光に随伴し江戸に下る。春満は江戸に残り、歌会を催す。支配的な朱子学に抗し神道、歌道などの研究を行う。塾を開き、『日本書紀』、神道指導を行う。大石内蔵助と親交あり、赤穂浪士の後援者となる。1702年、大石三平に書状を送り吉良邸の動静を伝える。1713年、帰京し、再び江戸へ下る。1714年、帰京、1715年、下向、帰京、下向、1723年、帰京する。この年、将軍・徳川吉宗の上意により、春満の和学相伝、古典籍の調査鑑定を命じられる。1727年、辞して、1728年、養子・在満に家督を譲る。国学の学塾開設のための陳情書「請創造倭学校啓」を幕府に提出した。1735年、賀茂真淵が師事する。在ノ山稲荷社祀官墓地に葬られる。号は東丸、東麻呂、春満(あずままろ)。1883年、贈正四位、1919年、従三位に叙せられる。国学学塾は実現しなかった。
 荷田学と呼ばれ、復古神道論を唱えた。国学先駆者として「国学の四大人(しうし/よんうし)」の一人(ほかに賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤)に数えられた。国史、律令、古文、伝記、『万葉集』『伊勢物語』などにも通じた。父、元政上人、大山為起らに影響を受ける。弟子の賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤らにより体系化され、幕末の尊攘思想の根拠になった。
◆社家 旧来の社家は秦姓であり、後に荷田姓が加わる。現在の伏見稲荷大社の表参道、南一帯に神官の屋敷が建ち並んでいた。
 幕末、秦姓(11家)、荷田姓(4家)の分家15家があった。秦姓で神主職(11家)、荷田姓で御殿預職(1家)、目代職(1家)をそれぞれ世襲した。春満の父は稲荷社正官五職のひとつ、御殿預職の荷田姓羽倉(東羽倉)信詮(のぶあき)になる。
◆荷田春満旧跡 伏見稲荷大社社殿南、東丸神社境内の西に隣接して祠官家の「荷田春満旧宅(御殿預家)」(国史跡)がある。江戸時代、1615年に建てられたとみられ、大坂城落城の日だったという。かつて表参道の両脇などに社家屋敷が建ち並んでいた。現在は荷田家旧宅だけが残されている。戦時中に解体保存され、その後、復元された。その際に、南側の縁側、台所、浴室が除かれた。
 北に表門が開き、北側の高塀、東側の透塀内の鉤型の敷地に西よりの中央付近に「書院(旧座敷)」の一部、西北隅に「神事舎」などが建つ。1922年に国の史跡に指定された。
 「表門」は北面して建つ。西脇に潜り門がある。薬医門、本瓦葺。
 表門より入った右手すぐにある黒板塀「衝立」の上部に、荷田家の家紋「梅」が透かし彫りになっている。
 「書院」は、東端に東面して「玄関」(1間半)がある。この式台玄関は、欄間に鏑矢を交差させた意匠の二つの透かし板、左右脇壁に格子窓、奥に舞良戸(4枚)、障子(2枚)、右の壁に引き違い板戸(2枚)が立てられている。切妻造、起り破風、桟瓦葺。
 「取次ノ間」(玄関の間、4畳半)、「次ノ間」(9畳、南面東側に1畳出張り)がある。
 主室の「上座敷」(6畳)、左寄りに「床」(1畳)が並ぶ。上座敷は春満の書斎として使われた。南面に「付書院」(1間)があり花頭窓を開け、窓に引分障子を立て込み、上部に板欄間(花七宝の透かし)がある。窓の左に半間の飾棚があり、違棚、上に2段の袋棚がある。
 上座敷と次ノ間の境、上部板欄間に吊束で2枚あり、独特の南瓜型の文様(猪目形の変形、双葉形)が透かし彫り(輪郭だけの透かし、六角格子を刳り出したもの、全部刳り抜きのもの)になっている。縁上の無目に障子、入側外部間仕切りの片面舞良戸(鳥ノ子貼)になる。
 書院の北側に東より「受付ノ間」(2畳)、「控ノ間」(鞘の間、3畳)、「入側」(鞘の間)、西端に「四畳」(鞘の間)があり、庭に面して入側と濡縁が西より北へ廻されている。当時は雨戸と戸袋はなく、戸襖により戸締りをしていた。玄関の左に「下ノ間」(5畳)、南東隅に「内玄関」がある。書院の南側に外廊下、便所へ続く渡廊下がある。寄棟造、桟瓦葺。桁行13.54m(44尺7寸)、梁間6.83m(22尺5寸5分)。
 書院の北東隅に「便所(北半間に小便所、南半間に大便所)」がある。桁行1間、梁間1間。「渡廊下」(1間四方)は切妻造、桟瓦敷。桁行1.24m(4尺1寸)、梁間1.11m(3尺6寸5分)。
 「神事舎」では、かつて神璽(おみたま/しんじ)という祭神御印を修封し、信者に分祀していた。この分祀により、各地の稲荷社が勧請されている。3畳1間、切妻造、桟瓦葺。
◆庭園 庭は書院の北側、南側、西側などに枯山水式庭園があり、2011年に作庭された。
◆茶室 近年建てられた茶室「残香亭(ざんこうてい)」が東庭の丘陵地にある。四畳半茶席、東に三畳の水屋がある。南西隅に躙口、貴人口がある。手前畳の左に道庫口がある。
 近年建てられた茶室「瑞芳軒(ずいほうけん)」には、八畳の広間、六畳の控室、西端に四畳半の茶席、水屋などある。
◆鳥居 社殿に密着する形で山王鳥居が建てられている。明神鳥居の笠木の上、中央に棟柱を立て、木材を合掌形に組み渡す。1936年に京都府社寺課技師・友成の設計による。 
◆荷田社 伏見稲荷大社境内に鎮守社「荷田社(かだしゃ)」(重文・附)が祀られている。旧社家荷田家の祖先を祀る。
 平安時代、1176年に祠官・荷田氏の祖・荷太夫没後、「稲荷山の命婦の南に社を造り霊魂を祀る」と記されている。(「荷田講式」)。室町時代、1499年には荷太夫明神社と記されている。(「明応遷宮記録」)
 現在の祠は、江戸時代、1694年に建立された。一間社流見世棚造、檜皮葺。例祭(12月13日)。
◆オーロラ 当社が所蔵する東羽倉家の日記中に、江戸時代、1770年9月17日に京都でオーロラが見られたとの記述が発見された。2017年に、国立極地研究所が発表した。
 太陽で爆発が起こると、大量のプラズマが太陽磁場とともに放出され地球に到達する。それに伴い、地球の磁場が一時的に弱くなる「磁気嵐」が起こる。大規模な磁気嵐では、極域だけではなく、低緯度でもオーロラが見られる。
 京都でもオーロラの記述がある。鎌倉時代、1204年に藤原定家の日記『明月記』に記されている。京都では1週間のうちに幾晩もオーロラが見えたという。
 江戸時代、1770年のオーロラは、京都(磁気緯度24度)の天頂にまで広がり、放射状の白い筋が入った扇形の赤いものが発生したとみられている。江戸時代に京都で書かれた絵図『星解(せいかい)』の記述内容と整合した。この時は、江戸時代、1859年に見られた巨大磁気嵐「キャリントン・イベント(磁気緯度24度-36度)」と同等か、それ以上の規模だったと推定されている。
 東羽倉家の日記の要約は次のようになる。 「明和7年7月28日(1770年9月17日) 晴れ。午後5時-7時に、北の空に赤気が現れた。若狭国の方が炎のような色になっていると噂になる。9時-11時、赤くなり、紅色の雲が北側の空の半分を覆い銀河(天の川)に迫る。赤気のなかに白気が立ち上り幾筋もあらわれ、午後11時-午前1時まで続いた。赤気は明るくなったり、色が薄くなったりして空の半分が包まれた。星が透けて見え、白気が一筋銀河を貫いていた。午前1時-3時に落ち着いた。神社の人々は空を仰ぎ、天変で恐ろしいと言っていた。午前3時-5時に空は晴れて通常に戻った。」(国立極地研究所「江戸時代のオーロラ絵図と日記から明らかになった史上最大の磁気嵐」)


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『史跡 荷田春満旧宅』『お稲荷さんの重要文化財』『拝観の手引』『稲荷総本宮 伏見稲荷大社』『京都府の歴史散歩 中』『京都大事典』『京の茶室 東山編』『京都のご利益手帖』『鳥居』『京都隠れた史跡100選』『新版 京・伏見 歴史の旅』『伏見学ことはじめ』、サイト「国立極地研究所 江戸時代のオーロラ絵図と日記から明らかになった史上最大の磁気嵐」


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荷田春満旧宅

東丸神社 〒612-0882 京都市伏見区深草藪之内町36  075-641-7331(伏見稲荷大社)

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