帰雲院 〔南禅寺〕 (京都市東山区)
Kiun-in Temple
帰雲院 帰雲院 
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 南禅寺境内の北東に塔頭・帰雲院(きうんいん)がある。南禅寺に営まれた最初の塔頭になる。
 臨済宗南禅寺派。  
◆歴史年表 鎌倉時代、南禅寺2世・規庵祖円 (1261-1313)の塔所としてその生前に創建されたとみられる。当初は帰雲軒と称される。南禅寺初の塔頭になる。(『南院国師語録』) 
 1381年、山内の一勢力を担い、三成庄を巡り大雲院と争う。帰雲院は負け、僧2人が僧籍を剥奪される。(「空華日用工夫略集」)
 室町時代、1422年、焼失する。この時、亀山法皇宸筆「禅林寺起願文」も焼失したという。(『天下南禅寺記』)
 1440年、復興されたとみられる。幕府は824貫800文の代償の材木を帰雲院より譲られる。将軍・足利義教が坊開に出席している。(『蔭涼軒日録』)
 1463年、國用乾策の入寺反対の騒動が起こる。僧が蜂起し、國用は退院、南禅寺の訴えに足利義政は寺奉行・飯尾左衛門に命じ、僧3人が遠流になる。ただ、國用の頼みにより赦された。(『蔭涼軒日録』)
 応仁・文明の乱(1467-1477)後、衰微する。
 江戸時代、1862年、将軍上洛の際に松平氏の宿舎に充てられる。
 元禄年間(1688-1704)、東海祖津の時、再建される。南院国師木像が新彫される。
 現代、1945年、焼失した。その後、再建される。
◆規庵祖円 鎌倉時代の僧・規庵祖円(きあん そえん、1261-1313)。臨済宗仏光派。信濃に生まれる。鎌倉・浄妙寺で出家、建長寺・無学祖元に参じ、師と共に円覚寺に移る。1286年、師没後、東福寺・無関普門、興国寺・無本覚心に参じた。1291年、無関が南禅寺開山となり、首座。1292年無関没後、南禅寺2世として仏殿、法堂、三門、僧堂等などを整えた。「創建開山」と称され、開山大明国師と同格に崇められた。帰雲庵(後の帰雲院)の宝篋印塔に納められた。無学祖元の法嗣。諡号は南院国師。
◆堀杏庵 安土・桃山時代-江戸時代の儒医・儒学者・堀杏庵(1585-1642)。近江国の生れ。医師・堀徳印の子。7歳のとき京都に出て藤原惺窩に朱子学を学ぶ。医術を曲直瀬正純に、句読を南禅寺塔頭帰雲院の梅心正悟に学ぶ。惺門四天王(林羅山・那波活所・松永尺五・堀杏庵)の一人。安芸国広島藩主・浅野幸長・長晟、尾張国名古屋藩主・徳川義直に仕えた。江戸幕府の『寛永諸家系図伝』の編纂にも関与。墓は南禅寺・帰雲院にある。
◆堀景山 江戸時代中期の儒学者・儒医・堀景山(ほり けいざん、1688-1757)。京都生まれ。曾祖父は堀杏庵、父は儒学者・医師・堀玄達。儒学と医術を父に学び、広島藩に仕える。朱子学、古文辞派、国学に通じた。荻生徂徠、樋口宗武とともに契沖の著書刊行に尽力した。1752年、京都に遊学した本居宣長に儒学を教えた。墓は南禅寺・帰雲院にある。
◆年間行事 春期彼岸法要(3月彼岸中の休日)、猛蘭盆施餓鬼法要(8月上旬)、棚経(お盆参り)(8月9日-15日)、秋季彼岸法要(9月彼岸中の休日)。


*非公開
*年間行事は中止、日時変更の可能性があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『旧版 古寺巡礼京都 12 南禅寺』『南禅寺史 上』『南禅寺史 下』『増補版 京都の医史跡探訪』


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帰雲院 〒606-8435 京都市左京区南禅寺福地町86-18  075-771-4805
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