福田寺 (京都市左京区花背)
Fukuden-ji Temple
福田寺  福田寺
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1927年に立てられた5号経塚の石碑「経塚 出現 毘沙門天王」


大乗妙典一千部供養塔


三界萬霊塔
 花背別所(はなせ べっしょ)の国道477号線に面して、福田寺(ふくでんじ)がある。山号は天王山という。
 曹洞宗系単立、本尊は阿弥陀如来。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 年代不詳、かつて比叡山にあり、比叡山三千坊の一つとされた。当初は天台宗だった。
 平安時代、王城の地、北方弥勒浄土の地にある寺として信仰を集めていた。
 12世紀(1101-1200)中期、集落南西の尾根などに経塚が営まれた。
 安土・桃山時代、越前・永平寺の末寺として再建されたともいう。
 江戸時代、1681年、天和年間(1681-1684)とも、越前・永平寺の大証無碍禅師により中興される。以後、曹洞宗に改めた。(『京都府愛宕郡村志』)
 近代、1921年、花背別所経塚群(1号経塚-4号経塚)が発見された。
 1927年、花背別所経塚群(5号経塚、6号経塚-8号経塚)が検出される。
 1938年、花背別所経塚群の大部分が重文指定された。
◆大証無碍 江戸時代の曹洞宗の僧・大証無碍(生没年不詳)。詳細不明。1681年、福田寺の中興開山。
◆仏像 本堂に本尊「釈迦如来像」を安置している。
◆石造物 墓地内に「宝篋印塔」が2基立つ。南北朝時代頃の作ともいう。塔身正面に梵字(アク)、基礎四面に格狭間のみを刻む。隅飾は二孤、相輪の一部を欠く。高さ1.6m、花崗岩製。
 「宝塔」2基は、塔身正面に南北朝時代、「康永三年(1344年)」の銘がある。塔身正面に扉型はなく、基礎正面狭間に蓮華文様を刻む。相輪の上部を欠く。高さ1.2m、花崗岩製。
 開山塔近くの「自然石板碑」は、平安時代作であり、1927年に花背経塚付近より出土した。梵字に金剛界大日(バン)が刻まれ、その下左右にも梵字がある。「仁平元年(1151年)」、発願者「那智山住僧永鑒」が刻まれている。高さ57㎝。
◆花背別所経塚群 「花背別所経塚群」は、花背地区の南西を中心とした大平谷に散在している。当初は尾根の植林作業中に発見された。1921年、1号経塚-4号経塚が発見される。その後、1927年、5号経塚、6号経塚-8号経塚が発見された。いずれも12世紀(1101-1200)中期のものという。当時は、貴族政治より武家政治への転換期にあたり、不安定な社会背景もあった。これらが経塚が営まれた要因の一つにもなったという。
 1号経塚は山塊より東に延びた尾根頂部に築かれた。花背別所経塚群の特徴が見られる。封土で覆われ、下は割石で敷き詰め、円形(直径4.7-46m)に覆う積石塚(つみいしづか)になる。中心付近に掘り下げる形で、組合式の小石室が造られた。石室は上部より見ると平面五角形に近い形をしていた。下に底石(幅46cm×長さ58cm)を敷き、周囲に8本の石(55cm)を立てて並べた。 
 1号経塚の出土品は、石室内より「鋳銅製経筒」1、それを納めた「陶製外容器」2、「金銅製毘沙門天小像」1、それを納めた「鋳銅製筒形厨子」1、「銅製香炉」2、「花瓶(けびょう)」1、「皿(六器)」6などが出土している。石積付近より日本製の「鏡」、「短刀」、中国宋時代の小容器「青白磁合子(せいはくじ ごうす)」などが発見された。
 「経筒」(高さ37cm×直径14cm)は、屋根形の蓋をもつ。表面に「正六位佐伯正親 女弟子□太子 仁平三年三月□□」と刻まれ、平安時代、仁平(にんぺい)三年(1153年)に、下級貴族・佐伯氏と尼僧により埋納されたものという。
 「厨子」(高さ13.5cm×口径6cm)も、平安時代、1153年に造られた。
 「毘沙門天立像」(像高6.3cm)(重文)は、厨子内に納められていた。火焔状光背を背負い、右手を上げ、やや右に腰をひねり天を見上げた姿をとる。毘沙門天は王城北方の守護神とされていた。鞍馬寺の同像に似る。かつて福田寺の本尊の傍らに安置され「黄金の仏」と呼ばれていた。
 2号経塚は、石室内に木炭が積まれていた。3号経塚からは経筒内に平安時代末-鎌倉時代初めの法華経の一部(大半は朽ちていた)などが見つかった。4号経塚には、陶製大型壷などがあった。5号経塚は石櫃があったという。和鏡、中国製の湖州銅鏡、宋銭「宗元通宝」(968年)-「崇寧重宝」(1102年)なども見られた。6号経塚からは銅鏡、宋銭「政和通宝」(1111年)などが見つかった。7号経塚は石室が円筒形をしており、内部は木炭で満たされていた。経筒に「過去者沙弥蓮生 仁平三年五月十三日」と刻まれていた。8号経塚は出土地不明の和鏡などをいう。
 1938年、花背別所経塚群の遺物「山城国花背別所経塚群出土品」は一括して重文指定された。「青銅製経筒」、「毘沙門天小像」、「筒形厨子」などは福田寺に寄贈された。現在は、京都国立博物館が保管している。現在、福田寺山門脇に、1927年に立てられた5号経塚の石碑が立ち、「経塚 出現 毘沙門天王」と刻まれている。


*非公開 
*参考文献 『京都市の地名』『京都・山城寺院神社大事典』『昭和京都名所図会 3 洛北』『史跡探訪 京の七口』『新日本ガイド京都』、京都国立博物館のサイト


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