宇賀神社 (京都市南区)
Uga-jinja Shrine
宇賀神社 (京都市南区) 宇賀神社 (京都市南区)
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 東九条の宇賀神社(うが じんじゃ)は、旧東九条村唯一の産土神として崇敬されてきた。社伝によれば、京都の神社の中で最も古い歴史があるという。
 祭神は宇賀魂神(うがのみたまのかみ)、天照大神(あまてらすおおみかみ)を祀る。
 商売繁盛、家内息災、学徳成就、芸能上達、交通安全などの信仰を集める。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 古く、この地は宇賀塚と呼ばれた。九条南、東洞院東宇賀辻(現在の札ヶ辻)にあったという。(「山城名勝誌」)
 飛鳥時代、藤原釜足(614-669)は、月輪に狩に出て、この地で金璽(きんじ、金印)を得た。釜足は、後世に京都に遷都になり、この地で子孫繁栄することも予知した。その印として金璽を埋め塚としたという。(社伝、「陶原(すえはら)月輪両塊門図」)
 後、塚の上に社殿を建て神社にしたという。(社伝)
 近代、1879年、府の一村一社寺令により、東九条村にあった3社のうち宇賀神社だけが残される。新宮神社は九条家の宮廷跡(南区東九条東御霊町)に、薬院社は成興寺(南区東九条烏丸町)に遷座した。
◆藤原鎌足 飛鳥時代の政治家・藤原鎌足(ふじわら の かまたり、614-669)。父は中臣御食子、母は大伴智仙娘。大和国生まれ。妻は鏡王女。南淵請安の塾で儒教を学び、蘇我入鹿とともに秀才とされた。644年、祭官に就くことを固辞、摂津国三島の別邸に退く。645年、中大兄皇子(後の第38代・天智天皇)・石川麻呂らと協力し、飛鳥板蓋宮で蘇我入鹿を暗殺、入鹿の父・蝦夷も自殺に追う。(乙巳の変)。この功により内臣に任じられる。大化の改新を進めた中大兄皇子側近として、左大臣・阿部倉梯麻呂、右大臣・蘇我倉山田石川麻呂らと対立した。647年、新冠位制度で大錦冠を授与された。649年、梯麻呂・石川麻呂の逝去、失脚後は勢力拡大し、654年頃、大紫冠に昇格した。669年、天智天皇より大織冠を授けられ、内大臣に任ぜられる。藤原の姓を贈られ、翌日に亡くなる。最大氏族の藤原氏の始祖。 
◆雷石 境内に、雷が石になったとされる「雷石」がある。実際には隕石という。
◆樹 境内にムクノキ(京都市巨樹銘木・保存樹)、イチョウ(京都市巨樹銘木)の大木があり、いずれも樹齢500年-600年という。ムクノキは、京都でも最古の巨木の一つという。
◆年間行事 例祭(放生)(9月15日)。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 宇賀神社敬神会の説明板、『京都大事典』『京都市の地名』


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拝殿

拝所

本殿

本殿

ムクノキ

イチョウ

イチョウ、乳
宇賀神社 〒601-8024 京都市南区東九条東札ノ辻町33   
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