徳禅寺 〔大徳寺〕 (京都市北区)
Tokuzen-ji Temple
徳禅寺 徳禅寺 
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 大徳寺境内の南東に、塔頭・徳禅寺(とくぜんじ)がある。かつて、大徳寺とは独立した禅寺だった。山号は霊山(りょうせん)、霊山徳禅寺とも称される。 
 臨済宗大徳寺派。
◆歴史年表 南北朝時代、1338年、徹翁義亨(てつとう ぎこう)が、尊胤法親王より大徳寺南西、船岡山山麓の梶井御所の地を贈られる。公家・花山院兼信より荘園の寄進を受けた。境内は近世の松源寺、養徳院、大徳寺境内南などに跨り、広大な敷地を有していた。山名を「霊山」、寺号を「徳禅」とし、大徳寺とは別に開山された。(「龍宝山大徳禅寺志」)。
 1368年、徳禅寺法度・正伝庵法度によりその管理運用が定められる。
 室町時代、応仁・文明の乱(1467-1477)により焼失する。
 一休宗純(1394-1481)が、大徳寺山内の現在地に移す。
 祖渓(尾和)宗臨(?-1501)が、大徳寺総門東南角の現在地に再興したともいう。
 近世(安土・桃山時代-江戸時代)、御朱印配当9石5斗余を有した。
 江戸時代、1614年、客殿が再建される。
 寛永年間(1624-1645)、客殿が再建されたともいう。
 現代、1984年、「徳禅寺領名田庄関係中世荘園文書」が襖の下張より発見された。
◆徹翁義亨 鎌倉時代の臨済宗の僧・徹翁義亨(てっとう ぎこう、1295-1369)。出雲の人。1279年、建仁寺で渡来僧・鏡堂覚円により剃髪したともいう。宗峰妙超の法嗣。1338年、大徳寺1世。徳禅寺を開創した。「徳禅寺法度」を制し住職は門弟相承とした。1368年、大徳寺三法を制 し、教団運営の基礎を築く。守禅庵、摂津・般若寺、但馬・安養寺を開創した。法嗣に言外宗忠。諡号は1528年、大祖正眼禅師、1638年大応(てんおう)大現国師。
◆尊胤法親王 鎌倉時代-南北朝時代の皇族・尊胤法親王(そんいん ほうしんのう、1306-1359)。梶井門跡。第93代・後伏見天皇の第4皇子。母は治部卿局(じぶきょう の つぼね)。承鎮法親王に灌頂を受けた。1332年、天台座主に就き、以後4度座主を務めた。1334年、四天王寺別当、1340年、二品を叙される。
◆花山院兼信 鎌倉時代-南北朝時代?の公家・花山院兼信(1291-?)。父は内大臣・花山院師信。1302年、侍従、1306年、左近衛少将、1309年、播磨介、左近衛中将、春宮権亮、1310年蔵人頭、参議、1311年、越後権守、1313年、右衛門督、1315-1323年、権中納言、1317年、正二位にまで昇る。1343年、出家した。法名は覚円。
◆一休宗純 室町時代の臨済宗の僧・一休宗純(1394-1481)。京都に生まれた。北朝第6代・第100代・後小松天皇の落胤(第1皇子)という。母・公卿花山院某娘は後宮を追われ、嵯峨野の民家で産んだという。6歳で京都の安国寺・像外和尚の室に入り、宝幢寺の清叟仁、1410年、17歳の時、西金寺・謙翁宗為(けんおう そうい)の弟子になり、宗純と改める。1415年、大徳寺の華叟宗曇(かそう そうどん)の弟子になり、1418年、一休の号を授けられた。1442年、戸陀寺を創建した。1448年、売扇庵、1452年瞎驢庵(かつろあん)に移る。応仁・文明の乱(1467-1477)を挟んで、1467年、酬恩庵に入り、1469年、大和、和泉、摂津住吉などに移り、1474年、第103代・後土御門天皇の勅命により大徳寺第48世となり、寺を再興した。1467年、酬恩庵酬恩庵(一休寺、京田辺市)に移る。詩人としても知られた。
◆祖渓宗臨(尾和宗臨) 室町時代後期の堺の豪商・祖渓宗臨(そけい そうりん、?-1501)。尾和(おわ)宗臨。貿易商で、大徳寺の一休宗純に参禅した。応仁・文明の乱(1467-1477)後の大徳寺の再建を助けた。文明年間(1469-1487)、仏殿、方丈、大厨、塔頭・大用庵、如意庵や徳禅寺などを再建した。一休没後、一休のために真珠庵を創建した。真珠庵に葬られる。
◆梶井宮 天台宗門跡寺院の梶井宮(かじいのみや)は、平安時代中期、比叡山東坂本の梶井に座主里坊が営まれ梶井流と呼ばれたことに始まる。
 鎌倉時代、梶井宮は船岡山東麓、京都御所西に移され、1871年に大原に移された。梶井宮は三千院に入室した歴代法親王のことも指す。1130年14世門主・景雲法親王以来門跡坊とされた。最澄が東塔南谷梨の木の下に一宇を建てたとされ、梨本宮ともいう。
◆庭園 『龍宝山大徳禅寺世譜』に「伝言ふ、寺前に池を穿ち、池中に山を築く、山上に玲瓏閣竹影閣等ありて、舟を泛(うかべ)て往来す、今の松源、養徳の地、及び宝山門前東南いにしの霊山の封彊なり」と記されていた。
 現在、本堂前庭があり、苔地に石組、松などの植栽がある。
◆茶室 1952年裏千家「又隠(ゆういん)」を元にした四畳半台目床 「向東庵(こうとうあん)」は、大徳寺511世・大龜宗雄(だいき そうゆう)好みによる。
 1960年に裏千家「今日庵」「官休庵」を元にした一畳台目中板向板丸炉壁床「骨清庵(こつせいあん)」がある。
◆障壁画 本堂の障壁画「龍虎」「竹虎」「梅波」は、江戸時代の狩野探幽(1602-1674)筆による。
◆文化財 大燈国師(宗峰妙超)(1282-1338)筆「徹翁」号(重文)、「付嘱状」(重文)。
 南北朝時代、1369年の「徹翁義亨」(重文)。「徹翁義亨像」。
 「徳禅寺法度」(重文)。
 元時代の伝・毛倫筆「愚竹図」。
 「徳禅寺領名田庄関係中世荘園文書」は、1984年に襖の下張より発見された。


*非公開
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『別冊愛蔵版 淡交 大徳寺と茶道 その歴史と大徳寺僧の書』『紫野大徳寺の歴史と文化』『京都・紫野大徳寺僧の略歴』『京都大事典』『京都古社寺辞典』



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徳禅寺 〒603-8231 京都市北区紫野大徳寺町86  075-491-4284
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