後藤祐乗・富士谷成章の墓所 (京都市北区)
Grave of GOTO Yujo

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「後藤祐乗之墓所」の石標


「富士谷先生碣(いしぶみ)」の石標





 千本鞍馬口上った東側に、蓮台寺十二坊末寺・大慈院の墓地がある。門の両脇に「後藤祐乗之墓所」「富士谷先生碣(いしぶみ)」との石標が立てられている。 
 現在は、小さな御堂、墓地が広がる。かつて周辺には、蓮台寺の12の子院が通りの東西に建ち並んでいたという。室町時代、応仁・文明の乱(1467-1477)以後、荒廃した。
 墓地は、北の普門院、南の大慈院に別れている。江戸時代の金工家・後藤祐乗、同家歴代、国学者・冨士谷成章らの墓がある。
◆歴史年表 室町時代、1512年、金工家・初代・後藤祐乗が当墓地に葬られた。
 江戸時代、1631年、彫金師・5代・後藤徳乗が葬られる。
 1733年、医師・後藤艮山が葬られた。
 1779年、国学者・富士谷成章が葬られる。
 1824年、国学者・富士谷御杖が葬られた。
◆後藤祐乗 室町時代の金工家・後藤祐乗(ごとう ゆうじょう、1440-1512)。四郎兵衛。美濃国の生まれ。後藤基綱の子。将軍・足利義政に近侍した。18歳で将軍の言付けに背き入獄したという。獄中で桃の種にお宮、猿を彫り、その出来栄えにより義政は赦免したという。以後、召抱えられ装剣金工を業とした。「三所物(みところもの)」の小柄(こづか、刀の鞘の恋口に差す小刀の柄)、笄(こうがい、髪を掻き揚げる道具)、目貫(めぬき、刀の柄側面に付ける飾り金具)などに優れた。細緻な文様装飾を特徴とし、御所彫と称された。下絵は絵師・狩野元信に頼った。剃髪入道し祐乗と号した。装剣金工の後藤四郎兵衛家の祖。
 墓は上品蓮台寺にある。
◆後藤光乗 室町時代-江戸時代の装剣金工・後藤光乗(ごとう こうじょう、1529-1620)。京都生まれ。後藤乗真の長男。後藤家4代。父没後、豊後に移る。京都に戻り、織田信長に仕えた。1581年、信長、1582年、豊臣秀吉に大判と分銅製作の役を命じられた。法眼。
 墓は上品蓮台寺にある。
◆後藤徳乗 安土・桃山時代-江戸時代前期の彫金師・後藤徳乗(ごとう とくじょう、1550-1631)。後藤家5代。筑前生まれ。父は4代・光乗。父とともに上洛し、豊臣秀吉の桐の紋を彫り、「徳乗桐」と呼ばれた。1588年、秀吉命により天正大判(金貨)、小判の原型を作る。後、徳川家康に仕え大判座頭人になる。「京都三長者(ほかに茶屋四郎次郎<南蛮貿易、呉服>、角倉了以<角倉船貿易、土木>)」の一つと謳われた。
 墓は上品蓮台寺にある。
◆後藤家 装剣金工の後藤家は、初代・後藤祐乗以後、子孫17代に渡り足利、織田、豊臣、徳川の保護を受けた。京都に本家、別家、金沢に分家、江戸にも住まいがあった。代々「乗」を通字として用いる。
 名人としては初代、4代・光乗、8代・即乗の名が挙がる。6代までの墓は上品蓮台寺に、それ以後は、常徳寺(北区)に眠る。装剣金工家としては近代、1876年の廃刀令まで続いた。
 なお、古典落語の「金明竹(きんめいちく)」に登場する早口の口上「‥道具七品のうち、祐乗、光乗、宗乗三作の三所物(みところもん)‥」は後藤家に由来している。
◆後藤艮山 江戸時代中期の医師・後藤艮山(ごとう ごんざん、1659-1733)。江戸の生まれ。江戸・林大学頭の門で経書、牧村卜寿に医学を学ぶ。1685年京都の相国寺西、室町通に移り、独学で古医方を学ぶ。開業し、救民施薬した。民間療法の熊胆、灸、温泉を用い「湯熊灸庵(ゆのくまきゅうあん)」と俗称された。古医方の大家となる。門人は 200人を超え、弟子に山脇東洋、香川修徳らがいる。東洋は艮山を訪ね人体解剖を決意した。著『師説筆記』など。
 墓は上品蓮台寺にある。なお、装剣金工の後藤家との関係はない。
◆富士谷成章 江戸時代中期の国学者・富士谷成章(ふじたに なりあきら、1738-1779)。京都生まれ。御典医・皆川成慶(春洞)の次男、儒者・皆川淇園の弟。19歳で柳河藩京都留守居・富士谷家の養子。藩邸(中立売西洞院)に住んだ。兄に漢学、有栖川宮職仁親王に和歌を学ぶ。経書、歴史学、後に国語学に関心を寄せた。
 「挿頭抄(かざししょう)」「脚結抄(あゆひしょう)」は、国文法の研究書となる。和歌の変遷書「六運略図」「北辺七体七百首」は、没後、本居宣長に賞賛された。「非南留別志」は荻生徂徠の批判書になる。墓は上品蓮台寺にある。
◆富士谷御杖 江戸時代中期の国学者・富士谷御杖(ふじたに みつえ、1768-1824)。京都生まれ。父は国学者・富士谷成章。筑後国柳河藩立花氏に仕え京都留守居役を任じられる。父に国語学、歌道を学ぶ。伯父・皆川淇園に漢学、日野資枝に和歌を学ぶ。言霊(ことだま)説により「古事記」を解釈した「古事記燈」で本居宣長を批判した。晩年、留守居役を解任された。墓は上品蓮台寺にある。
◆墓 後藤長乗、次男・覚乗、その子・舜乗らの墓5基がある。笠付型題目塔(1.8m)になる。顕乗、程乗の笠付型題目塔(1.8m)が立つ。
 祐乗は五輪塔(2.4m)が立つ。後藤家10-17代宗家、分家累代の墓がある。笠付型墓石1基(2.7m)が立つ。
 

*参考文献 『京都大事典』『京都隠れた史跡100選』『増補版 京の医史跡探訪』『京都の地名検証 3』


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後藤祐乗・富士谷成章の墓所 〒603-8303  京都市北区紫野十二坊町
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