正受院 〔大徳寺〕 (京都市北区)
Shuju-an Temple
正受院 正受院
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門前の石畳参道
 大徳寺境内の中央に正受院(しゅうじゅあん)がある。 
 
臨済宗大徳寺派。
◆歴史年表
 室町時代、天文年間(1532-1555)、開基・伊勢の関民部大輔盛衡、開祖・清庵宗胃(せいあん そうい)により創建された。
 その後、美濃の蜂屋出羽守頼隆(1534-1589)が正受院と院号を改め、堂宇も一新する。
 安土・桃山時代-江戸時代、慶長年間(1596-1615)、関長門守一政が修復し、檀越になる。
 その後、太素宗謁(たいそ そうえつ、1533-1594)、東嶺宗陽(とうれい そうよう、1569-1625)、5世・笑堂宗誾(しょうどう そうぎん、?-1652)が住した。
 近代、1868年以後、神仏分離令後の廃仏毀釈により荒廃する。
 昭和期(1926-1989)、実業家・山口玄洞(1863- 1937)により境内が整備され、再建される。
◆清庵宗胃 室町時代の僧・清庵宗胃(せいあん そうい、1484-1562)。摂津の生まれ。小溪紹ふの法嗣。1537年、大徳寺93世。正受院に住した。勢州・拈華山正法寺住持。1562年、広徳正宗禅師の諡号を贈られる。弟子に大歇宗用、南英宗頓。
◆蜂屋頼隆 室町時代-安土・桃山時代の武将、大名・蜂屋頼隆(はちや よりたか、1534-1589)。美濃国生まれ。土岐氏、斎藤氏、織田信長の家臣。1559年、信長上洛に同行し、1568年、勝竜寺城、1570年、小谷城、1572年交野城攻囲、小谷城攻めに加わる。1573年、近江石山城・今堅田城を落城、足利義昭が籠城する槙島城攻め、一乗谷城の戦いに参加。1573年、西別所城を落城。1574年、東大寺の蘭奢待切り取りの奉行を務める。長島一向一揆、大鳥居城を攻め、近江国・肥田城城主。1575年、越前一向一揆、1576年、石山本願寺(大坂本願寺)、1577年、雑賀、1578年、石山本願寺、神吉城を攻める。城大田郷砦の普請、有岡城の戦い、伊丹城(有岡城)攻めに加わる。1579年信長の処刑の命により伊丹城の荒木村重妻子を連行した。1580年、和泉国支配権を任される。1581年、京都御馬揃えで二番手で登場した。1582年、本能寺の変後の山崎の戦いで織田信孝に従う。戦後は羽柴秀吉に属し、信孝居城の岐阜城を攻める。戦後、越前国敦賀に所領を得る。1587年秀吉より羽柴の名字を与えられる。 越中国・佐々成政攻め、九州征伐に加わる。1588年、秀吉より豊臣の本姓を与えられた。
◆関一政 安土桃山時代-江戸時代前期の武将、大名・関一政(せき かずまさ、1564-1625)。関盛信(万鉄)の次男。正室は蒲生賢秀の娘。父と共に織田信長、豊臣秀吉に仕え、1584年、小牧・長久手の戦いに参加。父に家督を譲られ、秀吉の命で蒲生氏郷の与力大名、九州征伐、小田原征伐に参加した。1591年、九戸政実討伐の功により白河城を得る。1598年信濃国飯山へ移封、豊臣氏直轄領の川中島の代官に任じられた。1600年、美濃国多良へ移封。関ヶ原の戦いで、西軍より東軍に寝返り、本戦で功を挙げた。戦後、伊勢亀山に復帰を許された。1611年、伯耆黒坂に移封。1614年-1615年、大坂冬の陣、夏の陣でも活躍した。1618年、家中内紛により改易された。
◆笑堂宗誾 安土・桃山時代-江戸時代の僧・笑堂宗誾(しょうどう そうぎん、?-1652)。詳細不明。藍溪宗瑛の法嗣。正受院5世、大徳寺106世。
◆山口玄洞 近代の実業家・山口玄洞(やまぐち げんどう、1863-1937)。広島県の生まれ。医業と副業の醤油販売業・山口寿安の長男。1871年、9歳で愛媛の漢学塾「知新館」に学ぶ。1877年、父急死により、尾道で行商を始める。1878年、大阪の洋反物店「土居善」に丁稚奉公に出る。1881年、倒産により鳥取で商う。1882年、大阪で洋反物仲買「山口商店」を開業し、輸入織物のモスリンを扱い成功する。1896年、山口家4代目として玄洞を襲名した。1904年-1906年、高額納税者のため貴族院勅任議員に互選される。三十四銀行取締役、大阪織物同業組合初代組長、大日本紡績(現ユニチカ)・大阪商事などの役職を兼ねる。1917年、引退し、京都の本邸で隠居、仏教を篤く信仰する。資産の多くを公共・慈善事業、寺社に寄付し、表千家も後援した。墓は大徳寺・龍翔寺、尾道の西國寺にある。
◆茶室 近代、1928年建立の茶室「瑞応軒」がある。山口玄洞好み。
◆文化財 「金剛般若経」一帖(重文)には、第105代・後奈良天皇の室町時代、「天文六年(1547年)」の奥書がある。
 「清庵宗胃画像」は、室町時代、1551年の自賛がある。
◆寮舎 瑞応軒は、江戸時代、慶長年間(1596-1615)、関一政の室(蒲生賢秀の娘)が伏見邸を正受院の北に移した。江戸時代、天保年間(1781-1789)に廃された。
 慈峰庵は、江戸時代、慶安年間(1648-1652)、中島宗清が巽隅に建立した。5世・笑堂宗誾(大徳寺106世)の安禅室になる。端堂肅公が修復した。天明年間(1781-1789)に廃された。
 春溪庵は、江戸時代、慶安年間(1648-1652)に創建された。梅室巨座元が住した。
◆墓 武将・蜂屋頼隆の墓がある。


*非公開
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『別冊愛蔵版 淡交 大徳寺と茶道 その歴史と大徳寺僧の書』『紫野大徳寺の歴史と文化』『京都・紫野大徳寺僧の略歴』


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正受院 〒603-8231 京都市北区紫野大徳寺町78-1  075-491-7838
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