三吉稲荷神社(八幡大菩薩) (京都市右京区)
Sankichinari-jinja Shrine
三吉稲荷神社(八幡大菩薩) 三吉稲荷神社(八幡大菩薩) 
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 太秦多藪町の大映通商店街に面して、三吉稲荷神社(さんきちいなり じんじゃ)はある。八幡大菩薩とも呼ばれる。中里八幡宮社(なかざと はちまんぐうしゃ)とともに木島神社の境外末社になっている。
 地名の多藪町とは、かつてこの付近一帯が竹薮で覆われていたことに由来する。
 祭神は、三吉稲荷大明神、中里八幡大菩薩を祀る。宇賀御魂神(うがのみたまのかみ)ともいう。 
◆歴史年表 創建の詳細、変遷は不明。
 この地には、八丁薮といわれる竹薮が広がり、浄土宗の西光寺のほかには、無格社の三吉稲荷、中里八幡の小さな祠が祀られていた。 
 近代、1926年、太秦に初めて坂東妻三郎プロの撮影所が建てられた。以後、松竹太秦、帝キネ太秦、新興キネマ、大映京都第二撮影所と変遷する。
 1928年、日活太秦撮影所の建設に伴い、広大な竹薮が切払われる。篤志家が映画関係者に寄付を募り再建された。
 1930年、三吉稲荷と中里八幡を合祀し、この地に祀られた。社は、竹薮を棲みかとし、行き場を失った狐、狸の慰霊のために建立されたという。
 現代、1981年、木嶋神社(蚕の社)の境外社になる。
 2001年、「牧野省三顕彰碑」が立てられた。
◆牧野省三 近代の映画監督・牧野省三(まきの しょうぞう、1878-1929)。映画製作者、脚本家、実業家。京都府北桑田郡山国村生まれ。父は漢方医・山国隊の藤野齋、母は娘義太夫師・竹本弥奈吉(牧野彌奈)。1901年、劇場「千本座」を母とともに買収し開場した。後に千本座の経営を任された。1908年、横田商会の依頼により、真如堂の境内で『本能寺合戦』を初めて撮影した。1912年、合併した日活で関西撮影所の所長就任。1919年、日活在籍のままミカド商会を設立し、1920年、ミカド商会は横田商会により日活に吸収され、省三は日活に戻る。1921年、等持院境内に牧野教育映画製作所、等持院撮影所を開設した。1922年、『実録忠臣蔵』を撮り大ヒットする。1923年、マキノ映画製作所に改組、1924年、東亜キネマに吸収合併され、東亜キネマ甲陽撮影所・等持院撮影所の所長就任。1925年、主演・澤田正二郎の『国定忠治』が大ヒットした。独立しマキノ・プロダクションを設立した。1929年、国産ディスク式トーキー『戻橋』を完成した。
 300本以上の時代劇映画を製作、尾上松之助ら多くの映画人を育て「日本映画の父」と呼ばれた。墓は等持院にある。
◆中里八幡宮 中里八幡宮は木島神社の境外末社であり、旧太秦中里村の産土神になる。
◆文化財 玉垣に寄進した俳優、大河内伝次郎(1898-1962)、伴淳三郎(1908-1981)、伏見直江(1908-1982)、入江たか子(1911-1995)らの名が刻まれている。
 ほかに、浅岡信夫、浅香新八郎、伊丹礼三郎、市川小文次、梅村容子、葛木香一、清川荘司、楠英二郎、久米譲、沢田清、酒井米子、沢村春子、実川延一郎、瀬川路三郎(片岡千恵蔵)、高勢実、常盤操子、鳥羽陽之助、中野英治、浜口富士子、山本嘉一らの名がある。
 石鳥居は、日活撮影時所長・池永浩久(1877-1954)の寄進による。
◆碑 2001年、境内に「日本映画の父 牧野省三顕彰碑」が立てられた。 


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 当社由緒、『昭和京都名所図会 4 洛西』『京都の映画80年の歩み』『シネマの京都をたどる』


  関連・周辺木島神社(蚕ノ社)     周辺       関連等持院         

中里八幡大菩薩

中里八幡大菩薩

三吉稲荷大明神

三吉稲荷大明神

「日本映画の父 牧野省三先生顕彰之碑」

大河内伝次郎寄進の玉垣

伏見直江

伴淳三郎

入江たか子
三吉稲荷神社 〒616-8167 京都市右京区太秦多藪町14
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