小督塚 (京都市右京区)
The grave of Kogo
小督塚 小督塚
50音索引  Home 50音索引  Home



小督塚、化野に石塔の一つだったものを女優・浪花千栄子により改めたものという。


渡月橋北詰東にある「琴きき橋跡」、石標は、美しく琴の名手だったという小督の弾く調べを、探していた仲国が聞いたという橋跡に立つ。仲秋の夜、嵯峨野で仲国が笛を吹くと、「想夫憐(恋)」の美しい調べがかすかに聞こえてくる。音のする処に進むと、粗末な小屋が建っており、小督が隠れ住んでいたという。
 側面に書かれている歌「一筋に雲ゐを恋ふる琴の音に ひかれて来にけん望月の袖」。
 渡月橋北詰から西へ、さらに北へ入ったところに小督塚(こごう づか)ある、謡曲「小督」の旧跡とされる。平安時代末期の女性・小督はこの地に身を隠したという。仮住居もこの小督塚付近に建てられていたという。 
◆小督局 平安時代末期の女官・小督局(こごう の つぼね、1157-1205以降?)。小督。桜町中納言・藤原成範の娘。美貌と琴の名手として知られた。第80代・高倉天皇中宮・建礼門院徳子(平清盛娘)の侍女となる。平清盛娘婿・冷泉隆房の愛妾で、後に高倉天皇の寵愛を受けた。隆房は自死する。中宮の父・平清盛は怒り、宮中より小督を追放する。呼び戻された小督は、隠し部屋に潜み、1177年、天皇との間に範子内親王を産む。清盛により再び追放され、嵯峨野に隠棲した。清盛は天皇を退位させる。1181年、天皇没後、御陵のある清閑寺に移り、菩提を弔ったという。また、清盛により清閑寺に追放されたともいう。御陵の傍らに墓という宝筐印塔が立つ。
 悲哀は『平家物語』巻六、『たまきはる』、能「小督」にも取り上げられている。小督は嵯峨野に隠れ住む。天皇の命を受け探していた北面の武士・源仲国は、琴の音を頼りに居所を尋ねた。小督は天皇のもとへ戻るが、中宮より先に子を宿したとして清盛は清閑寺に送り出家させられる。天皇は憔悴し早世する。
 小督に関しては、京都市内にいくつかの史跡が残る。渡月橋北詰東にある「琴きき橋跡」、渡月橋北詰西の車折神社嵐山頓宮に架かる石橋は「琴聴橋」という。法輪寺(西京区)に「小督の経塚」といわれるものがある。常寂光寺(右京区)には、高倉天皇より贈られたという「車琴」が伝わる。清閑寺(東山区)には小督供養塔(宝筐印塔)が立つ。高倉天皇陵傍らにも小督局墓と伝えられる墓がある。寺には小督愛用の「琴」「硯箱」がある。
 小督は建春門院の女房・健寿御前と交流があった。御前は藤原定家の姉であり、晩年、定家も嵯峨の宿所に病の小督を見舞った。
◆能 能「小督」がある。高倉天皇の寵愛を受けた小督の局は、琴の名手として知られた。小督は、中宮の父・清盛の怒りを買ったことを知り身を隠した。以来、天皇は嘆き悲しむ。天皇は、八月十五日の夜更けに源仲国を勅使として遣わし、嵯峨野にあるという小督の棲家を探させた。
 仲国は馬に乗り探し回る。ある家より琴の音がもれ聞こえてくる。それは、小督の弾く琴の音であり、夫を想い恋うという「想夫恋」の曲だった。仲国が天皇の御書を授けると、小督は涙ながらに返書をしたためた。仲国はそれを携え都へと帰っていく。
 

*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*参考文献 『京都大事典』『京都隠れた史跡100選』『歴史散歩 京に燃えた女』『おんなの史跡を歩く』『京を彩った女たち』『平安の都』


   関連・周辺嵐山・桂川       関連・周辺      関連・周辺法輪寺(西京区)        関連・周辺常寂光寺       周辺       関連清閑寺          

渡月橋北詰西にある車折神社嵐山頓宮、近代、1934年に建立された。三船際のために使用されている。
 架かっている石橋は、「琴聴橋」「駒留橋」といわれ、仲国が小督の調べを聴くために馬の足を止めた場所ともいう。当初は木橋が架かっていた。その後、三条通の拡張工事に伴い橋が移された。長さ、幅ともに3m。「明治十三年(1880)改築」と刻まれている。
小督塚 〒616-8385 京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町3-47 
50音索引  Home   50音索引  Home  
       © 2006- Kyotofukoh,京都風光