霊光院 〔龍安寺・妙心寺〕 (京都市右京区)
Rreiko-in Temple

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 龍安寺境内、鏡容池畔に塔頭の霊光院(れいこういん)がある。いまは、無住の小堂、霊光堂だけが残されている。
 臨済宗妙心寺派。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 安土・桃山時代、1583年?、細川昭元の室・宗倩尼(そうせんに)が、妙心寺44世・月航玄津(げっこう そうしん)(普済英宗禅師)に請じて創建したという。実際には、宗倩尼没後、その乳母が建立したともいう。
◆月航玄津
 安土・桃山時代の臨済宗の僧・月航玄津(げっこう そうしん、?-1586)。詳細不明。普済英宗禅師。大休宗休の法弟。1564年、妙心寺再住、1582年、再々住、同年信長没後、妙心寺での法会の導師になる。法号「天徳院殿竜巌雲公大居士」を与えた。1583年、退隠し、霊光院を開く。ほかに静岡・清見寺、常陸・禅源寺、会津・興徳寺に住し、常陸・永興寺、静岡・松源寺を開いた。
 墓は龍安寺にある 
◆宗倩尼 室町時代-安土・桃山時代の女性・宗倩尼(そうせんに、?-1582)。お犬の方(おいぬのかた)、大野殿、大野姫。尾張国の人。武将・織田信秀の娘、織田信長の妹・市の姉、妹ともいう。尾張国大野城主・佐治信方に嫁ぎ、一成を産む。1574年、夫戦死。1577年、京兆家当主・山城国槙島城主・細川昭元(管領・細川晴元の嫡男)に再嫁。細川元勝・長女(秋田実季正室)、次女(前田利常の正室・珠姫の侍女)を産む。
 美貌の誉れ高く、30余歳で病没した。法名は「霊光院殿契庵倩公禅定尼」。龍安寺に肖像が残り、妙心寺44世・月航宗津の賛がある。
◆祖堂・墓 霊光院の詳細不明。かつての境内は、境内北西にあったという。大正期(1912-1926)、現在地の塔頭・大珠院の東に移された。その後、伽藍は失われるが、寺籍は残されている。2010年頃?、小堂の霊光堂が建てられ、いまは新たに宗倩尼の位牌が祀られている。
 墓地には宗倩尼とその子・佐治一成(さじ かずなり、1569?-1634)墓が残されているという。


*非公開
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『妙心寺』『妙心寺 六百五十年の歩み』『紹巴富士見道記の世界』



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 霊光院 〒616-8001 京都市右京区竜安寺御陵下町13  075-463-2867 
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