聖澤院 〔妙心寺〕 (京都市右京区)
Shotaku-in Temple
 聖澤院  聖澤院 
50音索引  Home 50音索引  Home










庫裏


方丈


玄関



方丈



方丈庭園



方丈庭園
 妙心寺境内に塔頭・聖澤院(しょうたくいん)はある。 
 臨済宗妙心寺派、妙心寺四派の聖澤派本庵。
◆歴史年表 室町時代、1523年、妙心寺18世・天蔭徳樹は、細川氏、美濃国守護・土岐政房の支援を受け、没後20年の妙心寺13世・東陽英朝を勧請開山として創建した。東陽の塔所になる。
 1526年、天蔭徳樹が亡くなり、汾洲禅昭が引き継ぐ。だが、外護者の細川氏、土岐氏を失い、次第に衰微する。
 その後、弟子・省貫首座が引き継ぐ。外護の細川晴元(1514-1563)を失い、省貫は退く。以後、聖澤派の住持に欠き、本山監寺により護られる。
 天正年間(1573-1592)末、太陽和尚が住したが、再興はならなかった。
 1594年、若狭・発心寺の東漸宗震が財を投じ、法弟・大仙寺の景中(庸山景庸)首座により復興した。外護者・早川主馬守長政は、庫裏、方丈、門、玄関を造営する。長政は、寺領20石を寄進する。その後、板倉伊賀守が外護に代わる。
 江戸時代、1667年、小座敷と小庫裏を撤去した跡地に書院が建立された。(「聖澤院往古記事」)
 近代、1868年、推雲庵を合併した。
◆天蔭徳樹 室町時代の臨済宗の僧・天蔭徳樹(てんい とくじゅ、?-1526)。詳細不明。東陽英朝の法嗣。妙心寺18世。
◆東陽英朝 室町時代の臨済宗の僧・東陽英朝(とうよう えいちょう、1428-1504)。美濃の生まれ。土岐持頼の子。竜安寺の雪江宗深の法嗣。丹波・竜興寺、大徳寺、13世・妙心寺、尾張・瑞泉寺などの住持。美濃・少林寺の開山。聖澤派の祖。諡号は大道真源禅師。
◆汾洲禅昭 室町時代の臨済宗の僧・汾洲禅昭(ぶんしゅう ぜんしょう、生没年不詳)。詳細不明。
◆土岐政房 室町時代の武将・土岐政房(とき まさふさ、1467-1519)。土岐成頼の長男。1494年土岐氏の嫡男を巡り、父・成頼、弟・元頼と対立し内乱、船田合戦になる。1495年政房方は勝利し、家督と守護職を継ぐ。美濃守護となる。1517年嫡男・頼武と次男・頼芸の家督争いの合戦最中に亡くなる。舞の名手といわれた。
◆庸山景庸 室町時代-江戸時代の臨済宗の僧・庸山景庸(ようざん けいよう、1559-1626)。美濃の生まれ。妙心寺の以安智察、その弟子・東漸宗震の法嗣。妙心寺・聖沢院を復興。1599年妙心寺13世住持。医学にも通じ、前田家幼子を治し、同家が帰依した。法名は景中。
◆東漸宗震 安土・桃山時代-江戸時代前期の臨済宗の僧・東漸宗震(とうぜん そうしん、1532-1602)。美濃の生まれ。以安禅師に入門、参禅する。若狭・発心寺、播磨・随鴎寺住職、紫衣を賜う。妙心寺71世。北政所の姉・松嶽寿保信女(杉原くま)に請われ、1600年妙心寺・長慶院を創建した。北政所も帰依し、高台寺開山に請じたが固辞した。聖沢派8祖中の6祖。
◆早川長政 安土・桃山時代-江戸時代前期の武将・大名・早川長政(生没年不詳)。武田信光の子・早川八郎信平を祖とする。羽柴秀吉の馬廻衆、1584年小牧の戦い、四国攻め、九州征伐に加わる。1586年方広寺大仏造営作事奉行、聚楽第行幸で供奉、1590年小田原征伐、1591年近江を検地、1592-1598年文禄・慶長の役に加わる。1593年大分郡内の蔵入地代官、1594年大分郡内で大名、伏見城の工事に参加した。1597年蔚山城の戦いで豊後国木木付に謹慎処分となる。1600年関ヶ原の戦いで西軍に所属。1600年田辺城の戦いに参加、1614-1615年大坂冬の陣、大坂夏の陣に加わる。大坂落城後、行方不明になる。
◆片山尚景 江戸時代の画家・片山尚景(かたやま しょうけい/なおかげ、1628-1717)。狩野尚信に学ぶ。肥前平戸藩藩主・松浦氏に招かれ御用絵師になる。京都に戻り、1709年所障壁画を描く。晩年は平戸に住む。法橋。
◆狩野栄川 江戸時代の画家・狩野栄川(かのう えいせん、1730-1790)。典信(みちのぶ)。狩野栄川古信の長男。典信、号は白玉齋、榮川院。1731年2歳で木挽町狩野家を継ぐ。1743年9代将軍・徳川吉宗の寵愛を受ける。1748年朝鮮通信使来日の際に朝鮮国王への献上用屏風絵を制作。1762年法眼の位を得て中務卿を許された。1763年奥御用絵師。1764年通信使来日の際に典信らの屏風絵が朝鮮国王に贈呈された。1773年表御医師並となる。1777年木挽町狩野家を名乗る。1780年法印に叙せられ号を栄川院と称した。1787年11代・将軍家齋の肖像画を描き御霊屋廟に絵画を納める。1790年紫宸殿の賢聖障子絵の完成を果たせず亡くなる。
◆四派四本庵 室町時代、塔頭の龍泉庵(1481)、東海庵(1484)に加え、聖澤院(1523)、霊雲院(1526)が創建された。
 雪江宗深の法嗣から、四派の景川宗隆(けいせん そうりゅう、龍泉派)、悟渓宗頓(ごけい そうとん、東海派)、特芳禅傑(とくほう ぜんけつ、霊雲派)、東陽英朝(とうよう えいちょう、聖澤派)が出る。四本庵はそれぞれ龍泉庵、東海庵、霊雲院、聖澤院を拠点とした。これにより、「四派四本庵(しはしほんあん)」による運営体制が確立した。この四派により、一山の全権が掌握され、住持も決定された。
 師・雪江は4人を評し、「禅は景川、徳(福)は悟渓、寿(頌)は特芳、才は東陽」とした。
◆建築 安土・桃山時代、1594年、慶長年間(1516-1615)とも、外護者・早川主馬守長政は、所有する桃山城内の私館、黄金25枚を寄進し、現在の庫裏、方丈(客殿)、門、玄関を造営する。
 書院は数寄屋風の造りを取り入れている。
◆文化財 高麗時代(918-1392)の「摩利支天像」(重文)。「東陽禅師像」「庸山禅師像」「愚堂禅師像」「宗門正灯録」写本。
◆障壁画 方丈に片山尚景の襖絵「獅子図」「十牛図」「花鳥図」など84面がある。
 書院に狩野栄川筆の水墨画がある。一之間、床之間の壁貼付絵に松の紙本墨画「山水図」1面、紙本墨画「麒麟図」6面。二之間に紙本墨画「竹林七賢図」14面、鉄斎之間に、富岡鉄斎筆、壁貼付絵・襖絵「巌栖谷飲図」9面が描かれている。


*普段は非公開、建物、室内の撮影禁止
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『妙心寺』『妙心寺 六百五十年の歩み』「再考・妙心寺聖澤院書院障壁画-狩野典信筆『山水・麒麟図』及び『竹林七賢図』」



  関連・周辺妙心寺(右京区)        関連・周辺龍泉庵〔妙心寺〕        関連・周辺東海庵〔妙心寺〕      関連・周辺霊雲院〔妙心寺〕        関連・周辺長慶院〔妙心寺〕         周辺         関連        

方丈庭園

方丈庭園

書院西の庭

書院西の庭

坪庭

坪庭
 聖澤院 〒616-8035 京都市右京区花園妙心寺町37 

より大きな地図で 妙心寺・聖澤院  を表示
50音索引  Home   50音索引  Home  
   © 2006- Kyotofukoh,京都風光