西源院 〔龍安寺・妙心寺〕 (京都市右京区) 
Seigen-in Temple

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山門




参道


精進料理店の中門

 龍安寺境内に塔頭・西源院(せいげんいん)がある。
 臨済宗妙心寺派。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 室町時代、武将・細川勝元(1466-1507)が、徳大寺家より境内地を得て清源庵(せいげんあん)を建てる。後に院号を高源院(こうげんいん)に改めた。
 その後(年代不詳)、移され西源院と号し、これを前身とするともいう。
 1489年、細川政元が特芳禅傑(とくほうぜんけつ)を請じて創建したという。
 大休宗休(だいきゅう そうきゅう、1468-1549)が中興する。
 近代、1888年、龍安寺塔頭・東皐院(とうこういん)を併合している。
◆細川勝元 室町時代の武将、幕府管領・細川勝元(1430-1473)。持之の子。 1442年、13歳で家督を継ぐ。1445年、管領になり、以後数度再任され21年間在任した。摂津、丹波、讃岐、土佐国守護。1441年、嘉吉の変の後、山名持豊(宗全)の女婿となる。1460年、畠山義就を失脚させる。だが持豊と対立し、将軍家の跡目を巡り勝元は足利義視、持豊は足利義尚を支援し、応仁・文明の乱(1467-1477)の一因になった。勝元は東軍総帥になる。
 妙心寺の義天玄承、特芳禅傑に帰依した。龍安寺、丹波・竜興寺を創建した。和歌、絵画に親しみ、医書『霊蘭集』を著した。墓は龍安寺にある。
◆特芳禅傑 室町時代の臨済宗の僧・特芳禅傑(どくほう ぜんけつ、1419-1506)。大寂常照禅師。尾張の人。幼少で出家、東福寺、龍安寺の義天玄詔、美濃・汾陽寺(ふんようじ)の雲谷玄祥、伊勢・大樹寺の桃隠に師事、1473年、妙心寺・雪江宗深の法を嗣ぐ。龍安寺、丹波・竜興寺、摂津・海晴寺、妙心寺開堂、1478年、大徳寺住持。瑞泉寺、1488年、再興された龍安寺に帰り中興開山になる。1492年、丹波・竜潭寺(旧大梅寺)開山。1504年、龍安寺・西源寺で隠退する。諡号は大寂常照禅師。西源寺より出された語録に「西源特芳和尚語録」。詩文に秀でた。弟子に大休など。
◆細川政元 室町時代の武将・細川政元(1466-1507)。勝元の子。1486年、管領となり、亡くなるまで在任した。室町幕府の三管領の一つ、細川家の嫡流・京兆家当主。摂津、丹波、讃岐、土佐の守護。1482年、摂津国人茨木氏を討ち、1488年、京都で土一揆を鎮圧した。1493年、将軍足利義材(義稙)と畠山政長を討つ。新将軍に足利義澄を擁したが、義材は抗した。1504年、内衆薬師寺元一の反乱を鎮圧する。だが、養子・澄之(関白・九条政基の子)の擁立を図る内衆香西元長らに暗殺された。
◆大休宗休 室町時代の臨済宗の僧・大休宗休(だいきゅう そうきゅう、1468-1549)。幼くして東福寺・永明庵で出家、龍安寺・特芳禅傑に師事、印可を受けた。その没後、西源院、龍安寺、妙心寺の住持。晩年は霊雲院を開創し住した。今川義元の招きにより、駿河国・臨済寺を開山、妙心寺・尾張国瑞泉寺などを歴住した。1542年、後奈良天皇は大休に印記を受ける。天皇より円満本光国師の諡号を賜った。特芳禅傑の三哲の一人。
◆東皐院 東皐院(とうこういん)は、安土・桃山時代、天正年間(1573-1592)、籌室(ちゅうしつ)により開創された。1888年、龍安寺塔頭・西源院に併合された。
◆庭園 江戸時代、1799年の「都林泉名勝図会」に西源院の庭園について記されている。「塔頭東皐院の林泉は遠景を興とす。坐して八幡、山崎、淀川のながれ、小倉の江、伏見、鳥羽、羽束師など鮮かに見えて、風光微妙なり」とある。
 かつて、借景の庭として南に八幡、山崎、伏見、鳥羽まで見渡せたという。
◆精進料理 境内で庭園を望み精進料理、七草湯豆腐を頂くことができる。


*非公開
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『妙心寺』『妙心寺 六百五十年の歩み』『こころ美しく京のお寺で修行体験』


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西源院 〒616-8001 京都市右京区龍安寺御陵ノ下町13  ‎075-462-4742   10:00-17:00
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