福長神社 (京都市上京区)
Fukunaga-jinja Shrine

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本殿

 上京区福長町(ふくながちょう)は、室町通に東面して福長神社(ふくなが じんじゃ)はある。かつて地主神を祀ったという。「福長明神」、稲荷神を祀り「福長稲荷(福長稲荷神社)」とも呼ばれ、地名の由来になった。 
 現在地は、旧平安京(大内裏)外、東に位置している。平安宮中に祀られた式内社36座(大30座、小6座)のうち、京都に残された数少ない後継社の一つとみられている。
 祭神は福井神(さくいのかみ)、綱長井神(つながいのかみ)という井戸・水の神、稲荷神を祀る。
 式内社。平安時代、『延喜式神名式(延喜式神名帳)』(927)中「宮中 神祇官西院坐御巫等祭神23座(並大) 座摩巫祭神5座 並大 月次新嘗 福井神・綱長井神」の後継社とされる。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 平安時代、859年、生井神、福井神、綱長井神、波比祇神、阿須波神の5神は、無位より従四位上の神階に昇る。(「日本三代実録」)
 927年、『延喜式』神名帳では、宮中の「神祇官西院坐御巫等祭神」中、生井神、福井神、綱長井神、波比祇神、阿須波神の5神は、「座摩巫祭神五座 並大 月次新嘗」と記されている。5神は式内大社に列し、月次祭・新嘗祭において幣帛に預かった。当社は、このうちの福井神、綱長井神の後継社とされる。
 室町時代、1572年、この地は福長町と記されており、これ以前に現在地に当社が祀られていたと見られる。(「立入宗継文書」)。なお、福長町に地主神の福長明神が室町武者小路下ルにあり、稲荷神に変ったともいう。(「上古京親町之古地由来記」)
 1574年、織田信長が上杉謙信に贈ったとされる狩野永徳筆「洛中洛外図屏風」には、現在地に福長神社がすでに描かれている。
 安土・桃山時代、豊臣秀吉の築城した聚楽第(1587-1595内)に城鎮守神・井戸の神として祀られていたともいう。(「坊目誌」)。かつて、大宮と猪熊の間に、福井社、綱長井社として祀られていたものが、聚楽第の築造に伴い、敷地内に取り込まれたともいう。
 1595年、天正年間(1573-1592)とも、秀吉による聚楽第造城時、また聚楽第の廃城時に、現在地に遷されたともいう。(社伝、「坊目誌」)
 江戸時代、1788年、天明の大火で焼失し、境内は縮小する。
 近代以降、水の神(井戸、泉の神)として地域に篤く信仰されている。
◆社名・祭神 福長神社は、古くは地主神を祀った。後に福井神、綱長井神の2神を合祀し、福長神社の社号になる。さらに、稲荷神も合祀し、「福長稲荷神社」「福長稲荷」とも呼ばれた。
 福井神、綱長井神は、平安時代の平安京大内裏内、「神祇官西院(じんぎかん さいいん)」(現在の大宮竹屋町辺)に祀られていた延喜式内社とされている。
 宮中の神の総称「座摩巫祭神(いがずり の みかんなぎ の まつるかみ)」5神である生井神(いくい の かみ)、福井神、綱長井神、波比伎神(はひきのかみ)、阿須波神(あすはのかみ)中の2神になる。このうち、生井神、福井神、綱長井神の3神は井戸の神、波比祇神、阿須波神の2神は、宮中の敷地を守る神々とされた。
 平安京大内裏の神祇官西院(斎院)内において、座摩巫5神は、大御巫8神に次ぐ重要な神とし祀られた。「北庁」内に南向きに祭祀され、女性神職の「御巫(みかんなぎ)」により奉斎されていた。座摩神は、都下国造一族の7歳以上の童女より選ばれた座摩巫(いかすり の みかんなぎ、坐摩巫)1人により奉斎された。
 座摩神を含む神祇官の祭祀は、中世(鎌倉時代-室町時代)に衰退する。室町時代、応仁・文明の乱(1467-1477)頃までに廃絶した。大御巫の祀った8神の祭祀は、安土・桃山時代、1590年に、吉田神社境内(現在の八神殿跡)、白川家邸内に遷される。近代以降、皇居の神殿(宮中三殿の1つ)(東京)に継承され、座摩神などの神々も神殿「天神地祇」に含まれたとされる。
 京都では、かつての座摩5神のうち、福井神、綱長井神の2神を祀る後継社として福長神社が残ったという。

*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 説明板、『京都まちかど遺産めぐり』『京都市の地名』「神社資料データベース」『稲荷信仰と宗教民俗』


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福長神社 〒602-0907 京都市上京区室町通武者小路下ル福長町538   
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